「エリア随筆」

チャールズ・ラム/平井正穂訳

ドットブック版 132KB/テキストファイル 91KB

500円

英国のサラリーマン、チャールズ・ラムが、在職中から「ロンドン・マガジン」に書き継いだ自伝的なエッセイ。「エリア」はこのエッセイの語り手の名である。「エリア随筆」は、1823年と33年に2分冊として刊行されたが、大人の味をもつエッセイの至宝として今日でも綿々と読み継がれている。本書は長年この書の親しんできた訳者が選んで訳したもので、以下の10編を収めてある。

「人間の二種類」
「除夜」
「不完全な共感」
「近代の女性崇拝」
「夢の中の子供たち――ある幻想」
「遠方の友へ」
「夫婦者の態度について――ある独身者の不平」
「退職者」
「結婚式」
「酔っぱらいの告白」
「俗説――悪銭身につかずということ」

チャールズ・ラム(1775〜1834)イギリスの随筆家。生粋のロンドンっ子で名門クライスツ・ホスピタル学院に学ぶが、中途退学。17歳のとき東インド商会に会計係として就職、51歳で定年退職するまでサラリーマン生活を送った。学院時代の3歳年上の詩人コールリッジとは終生の友であった。姉メアリーが狂気の発作から母を刺殺する事件があり、この姉の面倒をみる必要もあって結婚はしなかった。「エリア随筆」のほか、姉との共著「シェイクスピア物語」が有名。
立ち読みフロア
 よくよく考えてみると、人類というものははっきりとした二つの種族からなりたっているようである。つまり、借りる人間と貸す人間の二つの種族である。ゴート民族だとかケルト民族だとか、白人とか黒人とか赤色人とかいういいかげんな分類の仕方も要するにみな以上の二つの基本的な区別に帰せられようというものである。「パルテイア人、メディア人、エラム人」〔『使徒行伝』二章九節〕、つまりこの地上の生きとし生ける者すべてがいわばこの一点に会し、以上の基本的な分類のどちらかに自然にぞくするようである。前者を私は「偉大な種族」と呼びたいのだか、この種族がいかに優秀な種族であるかは、その姿勢、態度、その一種本能的な威風にいやもうはっきり現れているといえる。そこにゆくと後者は生まれつき下劣をきわめている。「彼は僕《しもべ》となりてその兄弟に事《つか》えん」〔『創世記』九章二十五節〕。この種族の人間には妙にぎすぎすした猜疑心の強そうなところが何となく漂っている。前者の物腰にみられる鷹揚闊達《おうようかったつ》な、人のよさそうな雰囲気とはまさしく雲泥の相違というべきである。
 古今を通じて最大の借り手であった人々、――アルキビアデス〔紀元前五世紀頃のアテナイの政治家〕、――フォルスタフ〔シェイクスピアの『ヘンリ四世』に出てくる騎士〕、サー・リチャード・スティール〔文人・政治家、一六七二〜一七二九〕――断然儕輩《さいはい》をぬきんでていた故ブリンズリー〔劇作家リチャード・ブリンズリー・シェリダン。一七五一〜一八一六〕――を見るがいい。この四人にさすが血のつながりは争えぬものがあるのは一目瞭然ではないか!
 こういう借り手の態度のまたなんとなりふり構わず平然たることか! なんとその腮《あぎと》の薔薇色に輝いていることか! なんと美しい信頼を神の摂理によせていることか――思い悩まざることまさに野の百合同然ではないか! 金銭を軽蔑することのまたなんと甚だしいことだろうか――(特に諸君のものや私のものに対してはそうなのだが)金銭をまるで塵芥としか思っていないのだ! わがもの《ヽヽヽヽ》(meum)と汝のもの《ヽヽヽヽ》(tuum)という妙なけじめをまたなんと大まかに混同していることであろうか! というより、なんと気高い単純化をトック先生〔十八世紀末の言語学者〕も顔負けするほど言葉に対して試みていることだろうか――つまり、一般に反対のものと考えられているものをわがもの《ヽヽヽヽ》という明明白々な代名詞的形容詞に還元してしまうのだ! これではすべてのものを共にしたという原始社会にほとんど近いといってもいい――少なくともその原理の半分に近づいているといってもよかろう。
 彼は「天下の人に納税を課す」〔『ルカ伝』二章一節〕真の課税者なのである。そして彼とわれわれ各人との距離たるや、まさにカイザル・アウグストとエルサレムで国庫に僅かに一文の税金を払った赤貧洗うがごときユダヤ人との間に横たわっていた漠々たる距離にまったく等しいのだ! 彼の誅求も明朗というか、実に気儘勝手な風がある! そこいらで見かけられる教区の、あるいは国の例の渋い顔をした収税吏――玄関払いを喰らいつけているのが歴然とその顔に表われている例の小役人どもとはまさに雲泥の差なのだ。彼はにこにこしながらやってきて、受け取りがどうのこうのという手間もかけはしない。期限がどうのこうのといったこともさらに頓着しない。とにかく毎日が彼にとっては聖燭節《キャンドルマス》〔二月一日の祝祭日で、スコットランドでは支払日〕であり、聖ミカエル節〔九月二九日で支払日の一つ〕なのだ。彼は諸君の財布にむかって莞爾《かんじ》として笑いかけ、「爽《さわ》ヤカナル刺戟」をあたえる――するとそのほのぼのとした暖かさに応じて諸君の財布の口は自然にほころびるというわけである。太陽と風が賭をして競争したというあの旅人の外套もかくやとばかりなのだ! 彼はかつて干潮を知らないプロポンティス海〔現在のマルモラ海の古称〕そのものなのだ! つまり誰の手からも見事にただもう、ものをまき上げる一方の海なのである。彼に見こまれるという光栄に浴した犠牲者はいわば運命に抵抗するようなものでただ無駄だという他はない。網にかかったようなものだ。されば、貸すべき宿命のもとにある者よ、颯爽として貸すがよい、この世で一文損したからといって、あの世で貰うはずの財産までも貰いそこなわないために。貧しきラザロと富めるダイヴィーズ〔『ルカ伝』一六章参照〕の両方の罰を自分の一身に引きうける愚はさけるがよい、むしろ、この堂々たる権威者がやってくるのを見かけたなら一歩でもこちらから出向いて微笑を浮かべながら会釈するがよい。ここは一つ思いきっていさぎよく捧げ物を献じてやろうではないか! ああ、だがなんと彼は平然とそれを受けとることか! 気高い敵にむかってはあっさり降参するにしくはない。

……「
人間の二種類」より

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