「豪勇ジェラールの冒険」

コナン・ドイル/秋田元一訳

ドットブック版 237KB/テキストファイル 174KB

500円

シャーロック・ホームズで人気絶頂にあったドイルが、どうしても書きたくて書いた歴史小説の代表作。ジェラールは祖国フランスとナポレオンに忠誠をつくす快男児。「シラノ」と同じガスコーニュ男児で、剣術と馬術にかけては並ぶ者なく、美女にはからっきし弱い。ヴェネチア、サラゴサ、ミンスク、ワーテルローなど、ナポレオン戦争中の各地で豪胆ぶりを発揮する。大言壮語と自己陶酔が大いに笑いをよぶ痛快回顧談。
立ち読みフロア
 ところで、わしが話そうと思うのはヴェネツィアのことだ。あそこの連中は、まるで泥の浅瀬にいるどぶねずみ《ヽヽヽヽヽ》みたいに暮らしている。だが家屋はなかなかたいしたもので、教会、とりわけサン・マルコ寺院は、わしがこれまでに見たどれよりもすばらしいものだ。しかしなんと言っても、ヴェネツィアの人たちの自慢の種は彫像と絵画だ。ヨーロッパでもっとも有名なものがそろっているからな。数ある軍人のなかには、戦争をするのが商売だから、戦闘と略奪以外には頭をつかうべきでない、と考えている連中も多い。たとえばブーヴェ――わしが皇帝陛下から勲章をいただいた日にプロシャ兵に殺された男だ。もし、あの男を野営や酒保から連れだして、書物とか美術とかの話を吹っかけようものなら、きっと奴さんはきょとんとして目を白黒させたことだろう。最高の軍人なら、まずはわしのように、精神と霊魂にかんする事柄も理解できるものなのだ。事実、わしが軍隊にはいったのはごく若いときだったし、補給係将校がわしの唯一の師匠だった。しかし目をしっかりと見開いて世間をわたっていけば、自然といろいろなことが学べるものだ。
 こういうわけで、わしはヴェネツィアの絵画を鑑賞し、それを描いたティツィアーノやフラ・アンジェリコなどというすぐれた画家を知ることができた。それに、ナポレオン皇帝陛下は絵がわからなかったとは、だれも言えまい。というのはヴェネツィアを攻略したとき、いのいちばんにおやりになった仕事は、選り抜きの絵画をパリへ送ることだったからだ。われわれ一同も分捕れるだけ分捕ってきたものだ。わしも自分のわけまえとして二枚の絵を手にいれた。一つは『女精《ニンフ》たちの驚き』と題するもので、これは手もとに残してある。いま一つの『聖バルバラ』という絵はおふくろ《ヽヽヽヽ》にプレゼントしてしまった。
 それにしても、われわれの部下のなかに、彫像と絵画のことでたいへんな不始末をしでかした者がいたことは認めざるをえない。ヴェネツィアの人たちはこういうものにとても愛着を感じていたし、大寺院の門の上にあった四頭の青銅の馬にいたっては、まるでわが子みたいにかわいがっていたものだ。わしにはむかしから馬を見る目があったので、つくづくとこの馬の銅像をながめたものだが、とりたてて感心できる代物とは思えなかった。鈍重そうな脚は軽騎兵の軍馬にはむかず、かといって砲車をひかせるには体重がたりなかった。それでもヴェネツィア市内の馬となると、生きている、いないにかかわらず、この四頭しか見あたらないのだから、馬にかんする知識を市民に期待しても、それはむりというものだ。この馬の銅像がパリへ運びさられてゆくとき、ヴェネツィアの人びとは悲しみのあまり涙をながした。フランス軍の兵士十人の死体が運河に浮かんだのは、その晩のことだ。この殺人事件の仕返しとして、さらに多くの絵画が送りだされ、フランス兵は彫像を破壊したり、マスカット銃をステンドグラスの窓にむけて発砲したりした。このことが住民を激昂させ、ひどく険悪な感情が市中にみなぎった。多数の将校や兵士がその冬のあいだに姿を消し、死体すら出てこなかった。
 ところでわしはどうかというと、することがいっぱいあって、時間を持てあますということは決してなかった。どこの国にあっても、その国の言葉を学ぼうとするのがわしのしきたりだ。このために、わしはいつもそこの言葉を教えてくれる親切な女性をさがして、稽古をつけてもらうのだ。外国語を身につけるには、これがいちばんおもしろいやりかただ。こういうわけで、わしは三十にならぬうちに、ヨーロッパのほとんどすべての言葉が喋れるようになった。だが正直な話、こうして学んだ言葉はふだんの生活にはあまり役にたたないものだ。たとえばわしの仕事はたいてい、兵士と百姓が相手だから、「わたしが愛しているのはあなただけです」とか、「戦争が終わったら帰ってきます」とか喋れたところで、それがなんの役にたつだろうか?
 ヴェネツィアで教えてくれた女性ほど、かわいい先生はいなかった。ルチアという名で、姓は――だが男というのは姓などおぼえていないものだ。ただ、これだけは言っても差しつかえあるまい。彼女はヴェネツィアの名門の出で、祖父はこの町の総督をつとめたということだ。彼女は絶世の美人だった――諸君のまえだが、このエティエンヌ・ジェラールが『絶世の』という言葉をつかうときは、それなりの意味をこめているのだ。わしには判断力がある。さまざまな思い出がある。比較する手だても知っている。これまでにわしを愛した女性のうち、この言葉が当てはまるのは二十人とはおるまい。しかし繰りかえして言うが、ルチアは絶世の美人だった。ブルネットの髪をした女のなかでは、トレドのドロレス以外に彼女と並ぶ者は思いだせない。マセナ元帥に従ってポルトガルに遠征したとき、サンタレムでかわいがってやった娘もブルネットだった――名は、ちょっと忘れた。あれも非の打ちどころのない美人だったが、ルチアの容姿と気品にはかなわなかった。アグネスというのもいた。いずれも優劣はつけがたいが、ルチアはいかなる美女にもひけをとらぬと言っても、なんら不当でない。
 わしがルチアにはじめて会ったのは、いまお話しした絵画の一件からだ。彼女の父親は大運河(グランド・カナル)のリアルト橋のむこうがわに宏壮な邸宅をかまえていた。家のなかはいたるところに壁画が描かれていたので、シュシェー元帥が工兵隊を派遣して、壁画の一部を切りとってパリへ送るように命じた。わしは工兵隊について行ったのだが、そこで泣きぬれているルチアの顔を見てからは、壁画を壁からはがすとひびがはいりそうな気がしてきた。で、そのむね工兵隊に伝えると、連中は引きあげて行った。この一件があってから、わしはこの家族と親しくなり、父親といっしょにキャンティ酒を何本もあけ、娘からはうっとりとするようなレッスンをたんとつけてもらった。
 この年の冬、フランス軍の将校のなかにはヴェネツィアで結婚した者もいる。わしもその気になれば結婚できたかもしれない。なにせ、ルチアにはぞっこん惚れこんでいたのだから。だが、このエティエンヌ・ジェラールには、なにものにも代えがたい剣が、馬が、連隊が、おふくろが、皇帝陛下が、それに栄達があった。粋《いき》な軽騎兵の心のなかには、恋する余地はあっても、妻の占めるべき場所はない、そう、あのころのわしは考えていたものだよ、諸君。わしにはわからなかったのだ。あの消えうせたなよやかな手をいまいちど握りしめたくなろうとは。むかしの同僚がすっかり成長した子どもたちにかこまれて、安楽椅子にくつろいでいるのを見るたびに、思わず顔をそむける淋しい日々が訪れてこようとは。このような恋愛を、当時のわしは戯れとか、慰さみ程度にしか考えていなかった――ようやくいまごろになって、恋愛こそ人生を形成するものであり、ありとあらゆるもののうちでもっとも厳粛で、もっとも神聖なものだということがわかった……や、これは、これは、どうもありがとう! これはいい酒だ。もう一本やっても体に障《さわ》ることはあるまい。
 さてここで、ルチアを愛するがために、これまで出くわしたさまざまな驚くべき冒険のなかでも、もっとも怖ろしい事件がおこり、そのためにわしの右耳の上の部分をなくすにいたった顛末《てんまつ》をお話しすることにしよう。諸君からもこれまでずいぶんと、どうして右の耳が欠けているのかというお尋ねがあった。この話をするのは今晩がはじめてだ。

……「第一話 ジェラールが耳をなくした話」より

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