「悪の花」

シャルル・ボードレール/杉本秀太郎訳

ドットブック 318KB/テキストファイル 62KB

500円

頽廃の美と反逆の熱を謳って象徴詩の世界に「新しい戦慄」(ユゴーの言葉)を創造した「罪の聖書」と呼ばれる詩集。近代人の「神曲」ともいわれる本詩集は、怪奇、極悪、陰惨の世界を妖しい美の人工楽園のように描き、展開する。本書は杉本秀太郎氏がボードレールの詩集から61編を選んで訳したものである。

シャルル・ボードレール(1821〜67)パリ生まれのフランスの詩人。幼くして父を失い18歳以降、放縦な生活を送る。美術批評でデビューし、かたわら詩集「悪の華」 (「悪の花)をまとめ、ヴェルレーヌ、マラルメ、ランボーと続く象徴主義の先駆者となった。

立ち読みフロア
  読者に

斑(むら)気、料簡違い、うしろめたさが、しみたれ根性が、
私どもの心を占め、私どもの肉体をいためつけている。
そして、仕甲斐もない後悔を大事にいつくしんでいる身のざまは、
乞食どもがそれぞれに虱(しらみ)を養育しているに近い。

くさぐさの罪咎(つみとが)は骨まで染みついているのに、改悛(かいしゅん)の念はたるみ切っているわい。
その証拠に、告解さえ済ませば大いに気分爽快になって、
はねのあがる泥んこ道をいそいそと、また戻ってゆく、
勘定高い涙で心のしみをきれいに洗い流したつもりになって。

悪の枕頭に居坐る大魔王は、名をトリスメジストとおっしゃる。
たださえうっとり霞(かす)んでいる精神をじんわりあやして、眠りにさそうお方。
そして、私どもの意志という貴金属は、
このしたたかな錬金術師にかかると、忽(たちま)ち気化して跡形なし。

われらを操る糸を、悪魔のやつめ、しっかり握っておるわ。
くさいものに、こたえられない良い匂いをかぎ当て、
日ごとに一歩また一歩、地獄のほうに私どもはくだってゆく、
のんきなつらして、異臭ただならぬ暗黒界をよぎりながら。

古手娼婦のいじくり抜かれた乳房を舐(な)めたり
噛んだりしている、懐(ふところ)さみしい女郎買いのように、
私どもは人には言えぬ快楽を、地獄降りの道すがら、
しなびたオレンジみたいにぎゅっと絞っては、むさぼり啜(すす)っているわい。

ものすごい数の蛔虫のように、ひしめき雑踏して、
私どもの脳味噌には悪魔の大群が乱痴気騒ぎをやっている。
そして、息をするにつれ、肺のなかには、死が
目には見えない大河をなして、にぶい嘆きの音を立て、ながれ落ちてゆく。

強姦(てごめ)、毒盛(どくもり)、匕首(あいくち)、放火(ひつけ)、こういう悪業が
それぞれに愉快な図柄で私どもの面白おかしくもない運命の粗布に、
小味(こあじ)な刺繍飾りを施してくれなかったとすれば、
畢竟(ひっきょう)それは遺憾ながら、こちらの魂に大胆不敵が足りない証拠。

ジャカールもおれば豹もいる、牝狼に猿、
大さそり、禿鷹(はげたか)、うわばみ、などという怪物どもが
したい放題に吼えたけり、這いずり回っている
われらが悪徳動物の見世物小屋。悪臭鼻をつく檻(おり)のなかには、

こいつらにまじって、殊に意地ぎたなく、腹黒く、不衛生な怪物が一匹。
目に立つほどの身振りはせず、大げさに吼えることもしない
そいつが、ついその気になれば、地球は瓦礫(がれき)の山になるかも知れぬ。
そいつが大きな生(なま)あくびをひとつすれば、宇宙も丸呑みされてしまうかも知れぬ。

それ、それが倦怠というやつ。長い煙管(きせる)をくゆらし、麻薬にうるんだ目をして、
死罪に相当することをあれこれ、いつまでも空想だけしているやつ。
あんたも身におぼえがないか、読者よ、この厄介な扱いにくい化け物に。
――とぼけなさんな。あんたも私も似たもの同士、同じ腹から生まれているぞ。


……「序詩」冒頭


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