「ハートの4」

エラリー・クイーン/長谷川修二訳

ドットブック版 294KB/テキストファイル 231KB

600円

映画脚本を書いてほしいという依頼を受けて、勇躍ハリウッドに乗り込んだエラリー・クイーン。だが、そこで目にしたのは、スクリーンの名優、新進の男女優、プロデューサー、マネジャー、脚本家、宣伝部長ら、多種多様な人間が立ち働くなかで起きた連続殺人事件であった。クイーンの異色作。

エラリー・クイーン
エラリー・クイーンは、従兄どうしのアメリカ人作家フレデリック・ダネイ(1905〜82)とマンフレッド・B・リー(1905〜71)の共同のペンネーム。二人は同年、ブルックリンに生まれ、典型的なニューヨーカーだった。1929年、クイーン警視の息子エラリー・クイーンが登場する『ローマ劇場毒殺事件』でデビュー、その後『ギリシア棺謀殺事件』『エジプト十字架事件』『フランスデパート殺人事件』などの「国名シリーズ」、『X』『Y』『Z』『最後の悲劇』からなる4部作の「悲劇シリーズ」など、最高の傑作を生み、アメリカ・ミステリー界を代表する作家となった。のちには「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」(EQMM)を創刊し、編集者・アンソロジストとしても活躍した。

立ち読みフロア
 だれでもハリウッドの空気に六週間以上さらされると、いきなり不治の気違いになる、というのは人のよく知っている事実である。
 エラリー・クイーン氏は蓋《ふた》をあけたトランクの上のスコッチの瓶《びん》を手探りでさがした。
「変人どもの町ハリウッドのために! 飲んでしまおう」彼は残っていたスコッチをがぶ飲みして、瓶をわきに押しやると、荷ごしらえにもどった。「カリフォルニア、おれはおさらばするぞ──泣いてくれる者も、褒《ほ》めてくれる者も、称《たた》えてくれる者もないままに〔ウォルター・スコットの有名な詩〕。でも、平気なんだからな」
 アラン・クラークが例のモナ・リザのような謎《なぞ》の微笑を浮かべた。この微笑を浮かべる人間は、太っていようと痩《や》せていようと、背が高かろうと低かろうと、涙もろかろうと、すれっからしであろうと、すべてハリウッドのマネジャー族のひとりと決めてまちがいない、それは賢人の、聖者の、世をすねた人の浮かべる純粋な分別《ふんべつ》をあらわす微笑なのだ。
「あんたたちのような奇人は最初はみんなこんなふうなことをするんです。しっかりした人は、すぐ料簡をなおしますよ。気の弱い連中は──音《ね》をあげて、ぶつくさ言いながら東部に帰って行くんですがね」
「もし僕を怒らせようとしているのなら」エラリーは出っぱっているゴルフ・バッグを蹴《け》とばしながらうなった。「よしたほうがいいぜ、アラン。僕は狡猾なマネジャー連《れん》の手は、もう覚えちゃったんだから」
「いったいあんたは何を期待したんですい? 撮影所に来る早々、A級の仕事を当てがわれて、記念晩餐《ばんさん》会をココナツ・グローヴででも開いてもらう気だったんですかい?」
「仕事だぜ」エラリーは思ったとおり言った。
「冗談でしょ」と彼のマネジャーは言った。「ここでやるのは仕事じゃないんですよ。芸術なんですよ。レンブラントだって、いきなり初手からシスティナ礼拝堂で幅をきかしたわけじゃなかったでしょうが。まず手口を覚えるだけ準備をしなくちゃ」
「当てがわれた霊廟みたいな事務所にたてこもって、指をしゃぶっているのが準備なのかい?」
「そう、そう」クラークはなだめた。「いいじゃないですか。マグナ撮影所の金じゃないですか。撮影所が六週間分の給料を喜んであんたに投資しようというのなら、先方に何か相当の料簡があると思わないですか?」
「君が僕にきくのかい?」エラリーはいろんなものをトランクにほうりこみながら言った。「じゃ僕が話そう。思わん!」
「あんたはまず映画の感じをつかまなくちゃ、クイーン君、脚本《ほん》にはかかれないでしょう。あんたは日雇い労働者じゃないんだ。作者なんだ、芸術家なんだ──鋭敏な植物なんだ」
「フラップドゥードルだよ、しかも片側に玉ねぎがついている」〔「フラップドゥードル」は「冗談」という意味〕
 クラークはにやっと笑って、帽子に手をかけた。「お見それしやした……それにしても、なぜそうあわてるんですい? ここにいれば未来があるじゃないですか。あんたは趣向《アイディア》係なんだし、このハリウッドでは趣向係というのが、いちばん、もうかるんですぜ。あんたたちがいないと困るんだ」
「マグナ撮影所は僕を六週間の約束で契約したんだ。更新する選択権つきでね。その六週間がきょうできれ、撮影所は選択権を行使しない。そして僕がいないと困るというの? 典型的なハリウッド式の論理だね」
「ニューヨークの事務所の書いた契約書が撮影所では気に入らないんですよ。こっちでは、しょっちゅう、そんなことがあるんです。で、あんたの契約を消滅させておいて、これから新しいのをくれようというんです。今にわかりますぜ」
「僕がこっちに連れて来られたのは、西部劇の原作を一本書いて、そのせりふを書くためだったんだ。僕は六週間に何か一つでもしたか? だれも全然目もくれないし、僕はジェークス・ブッチャーには一度すら会うことも話しすることもできなかった……僕がブッチャーに何度電話したか知っているかい、アラン?」
「あんたはしんぼう強くしなけりゃ、だめですよ。ブッチはハリウッドの天才少年なんですからね。それに、あんたは単なるヘボ──単なる作者なんだから」
「僕の書いたものはそういう証拠にはならないぜ。なにしろ何一つ書きゃしないんだから。いやだ。僕はどうあっても帰る」
「そう、そう」マネジャーは言った。「さあ、この葡萄《ぶどう》酒色のポロシャツを忘れていますよ。あんたの気持はよくわかります。あんたは僕たちの根気が気に入らない。ここではいちばんの親友も信用できない。うしろを向いたとたんに、親友はあんたの盆《ぼん》の窪《くぼ》を踏み台に使う。わかっています。僕たちはろくでなしで──」
「非論理的だ!」
「芸術性がなくて──」
「代用品だ!」
「金《かね》の力にものを言わせて──」
「仲間を傷つけあっている!」
「それでもやっぱり」クラークはにやにやした。「今にあんたはそれが好きになりますよ。みんなそうなるんです。それから、映画のために書けば、二〇二号室のキャドウォーラダ・セント=スウィシンの首を肉切り包丁《ぼうちょう》でぶった切ったのはだれかなんて考えるのより、ずっとたくさん金がもうかりますよ。僕の忠告をきくんですな、クイーン君。そして粘ってみるんですよ」

……冒頭より

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