「顔のない博物館」

フィリップ・K・ディック/仁賀克雄訳

ドットブック 300KB/テキストファイル 123KB

600円

すこし怖いような超現実世界を描く第一人者ディックの初期短編集。「ディックの原点ともいえるこの初期の短編に、センス・オブ・ワンダーと、それを超える何かを見い出し、楽しんでくれる若いSFファンの諸君に、本書を捧げる」と訳者はいう。「パパそっくり」「フォスター、お前は死んでいるところだぞ」「ドアの向こうで」「ハンギング・ストレンジャー」「消耗品」「根気のよい蛙」「廃品博物館」など11編を収めてある。

フィリップ・K・ディック(1928〜82)米国カリフォルニア州サンタ・アナ生まれのSF作家。カリフォルニア大学卒。処女長編「偶然世界」で認められ、「高い城の男」(ヒューゴー賞受賞)「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(映画「ブレードランナー」の原作)など傑作を次々に発表した。ディックの作品では、現実と仮想世界との矛盾に最大の力点が置かれている、キレのよいSF短編の書き手としても知られる。

立ち読みフロア
「ずいぶん珍しい服を着ておられますね」
 公衆輸送車のロボット運転士はもの珍しげに見ていた。車のドアが開き、舗道の縁石のところで停った。
「その丸い小さなもの何ですか?」
「ボタンだ」ジョージ・ミラーは説明した。「半分は実用的なものだが、半分は飾りなんだ。これは二十世紀の古風なスーツでね。仕事柄いつも着ているんだ」
 彼は料金をロボットに支払い、ブリーフ・ケースをつかむと、歴史局への傾斜路(ランプ)を急いだ。本局のビルはもう開いていた。寛衣(かんい)姿の男女がいたるところで行き交っている。
 ミラーは個人用エレベーターに乗った。「西暦前」部門から乗った二人の大柄な監督官の間にはさまれ、すぐに自分の階、「二十世紀中期」部門に運ばれて行った。
「おはよう」原子力エンジン展示台の前で、フレミング監督官と顔を合わせたミラーは小声であいさつした。
「おはよう」フレミングは無愛想に答えた。「なあ、ミラー。そろそろきっぱりとかたをつけようぜ。君のような服装をみんなが真似したらどうなる? 政府は服装について厳しい規則を設けている。たまにはそのひどい時代錯誤(アナクロニスムス)を頭から追い払えないかね? 君の手にしているものはいったい何だい? ジュラ紀の潰(つぶ)れたトカゲかい?」
「これはワニ皮のブリーフ・ケースだ」ミラーは釈明した。「この中には私の研究用フィルムが入っている。ブリーフ・ケースというのは、二十世紀後半の管理職にとっては、身分を表すシンボルだったんだ」彼はブリーフ・ケースを開けた。「いいかい、フレミング、私は自分の研究している時代の日用品に慣れることで、単なる知的好奇心から本当の共感を得られるようにと、自己改革の最中なんだ。私が時々妙な発音をすると、あんたはよく注意してくれるだろう。そのアクセントはアイゼンハワーが大統領だった時代のアメリカのビジネスマンの使っていたものなんだ。《わかりる》?」
「えっ?」フレミングは怪訝(けげん)な顔をした。
「《わかりる》というのは二十世紀の表現なんだ」ミラーは机上にフィルムを置いた。「何かほかにも私に用事があるのかい? これから仕事にかかりたいんでね。二十世紀のアメリカ人は、自宅の床タイルは貼れても、自分の衣服を縫えなかったという事実を示す、面白い証拠を見つけたんだ。このことで展示物を代えたいんだ」
 フレミングは歯ぎしりした。「二百年後の世界にいるんだぞ、君は。過去の遺物や細工品に溺れるなよ。君のは破棄された何の役にも立たないものの模造品ばかりじゃないか」
「この仕事が大好きでね」ミラーは穏やかにかわした。
「だれも君の仕事ぶりに文句をつけているわけじゃない。仕事以前の問題だ。君はこの社会の政治的、社会的一構成分子だ。これは警告だぞ、ミラー! 幹部評議会は君の奇行の報告書を握っている。仕事に対する献身ぶりは認めるが……」彼の眼は意味ありげに細くなった。「しかし君は行きすぎだ」
「私は自分の技能にまず忠実なんだ」ミラーはいった。
「君の何だと? それはどういう意味だ?」
「二十世紀の用語だ」ミラーの顔には優越感がむき出しになった。「あんたは巨大な機構の中の下っぱ役人にすぎない。非人間的文化総合体の一歯車だ。自分自身の基準というものは何ひとつ持っていない。二十世紀においては、人間は個人的技量の基準を持っていた。職業的技能だ。自分の業績に対する誇りだ。こんな言葉も、あんたにとっては馬の耳に念仏だろうな。あんたには魂がない――人間に自由があり、心情を語ることができた二十世紀の黄金時代から何も学び取っていない」
「だまれ、ミラー!」フレミングは臆病に蒼ざめ、声を落とした。「おまえたちはエセ学者ばかりだ。そんなテープからはなれて、現実を見ろ。こんなことを喋っていれば、そのうちきっと問題を起こすぞ。自分の好きなように過去を美化するがいい。だがな、これだけは憶えておけよ――もうそれは過ぎ去り、埋没された時代だ。時代は移り変わり、社会は進歩するものだ」彼はその階を占めている展示物に向かって憤懣をぶつける身ぶりをした。「たかが不完全な模造品じゃないか」
「あんたは私の研究を非難攻撃するのか?」ミラーは激高した。「この展示品は絶対に正確なものだ! それは常に新しい資料で訂正している。二十世紀に関して、私の知らないことは何ひとつない」
 フレミングは首を振っていった。
「何の役にも立たん」
 彼はきびすを返すと、大股でうんざりしたように、階下へと傾斜路を降りて行った。
 ミラーは襟のカラーと手製の派手なネクタイを直した。細い縦縞のブルーの上衣を整え、二百年も前の古いタバコをつめたパイプに、慣れた手つきで火をつけた。
 どうしてフレミングは自分を放っておいてくれないのだ? フレミングみたいな、大階級組織の目付役は、ねばっこいクモの巣のように全世界に拡がっている。各産業、専門分野、居住区の中にもいる。
 ああ、二十世紀の自由! 彼はテープ走査器(スキャナー)の速度をしばらく遅くした。夢見るような表情が顔を横切る。活力と個性の時代、人間が人間らしかった時代……。

……「廃品博物館」
冒頭より

購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***