考証[江戸の面影3]

稲垣史生著

ドットブック版 788KB/テキストファイル 157KB

500円

この巻では、隅田川を挟んで浅草の対岸にひろがる一帯のうち、江戸の水郷といわれた向島と本所をおもに訪れる。向島では木母寺、百花園、白鬚神社、三囲神社のほか、永井荷風の「墨東綺譚」で有名な玉の井の近辺を、また本所では「忠臣蔵」ゆかりの福厳寺、勝海舟に縁のある妙見堂などを探索・考証、最後には隅田川両岸に起こった有名な事件もとりあげる。

稲垣史生(いながき しせい、1912〜96)時代考証家・歴史小説家。本名、稲垣秀忠。富山県出身。早稲田大学文学部国文学科を卒業。東京新聞記者、雑誌編集長を経て、文筆業に。『時代考証事典』『武家事典』『江戸生活事典』など著書多数。時代考証の第一人者としてNHK大河ドラマ『竜馬がゆく』『樅ノ木は残った』『勝海舟』などで時代考証を手がけ、第1回放送文化基金賞受賞。杉浦日向子は弟子であった。

立ち読みフロア
 JR浜松町駅のそば、世界貿易センタービルの屋上には展望台がある。そこに展開する、東京港と隅田川を眼下に見る壮観はあまり知られていない。爽秋の一日、私はその展望台に立ち、取材のためこれから行く隅田川を俯瞰(ふかん)して正直なところ感動した。
 眼の限り東京港が広がっている。地上百五十二メートルの上空から、それは鮮かな幾何学模様を織り、港と、工場と、橋と、それから大小の船舶をくっきり浮かび上がらせていた。
 芝浦に向かい合うのが月島・晴海埠頭、続いて豊洲(とよす)の岸壁が東京湾内へ伸び、先方は越中島・葛西(かさい)の辺りが霞んでいる。眼を返せば、竹芝桟橋に並び、日の出桟橋・芝浦桟橋が浮かんでいる。東京港だ。その広さは中央区に匹敵し、まさに横浜港と並んで日本の表玄関の名に恥じない。
 かつて太平洋戦争の敗色濃き日、陥落寸前のサイパン島から手造りの船で脱出して来た数人の水兵がいた。私は海軍報道部にいたので、各社の記者と取材に出向いたのが月島だったような気がする。水兵は手帳に書かれた上官の命令書を、大切そうに内ポケットから出して見せ、逃亡でないことを訴えていた。戦争のためそこは埋め立てが中断し、荒涼としたコンクリートと雑草の浜だったし、何より水兵が乗って来たお粗末な船が哀れで忘れられない。
 今その東京港は近代設備の粋を集め、都内へ流入する貨物一億トンのうち、ざっと三分の一がこの港から陸揚げされるという。小麦・大豆・砂糖・肉類など、一日も欠かせぬ品々がここから私たちの家庭へもたらされる。その種類は何と十万種に上るという。
 だが、今、思い出話などやめよう。その月島と芝浦の間に、悠揚と東京湾へ注ぐ隅田川がある。
 この川が公の文書に現れるのは、遠い平安初期の承和二年(八三五)六月の太政官符においてである。その文面では、従来、渡船二艘のところ、貢調(こうちょう)の運搬に不足だから二艘増加せよというものである。その渡し場は多分今の浅草橋場(はしば)辺りで、武蔵・下総間はもちろん、奥州街道の始発点にも当たっていた。例の在原業平がこの地を過ぎ、『伊勢物語』に描いたのはなお六十年も後のことだ。「遠くも来にけるものかな」と感慨にふけるのを、渡守に、
「早や船に乗れ、日も暮れぬ」
 と促されて対岸へ渡るが、「あたりの景色もの淋しくて、船こぞりて泣きぬ」とある。ざっと千年前の隅田川である。それが、今や茫漠(ぼうばく)の彼方から流れ来って、ビルと喧噪の中に悠然と横たわる。この川には永い歴史がある。詩がある。それはロンドンのテムズ川、パリのセーヌ川にも匹敵する、美観と、詩と、そして存在意義をもつ。これから書こうとするのはこの川の東岸の人と風俗だが、人間を歴史的背景なしには描くことはできない。歌や舞台で知る隅田川と、近代化された隅田川の、驚異的変化をまずこの眼で見て確かめねばならない。私は貿易センタービルを降り、海側へ真っすぐ芝浦のビル街を歩いた。直線の道路と並木、それに恩賜公園まであって、すっかり港の風景ができあがっている。
 竹芝桟橋へ出た。
 岸壁のベンチで待つほどもなく、水上バスともいえぬ大型の遊覧船が着いた。浅草から来た人、晴海の国際見本市へ行く人、必ずしも観光客ばかりではなくて込み合った。が、それもわずかの間のこと、すぐ浅草行きの船が来て私は乗り込んだ。
 隅田川はもっと上流、三股(みつまた)辺りが河口といわれるが、実質的にはこの辺りがそれであろう。月島の豊海町がすぐ眼の前にあり、水は流れるともなく、漂うでもなく、渺茫(びょうぼう)と品川沖に続いている。その海上には遠く、近く、大小の船が浮かび、そして走る。船に乗ってあっと驚くのは、月島も晴海も、また豊洲も越中島も、水面すれすれに浮かんでいることだ。一体、潮の干満はどうなっているのだろう? これから目指す本所・深川も、ここからでは水面すれすれか、またはそれ以下に見える。林立するビルの裾まで、川はひたひたと迫っていた。
 沈まないのだろうか。埠頭や大都会を支えているのは、鉄とコンクリートによる近代文明の、倣岸(ごうがん)な物理的「力」のみではないか。嫌というほどそれを見せつけられた。むかしは隅田川八景といって、関屋落雁・潮入夕照・隅田川秋月・橋場夜雨・洲崎晩鐘・真乳(まっち)晴風・駒形帰帆・富士暮雪の八カ所があった。今それらはどこへ行ったのだろう。
 冷たい桟橋とビルの景観に、自然の割り込むすきまはまったくなさそうに見える。だが、『東京文学散歩』の野田宇太郎は、この河口で秋空の美観を、「金粉を散らしたような夕映え」とたたえ、同時にはるか濃紺の富士を見た感激を述べている。まだまだ探せばこの港、この都会にも、感動的な自然はいくらかある。かもめの飛翔、浜離宮のみどり、春には隅田堤の万朶(ばんだ)の桜が望めよう。悲観することはない。

……
巻頭より

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