「月世界最初の人間」

H・G・ウェルズ/赤坂長義訳

ドットブック版 176KB/テキストファイル 158KB

600円

事業に失敗して一文無しになったベッドフォード氏はケント州の海浜に引きこもり、戯曲を書いて一旗あげようと決意するが、その地で偶然、科学者のケイヴァー氏に出会う。ケイヴァー氏は「重力を無効にする」金属の研究に没頭し、みごと実験に成功する。ベッドフォード氏は金儲けができると踏み、またケイヴァー氏は知識欲に駆られ、意気投合した二人は月旅行に出発する。そこに待っていたのは凍てつく夜と焼けつく昼の世界であり、アリのような暮らしをおくる月人との遭遇だった……風刺にみちたウェルズSFの到達点!

H・G・ウェルズ(1866〜1946)フランスのジュール・ヴェルヌとならぶSFの始祖。イギリスの貧しい商家に生まれ、苦学した。ケンジントン科学師範学校で、T・H・ハックスリーから進化論の新しい仮説を学び、のちのSF小説執筆の素養をあたえられた。ジャーナリストとして出発したが、1895年に発表した『タイム・マシン』で認められ、以後『透明人間』『宇宙戦争』『解放された世界』『神々のような人びと』などの科学小説を書いた。独自の世界観をもち、評論と政治の世界でも活躍した。

立ち読みフロア

 いま、こうして、南イタリアの青空の下、涼しいぶどうの葉かげにすわってペンを走らせていると、あのとき、ぼくが、ケイヴァー氏のすばらしい冒険旅行に参加したのは、結局のところ、まったくの偶然のなりゆきからそうなったのだ、ということが思い出されて、いまさらのように、なにか、おどろきに似た気持ちがよみがえってくる。でも、あんな偶然に出会っては、ぼくでなくても、だれでも、同じことになったかも知れないのだ。
 ぼくが、あの事件にまきこまれたのは、ちょうど、ぼくを悩ましていたいっさいのごたごたから、きれいさっぱり逃げ出そうと考えていた、その時だった。ぼくがリンプネにいったのは、そこが、世界中でいちばん静かで平和なところのように思われたからだった。
(少なくとも、ここならば、ゆっくり落ちついて、仕事をはじめることができるだろう)
 ぼくは、そう考えて、リンプネにいったのだった。
 そして、その結果、できあがったのが、この本なのだ。運命という奴は、われわれ人間どもがたてる小さな計画なんてものとは、まったく、もののみごとに食いちがってしまうものだ。
 じつは、ぼくは、そのすこし前のこと、ある事業に手を出して、大失敗をやらかしたばかりだった、ということを告白しておかなくてはならない。でも、すっかり金まわりのよくなっている現在では、そのころのぼくの落ちぶれ方も、なにか、ゆったりした気持ちで思い出すことができる。考えてみると、あのころぼくの身に起こったいろいろなまずいことは、ある程度まで、みずから招いたことだった。
 ぼくだって、なにかしら才能らしいものを持ち合わせていないはずはないのだが、あいにく、事業を経営する才能だけは欠けているらしい。でも、あのころは、ぼくも、まだ、若かったし、若さというものは、よく、ものごとに反対したがるという形であらわれるものだが、ぼくもまた、ぼくの事業的手腕にうぬぼれを持っていたのだ。
 年からいうと、ぼくは、いまだってまだ、若い。だが、ぼくの身におきた事件は、ぼくの心から、なにか、若々しさといったものをうばい去ってしまった。かといって、そうした事件が、若さのかわりに、分別(ふんべつ)というものをあたえてくれたかどうかというと、それはいっそうあやしいものだ。
 ぼくをケント州のリンプネに行かせたのは、どんな事情からだったか、こまかく説明する必要はあるまい。現代は、ごくありふれた事務処理にさえも、なにか、冒険めいた強烈な刺激を必要とする時代なのだ。
 とにかく、ぼくは、いちかばちか、やってみて、失敗した。取り引きで、収入と支払いの間のバランスがとれているうちは、まだいい。そのうちに、とうとう、ぼくのほうが、いやというほどたくさん支払わなければならない羽目に落ちてしまったのだ。
 ぼくが完全にすっからかんになってしまったあとも、一人のたちの悪い債権者が、ぼくをいじめつづけた。おそらく、あなただっていちどくらいは、ああいう敵意に充ちた侮辱におあいになったか、あるいは、それをお感じになったことがおありだろう。
 奴は、ぼくを、しつっこく追いまわした。それで、とうとう、ぼくは、日雇いの事務員かなにかに落ちぶれて、その日ぐらしの生活をしたくないなら、脚本家になって戯曲でも書くほかに生きる途はないと考えるようになった。
 ぼくだって、相当な想像力と上品な趣味を持っているはずだ。そこで、ぼくは、運命という奴がぼくを打ちたおす前に、そいつと華々(はなばな)しい一戦をまじえてやろうと、もくろんだのだった。
 実業家としての力量に対するうぬぼれに加えて、ぼくは、そのころ、いつも、ぼくにはすばらしい戯曲を書く才能もあるのだ、という考えを持ちつづけていた。それは、そんなに非常識な考えではない、とぼくは信じる。
 ぼくは、知っていた。男にとってやり甲斐(がい)のある仕事は、合法的な取り引きのほかにありはしない。ぼくは、そう、思いこんでいた。だから、ぼくは、そのまだ書いたことのない戯曲を、取り引きのうまくゆかない万一の場合にそなえての、お手軽な、ちょっとした予備の仕事ぐらいにしか考えていなかった。
 ところが、その、万一の場合がやって来たのだ。ぼくは、さっそく、戯曲の仕事にとりかかった。
 だが、戯曲を書くという仕事は、考えていたより時間のかかるものだ、ということが、すぐにわかった。実は、ぼくは、はじめ、十日間ばかりあればできると思っていた。そこで、ぼくは、仕事をする間の仮の宿を借りるために、このリンプネにやってきたのだ。
 ぼくは、運よく、ちょっとしたバンガロー〔ベランダ付き平屋の住宅〕を借りることができた。三年契約ということにした。いくつかの家具を運びこみ、仕事中は自炊することにした。ぼくの迷コックぶりは、家主のビートン夫人をびっくりさせたらしかった。でもね、自炊ってやつもなかなか味なもんだと思いませんか!
 コーヒー・ポットが一つ、たまご用と、じゃがいも用のソース・パンが一つずつ。それに、ソーセージと、ベーコンのためのフライ・パンが一つ。ぼくを、ゆったりした気持ちにさせるには、これだけの簡単な仕掛けでじゅうぶんだった。人間という奴は、いつもご馳走ばかり食べているわけにはいかない。どちらかというと、質素で簡単な食事のほうが、永つづきするものだ。
 仕事が一段落ついて休息する時のためには、十八ガロン入りのビール樽(だる)を、かけで買いこんだ。また、パンのほうは、信用のできるパン屋が、毎日のようにやってきてくれた。こういった生活は、昔話のシバリス人のようなぜいたくさとはいえないまでも、それまでのぼくの人生には、もっと悪い時期だってあったのだ。そのパン屋は、なかなかいい男だった。気の毒だったが、彼には、毎日、来てくれるように頼んだのだった。
 たしかに、孤独を愛する人にとっては、リンプネは絶好のところだ。リンプネは、ケント州の粘土層地帯にある。ぼくのバンガローは、古い断崖の上に建ち、眼下にひろがるロムニーの沼沢(しょうたく)地帯と呼ばれる湿地の向こうには、海が見えていた。
 大雨が降ると、この沼沢地帯へはほとんど近づくことができなくなる、ぬかるみの多いところを通る郵便配達夫などは、靴に板切れをつけて歩くことにしているという話だった。ぼくは、郵便配達夫がそうしているところを見たことはないが、そういう情景は、じゅうぶん、想像できる。
 現在、村を作っているわずかばかりの小屋や家の入口のそとには、この土地特有の、たちのわるい粘土を掃(は)いてすてるための、大きなかばの木の箒(ほうき)がたてかけてある。まったく、こうした様子が、永遠に過ぎ去ってゆく昔のもののなごりとして残っていなかったとしたら、こんな村がここに存在したとは、だれも信じることができないだろう。
 この村は、ローマ時代のイングランドの大きな港で、そのころは、レマニスの港と呼ばれていた。もっとも、現在では、海は、四マイルもむこうに退いてしまっているが……。
 けわしい丘陵の裾(すそ)には、波で丸くなった岩石や、ローマ時代の煉瓦(れんが)工事の残がいが転がっている。さらにそこからは、昔のワトリング街道が、ところどころ鋪装した跡をみせながら、北方へ向かって矢のように一直線にのびている。ぼくは、よく、その丘の上に立って、海に浮かんだガリー船や軍団、捕虜たちや役人たち、女たちや商人たち、それから、中には、ぼくのようないっかく千金を夢みる山師たちなど、そういった連中が、ひしめきあいながら、港を出たり入ったりする光景を想像したものだ。
 ところが、いまの様子ときたらどうだ。草深い斜面の上に、いくつかの瓦礫(がれき)の山と、一、二頭の羊と、そして、ほかには、このぼくだけだ。かつて港のあったところは、平らな沼地になってしまった。その沼地は、なだらかにカーブしながら、遠くダンジネスのほうへとひろがっている。そのあちこちには、木々の茂みや、古い中世の町の教会の塔などが点在しているが、そうした町々も、あのレマニスの港町のあとを追って、だんだんと滅びてゆくのだ。
 だが、この沼沢地帯の眺めは、ぼくにとって、まさに、最高だった。ダンジネスまでは、おそらく、十五マイルはあるだろう。それは、海の上に、ちょうど、筏(いかだ)のように横たわってみえた。さらに遠く、西の方角には、ヘスティングスに近い丘陵が、夕陽を浴びてつづいていた。その丘陵は、あるときは近くはっきりと、またあるときは、ぼんやりと遠くみえた。天候の具合で、まったくみえなくなってしまうことも、よくあった。そして、沼沢地帯のこっちのほうは、掘割りや小さな水路にふちどりされて、まるでレース飾りでもしたように、キラキラと輝いていた。
 仕事部屋の窓からは、山頂のスカイラインがみえた。ぼくが、はじめて、ケイヴァー氏の姿を発見したのも、この窓からだった。
 ちょうどそのとき、ぼくは、戯曲の仕事がうまくゆかないので苦しんでいた。むりやりに仕事に精神を集中しようとしていたときだった。だから、ぼくが、彼、ケイヴァー氏の出現に心を奪われたのも、ごく自然のなりゆきだったのだ。
 太陽はすでに沈み、空は、落ちついた黄色と緑色の夕焼けに輝いていた。その空をバックに、ケイヴァー氏は、黒い影のように、その奇妙な、ちっぽけな姿を現わしたのだ。
 彼は、背が低く、まるまると肥った、そのくせ、おそろしく足の細い男で、その動作は、どことなく、ぎくしゃくしていた。クリケット帽にオーバー・コート、サイクリング用のニッカー・ボッカーに靴下、といった彼のいでたちは、いかにも変わった人のようにみえた。ところが、彼が、どうしてそんな格好をしていたのか、ぼくには、さっぱりわからないのだ。というのは、彼は、自転車に乗ったことも、クリケットをやったこともなかったからだ。たぶん、ただなんとなく集まったものを身につけていたにちがいない。
 彼は、ひっきりなしに、手や腕を動かし、頭を振り、ぶつぶつとつぶやいていた。まるで、電気が唸(うな)っているように、ぶつぶついっていた。この世の中のだれだって、あんな奇妙なぶつぶつ声は、聞いたことがあるまい。そして、絶えずぶつぶついっているかと思うと、こんどは、たいへんな音をたてて咳(せき)ばらいをするのだ。
 雨上がりだったので、道は、ひどく滑りやすくなっていた。そのせいで、彼特有のけいれんするような歩き方は、いっそう、ひどくみえた。
 ちょうど、沈んだ太陽の真正面にきたとき、彼は、立ち止まって、時計をひっぱり出し、考えこみ、それから、一種独特な、けいれんするような身ぶりで向きを変えると、全速力でもどってきた。こんどは、あの奇妙な身ぶりはせずに、大股でやってきたので、ぼくには、彼の足が、体のわりに大きいことがわかった。おそらく、彼の足は、べたべたとこびりついた粘土のために、気味が悪いほど大きく――これ以上は大きくなれまいと思われるほど、大きくなっていたのだろう。
 事件が起きたのは、ぼくがこの家に住むことになった最初の日、ちょうど、戯曲の執筆に精力を集中していたときだったので、ぼくは、このできごとを、ただ、ちょっとした邪魔がはいっただけのことだと思った――ほんの五分ばかりの時間のむだだと。ぼくは、すぐに、仕事にもどった。
 だが、次の夕方、彼は、おどろくほど正確に、おなじ時刻に、おなじ様子で、姿を現わした。次の日も、おなじだった。そして、まさに、雨さえ降らなければ、毎夕、彼は、おなじように出現したのだ。こうなっては、ぼくも、戯曲に精神を集中するのに、そうとうな努力が必要となってきた。
(あんちくしょう、くたばっちまえ!)と、ぼくは、思った。

……巻頭より

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