「第四の郵便屋」

クレイグ・ライス/妹尾韶夫訳

ドットブック 445KB/テキストファイル 144KB

600円

シカゴの路地で発生した連続3件の郵便配達夫殺し。飲み代(しろ)にも困っていたマローンは思わず事件に首を突っ込んでしまうが、事件は簡単どころではなかった。もちろん、相棒のヘレンとジェークのジャスタス夫妻が口を突っ込み、事態はますます混迷の度を深めるばかり。笑いとペーソスが光るクレイグ・ライスの秀作。そもそも「第四」とは?

クレイグ・ライス(1908〜57) アガサ・クリスティの独創性、ダシール・ハメットのスピード感、ドロシー・セイヤーズのウィットを複合して独特の語り口で結合させたと評される、アメリカを代表する女性作家。笑いのある本格ミステリというユニークな作風は、他の追随をゆるさない。他の代表作に「大はずれ殺人事件」「こびと殺人事件」「幸運な死体」など。

立ち読みフロア
 一 朝の口笛

 死体の倒れる音は、放送室でラジオ技手(ぎしゅ)のつくる音響と同じように、聞く人によって感じが異なり、なにかの衝突する音のようでもあれば、重いものが水に落ちる音のようでもあり、軟らかいものが鈍い響きを立ててドサッと落ちる音のようにも聞こえる。
 だが、実のところは、それらをいっしょにした物音というのが、いちばん当たっていて、そのうえ、はるか遠方の出来事かと思うほどかすかで、最後の息が肉体を離れる時の、妙に低い喘(あえ)ぎがそれに伴なう。それは間違いもなく、そうしてまたいつまでも記憶に残る、人間が死ぬ物音である。
 殺人者は武器を手にして待ちながら、その物音のことを想像した。これで三番目になるはずなので、親しみのある物音に違いなかった。
 近くの家で、時計が十時を打った。殺人者はあらゆる神経を緊張させて固くなった。あと数分間である。被害者は自分を待ちうける運命も知らずに、おそらくは口笛さえ吹きながらやって来るであろう。
 たちまち殺人者の咽喉(のど)から、被害者を憐れむ、苦しげな呻(うめ)きがもれた。可哀そうな老人よ、彼は今まで人に危害を加えたことがない。家には妻も子もあるだろう。ことによると孫があるかもしれない。そうしてどこか郊外の小さい家に住み、土曜日の夜は仲間とビールをのみ、日曜日の朝は教会に行くであろう。やがて隠退したら、平穏な恩給生活をしながら、裏庭で鶏やウサギを飼うつもりなのであろう。
 だから――いや、予定を変更することはできない。殺人のような危険で困難な仕事を決行するには、そんなことを考えてはいられない。数日後には、また次の殺人を決行せねばならぬかもしれぬのだ。
 やがて、楽しい朝の、『いとしのローズマリー』の口笛が聞こえた。瞬間、殺人者は目をとじて、被害者の姿を想像した。ずんぐりと背の低い中年を過ぎた男、帽子の下の豊かな半白の髪の毛、血色のよい肥った顔。それがさっさとした足取りで、街を歩いてくる。
 最後の瞬間に、殺人者はその男の名は何というのだろうと考えた。
「自分の妻や子や孫を愛し、土曜日の晩にいっしょにビールをのむ少数の友をもち、日曜日の朝は家族をつれて教会に行き、寄付金を集めるために皿をまわした男、郊外のささやかな住宅における誇らしい生活を支えるに足る給料をもらって、隠退したら、恩給で鶏や兎を飼って、余生を送ろうと思っている男……」
 愉快な口笛が次第に近づく。
 殺人者は武器を握りしめた。
 せめて苦痛を感ぜぬよう、すばやく殺さねばならぬ。
 あやまりのない一撃。
 それから例のかすかな軟らかい物音と、息をひきとる喘(あえ)ぎ――


 二 検挙

「郵便配達夫を殺してまわるなんて人間が、世の中にいるんだろうかね?」とフォン・フラナガンがいった。
「そりゃいるだろうよ、月始めの、請求書がどっさりくる時期にはね」とジョン・マローンがいった。
 刑事課のフラナガンは、さもおかしそうに笑って、さらに二杯目の飲み物を注文し、
「はじめ、配達夫が殴り殺された時には、僕は個人的な怨恨が殺人動機かと思った。配達夫でも個人的な生活というものを持っているからね。だが、二度目に配達夫が殺されると、もう面倒臭くなって、ほかのゆすりの殺人や浮浪者の殺人に手一杯で、この事件に注意しなくなった」
 マローンがうなずいた。なるほど、そう云えば彼は、事件からわざと遠ざかっているふうに見えた。
 フォン・フラナガンは言葉をつづけて、「しかし三人目の配達夫が殺され、しかも同じ場所で殺されたと知るに及んで、急にこの事件に興味を持ちはじめたのだ」
 アイルランド出の小柄な弁護士は、ぴかぴか光るカウンターに肘をついて溜息をついた。要するにこの大男の警官は、この事件に関して、なにかの助言、あるいは助力を得たがっているのだ。今までこの事件に関係すまいと思っていたが、それは間違いであった。
 フラナガンは話をもとに戻して、
「いったい何の必要があって、郵便配達夫を殺したのだろう?」
 それはマローンにもわからなかった。こう問われて、今さらのように、この事件に興味をそそられるのであった。警官、銀行員、コーラス・ガール、金持ち、弁護士などが殺されたのならうなずけるが、配達夫が殺されたのでは、筋道が立っていないように思われる。
「窃盗?」しばらくして彼が云った。
 フラナガンは首を振った。
「ところが配達夫が持っていた物は、なにひとつ盗まれていないのだ」手に持つジンジャーエールの杯をしかめ面で覗きこみながら、「三人の配達夫が、三人とも同じ場所で殺され、それがまた同じ手口、日は違っても同じ時刻ときているんだから不思議じゃないか。しかも近くには大きい家ばかり」
 まるで大きい家ばかりの区画で殺人があったのが不服なような口ぶりである。

……冒頭より


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