「ふらんす物語」

永井荷風/作

ドットブック版 302KB/テキストファイル 169KB

600円

異国趣味、なかでもフランスに対する憧れと思い入れに横溢する若き日の荷風の代表作であり、耽美派の源流をかたちづくった記念すべき作品。だが、インドへ出稼ぎに行くイギリス人の鉄道工夫たちがロンドンの下町で聞くような流行歌を歌うのを帰路の船中で聞いたとき、荷風はこう書く…「幸福な国民ではないか。イギリスの文明は下層の労働者にまで淋しい旅愁を託するに適すべき一種の音楽を与えた。明治の文明。それは吾々に限り知られぬ煩悶を誘(いざな)ったばかりで、それを訴うべく託すべき何物をも与えなかった」と。

永井荷風(ながいかふう 1879〜1959)東京小石川生まれ。東京外国語学校清国語科中退。ゾラの影響をうけ「地獄の花」を書き自然主義文学の紹介者となったが、アメリカ、フランスに遊学後「あめりか物語」「ふらんす物語」を発表、以後一貫して唯美主義的作風で知られた。一時は「三田文学」を主宰、江戸芸術に傾倒した。代表作は花柳界、私娼を舞台にした「腕くらべ」「墨東綺譚」など。その反権力姿勢は終生かわらず、1917〜59年にわたる貴重な世相記録でもある日記「断腸亭日乗」を残した。

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船と車

 紐育(ニューヨーク)を出帆して丁度一週間目、夜の十時半に初めて仏蘭西のル・アーヴル港に着した。
 自分は船客一同と共に、晩餐後は八時半頃から甲板に出て、次第に暮れかける水平線の彼方はるかに星かと見ゆる燈火(とうか)をば、あれがル・アーヴルの港だと云って打眺(うちなが)めていたのである。
 海は極く静(しずか)に空は晴れていた。しかも陸地へ近(ちかづ)きながら、気候は七月の末だと云うのに、霧や雨で非常に寒かった大西洋の沖合とまだ少しも変りはない。自分は航海中着ていた薄地の外套(がいとう)をばまだ脱がずにいた。
 見渡す海原の彼方此方には三本檣(マスト)の大きな漁船が往来している。無数の信天翁(あほうどり)が消え行く黄昏の光の中に木葉の如く飛交(とびちが)う。遠い沖合には汽船の黒烟が一筋二筋と、長く尾を引いて漂っているのが見える――どうしても陸地へ近づいて来たと云う気がすると同時に、海の水までが非常に優しく人馴(な)れて来たように見え初めた。
 かの遠くの燈火はこの愉快な心地の弥増(いやま)すにつれ、夜の次第に暗くなるに従い、一ツ一ツふえて来て、遂(つい)にあれが燈台、あれが街の灯(ひ)と云う区別さえが付く様になった。ル・アーヴルの市街は山手に近いと見えて燈火が高い処まで散点している。その高い山の上からは忽然(こつぜん)鋭い探海燈の光が輝き出した。
 自分は云うまでもなくモーパッサンの著作――情熱(La Passion)、叔父ジュール(Mon oncle Jules )又は兄弟(Pierre et Jean)なぞ云う小説中に現れているこの港の叙景を思い浮べて、大家(たいか)の文章と実際の景色とを比べて見たいと一心に四辺(あたり)を見廻していたのである。
 然し夜の為めであったか自分は遺憾ながらもそれかと思うような景色には一ツも出会わぬ中(うち)に、船は早や海岸に近く進んで来た。岸は一帯に堅固な石堤(いしづつみ)で、その上は広い大通になっているらしく、規則正しく間を置いて、一列の街燈が見事に続いている。この光を受けて海辺の人家が夜の中に静かに照(てらし)出されている様子は、遠くから見るとまるで芝居の書割(かきわり)としか思われぬ。(久しく屋根のない真四角な紐育の高い建物ばかり見ていた眼には、仏蘭西の人家が如何にも自然に、美しく、小さい処から、一際(ひときわ)画(え)のように思われるのである)
 船は非常に速力を弱めながら二三度続けて汽笛を鳴らす。長い反響が市街から山手の方ヘと進んで行った。海辺(かいへん)から人の叫ぶ声が聞える。続いて舞踏の音楽が波の上を渡って来る……。もう何もかも明(あきら)かに見え初めた。海岸通りには夏の夜を涼みにと男や女が散歩しており、飲食店らしい店の戸口には美しい灯(ひ)が見え、その中にも一軒際立(きわだ)って水の上にと突出ている大(おおき)な家の中では、眩(まばゆ)い電燈の下で人が大勢踊っている。「しゃれた処にカジノがある」と自分の傍(そば)に立っている男が独言(ひとりごと)を云った。
 石堤の下には小形の蒸汽船が幾艘も繋いであり、又少し離れた水の上には大きな汽船が浮いているので、自分の乗っている船もその辺の岸に碇(いかり)を下す事だと思っていたが船は石堤に添いながら猶(なお)静かに進んで行く。岸の上に遊んでいる子供や娘が甲板からハンケチを振って人の呼ぶ声に応じて、同じ様に叫びながら一生懸命に船を追かけて堤の上を馳(はし)っている。然し、船は遅いようでも非常に早い。何時(いつ)か岸伝いにもう街端(まちはず)れらしい処へ来た。人家は次第に少くなって、岸には石造の倉庫が幾棟と立ちつづき、わが乗る汽船と同じ様な汽船が二三艘向うの波止場に横付けにされている。即(すなわち)、トランスアトランチック会社のドックに入ったのである。船が初めて進行を止めるや否や水夫が勇しく声をかけて船梯子(ふなばしご)を下した。梯子の向うは直(ただち)に汽車のステーションで、甲板からも見えるような処に、

TRAIN SPECIAL POUR PARIS
     H
    7 55, A. M.

 巴里(パリー)行特別列車午前七時五十五分発と大きく掲示してある。甲板では大分(だいぶ)不平を云うものもあったが仕方がない。船なりホテルなり、是非にも一夜を明さねばならぬ。

……冒頭より


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