ギリシア悲劇全集4

「エウリピデス全作品集 II」

エウリピデス/内山敬二郎訳

ドットブック 434KB/テキストファイル 340KB

1000円

エウリピデスの全作品19編のうち、この巻には後期の9編を収めた。このエウリピデス全作品集2によってギリシア悲劇全集完結!

【収録作品】
「トロイアの女たち」
「タウリケのイピゲネイア」
「エレクトラ」
「ヘレネ」
「ポイニケの女たち」
「オレステス」
「アウリスのイピゲネイア」
「バッコスの狂信女たち」
「キュクロプス」
立ち読みフロア
《アウリスのイピゲネイア》冒頭部分

トロイア攻撃のための準備はととのい、ギリシア軍はアウリスの港に集結を終った。だが、順風は吹かず、船出はできない。予言者は総帥アガメムノンの長女イピゲネイアを生贄にささげれば、船出もトロイア攻略も可能になると告げる…

(アガメムノン、幕舎の中から出て来る)
【アガメムノン】老爺《じじい》、幕舎の前に参れ!
【老僕】(奥にて)はい、ただ今。なにか御用で、アガメムノン様?
【アガメムノン】早くしろ!
【老僕】直ぐ参ります、(いいながら出て来る)
年寄りはあまり睡りません、
眼《め》ざとくなっとりますで。
【アガメムノン】あそこを行くあの星は何か?
【老僕】セイリオスで。七つの軌道の
昴宿《プレイアデス》の近くの中空を通ります。
【アガメムノン】鳥の声も潮騒《しおさい》の音もせぬ、
エウリポスの海は
風も音を立てぬわ。
【老僕】なんで幕舎の前へお出ましで、
アガメムノン様?
アウリスの町は静かで、
城の哨兵もまだ動きません、
中へはいりましょう。
【アガメムノン】老爺《じじい》、わしは貴様が羨ましい。
人に知られず、名もなく、
無難な世渡りする者が羨ましい、
高位の者を羨みはせぬ。
【老僕】しかし、その生涯には尊いものがあります。
【アガメムノン】その尊いものが危険だ、
誉れを得るのは楽しかろう、
しかし、それには苦痛が伴《とも》のう、
時に神慮に逆《さか》ろうて、
生涯を誤る、
時に他の人々のさまざまな
不平不満に身を擦り減らす。
【老僕】貴い方がそれではいけません。
アトレウス様はあなたを、万事満端《ばんじばんたん》、
結構づくめにはお産みにならなかった。
嬉しいことも悲しいこともなければならぬ。
人間ですから。お気に召さなくも、
それが神慮でございます。
あなた様は灯火の光をかき立てて、
お手紙をお書きでした、
今お手にお持ちのそれを、
そしてそれを書いてはまた消し、
封をしてはまたやぶり、
松の板木を地に投げつけ、
大粒の涙を落し、
まったく思案につきて、
お気が狂ったかのようでした。
何が御心配で? 王様、何事で?
どうぞ、私めにもお聞かせ下さい、
真面目《まじめ》な忠実なこの私めに!
昔テュンダレオス様が、あなたのお妃に、
花嫁の従者、忠実な付き添いとして、
私をお遣わしになったのですから。
【アガメムノン】テスティオスの娘レダに三人の娘が生まれた、ポイベと、わしの妻のクリュタイメストラと、ヘレネだ。この末娘の求婚者として、ヘッラス一の富裕な若者たちがやって来た。彼らは恐ろしい言葉で威嚇し、もし娘が手に入らぬなら殺してやるとお互いにいい合うのだ。事はテュンダレオスの手におえなくなった、娘をやるにしてもやらぬにしても、どうしたらうまく切り抜けられるか、そこでこういうことを思いついた、求婚者たちが誓言をし、互いに右手を握りあう、そして生贄《いけにえ》を焼き、灌奠《スポンデ》を注いで誓うのだ。「何人《なんぴと》にしろテュンダレオスの娘を妻とした者は、一同でその者を援ける。もし何者かが彼女を家から奪い去り、正当の夫を押し退けるならば、それがヘッラス人であろうと他国者《バルバロス》であろうと、軍を率いて進撃して、その男の市を壊滅させる」と。彼らがこれを諒承し、老テュンダレオスがその賢い思案で彼らをうまく籠絡しおうせた時、彼は娘に求婚者の中から、アプロディテの愛の息吹きの導く男を一人選ばせた。娘はメネラオスを選んだ、あんな男を選ばないでくれたらよかったのに! それからプリュギアから、アルゴスの者たちのいい伝えでは、女神たちの審判をしたというあの男がラケダイモンヘ来た、花のように着飾り、異国《バルバロス》風の黄金の豪華さに輝いて、そして愛する男が愛する女を、ヘレネを奪ってイデの牛飼小舎へ逃げて行った、メネラオスの不在につけ込んで。メネラオスは狂気のようになって、ヘッラス中を駆けまわって、テュンダレオスの先の誓言を楯に被害者を援けるべきだといった。そこでヘッラスの者どもはいそいで槍をとり鎧を纏《まと》うて、このアウリスの狭い入江に集まった、船を艤装《よそお》い、楯を調え、夥《おびただ》しい軍馬や戦車を用意して。そして、メネラオスのことから、兄弟なのでわしを皆で総帥に選んだ、この栄誉は、わしでなしに他の誰かが受けるとよかったのだ! しかし、兵隊は集まって勢揃いもできたが、船出ができずに我々はアウリスに滞在している。
 ところが予言者のカルカスは、途方に暮れてる我々にいうのだ、わしの娘のイピゲネイアを、この地に住み給うアルテミスに生贄にせよ、生贄にすれば航海もプリュギアを滅ぼすこともできるが、しなければできないと。それを聞いて、わしは兵隊どもにすべて退散するようにと、大声で伝えろとタルテュビオスに命じた、我が娘を殺すわけにはいかぬからな。だが、弟はあらゆる理屈を並べ立てて、その恐ろしい事を敢えてするようにわしを説得した。それで、わしは書板に手紙を書いて妃に送った、アキレウスと結婚させるのだから娘をよこすようにと、そしてあの男の偉さをほめたたえ、かつわしの家からプティアへ嫁が行かなければ、彼はアカイア勢と一緒に船に乗ろうとしないのだというてやった。その話で妃を説きつけようと思ったのだ、娘の結婚について虚構《うそ》の話をこしらえて。アカイア勢でこの事を知ってるのは、カルカスと、オデュッセウスと、メネラオスだけだ。だが、その時の心得違いに気がついて、この手紙には改めてよいように書き変えてある、老爺、貴様が夜の薄暗がりで、わしが解いたり、縛り直したりするのを見たのがこれだ。だから、この手紙を持ってアルゴスヘ行け。この書中に秘めてあることは、すっかり書いてある通りに貴様にいうて聞かす、妃にも我が家にも忠実な貴様だからな。


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