「ガラス玉演戯(上下)」

ヘッセ/高橋健二訳

(上)ドットブック 304KB/テキストファイル 239KB

(下)ドットブック 303KB/テキストファイル 235KB

各700円

精神的なユートピア「カスターリエン」にあこがれ、その指導者となる運命に導かれるクネヒトの伝記というかたちをとって、戦争と雑文文化の20世紀に対する文明批判を盛りこんだ未来小説。だが、「ガラス玉演戯名人」という最高位に昇りつめたクネヒトは最後に、現実遊離の精神性だけの生活に疑問をいだき、現実の世界のなかでの「教師」という奉仕の道を選びとる。……作家ヘッセの最後の長編であり、これ以前に書いた「郷愁」「デーミアン」「知と愛」「シッダールタ」「荒野の狼」などを通じて一貫して追求してきた「魂の救済」の総決算をなす大作。読みやすいとは決していえないこの作品は、とくに戦後のドイツにおいて驚くほど多くの読者を獲得するとともに、ヘッセがノーベル文学賞に輝く契機ともなった。

ヘルマン・ヘッセ(1877〜1962) 南ドイツの小さな町カルヴの宣教師の息子。時計の歯車磨き助手、書店員などをへて、「郷愁」で広く認められて作家に。作品はすべて自伝的で、苦悩をへてある種の解脱へと到達する内容が特色となっている。代表作「郷愁」「車輪の下」「デーミアン」「荒野の狼」「知と愛」「シッダールタ」「ガラス玉演戯」。

立ち読みフロア


 ガラス玉演戯の記録の中で演戯名人ヨゼフス三世と呼ばれているヨーゼフ・クネヒトに関して見つけ出しえたわずかな伝記的材料を、この本に確保しておくことが、われわれの意図である。この試みが、現在行われている精神生活の法則や習慣とある程度矛盾しているという、あるいは矛盾するように見えるという事実に対し、われわれは盲目ではない。個人的なものを解消させ、個々の人格を教育庁や学問の聖職制度の中にできるだけ完全に織りこむことこそ、われわれの精神生活の最高の原則の一つである。それに、この原則は、長い伝統のうちに非常に広い範囲で現実化されたので、この制度に特にきわだって奉仕した個々の人物の伝記的な、心理的な事柄の詳細な点を見つけ出すことは、今日では非常に困難であるばかりか、多くの場合、まったく不可能である。人名さえ確かめられない場合が非常に多い。実際われわれの州の精神生活の聖職制度的組織が、匿名であるという理想を持ち、またその理想の実現にきわめて近づいていることが、われわれの精神生活の特徴なのである。
 それにもかかわらず、演戯名人ヨゼフス三世の生活の一端を書きとめ、彼の人格のおもかげをほのかに素描しようという試みを固執したのは、個人崇拝のためでも、われわれの信じる風習に対する反抗のためでもなく、むしろ真理と学問に奉仕する精神からにほかならない。古くから行われている考えによれば、われわれが一つの命題を鋭く仮借なく公式化すればするほど、それは逆らいがたい力で反対命題を呼び起すものである。われわれの官庁と精神生活との匿名的な特徴の基礎になっている考えを、われわれは肯定し、尊敬する。しかし、ほかならぬこの精神生活の前史を、特にガラス玉演戯の発展を一見すると、否応《いやおう》なしに明らかになることであるが、発展の姿、拡張、変化、本質的な時期などのおのおのが、進歩的に解釈されるにせよ、保守的に解釈されるにせよ、真の主導者であるただひとりの人間を示さないまでも、変化を生ぜしめ、改造と完成に寄与した人物を通して、最も明らかにその面目《めんぼく》を、必ず示しているのである。
 もちろん、今日われわれが人格と解しているものは、昔の伝記筆者や歴史家が考えていたものと、著しく異なったものである。彼らにとっては、特に、伝記趣味が顕著であった時代の者にとっては、どうやら、人格の本質的な点は、変則的なもの、破格なもの、一回ぎりのもの、いや、往々まさしく病的なものであったようである。これに反し、われわれ今日の人間が重要な人格と称するのは、あらゆる独創性や特異性を越えて、一般的なものの中に能《あと》うかぎり完全に織りこまれ、超個人的なものに能うかぎり完全に奉仕することのできたような人間に出会った場合に、初めていうことなのである。

……巻頭より


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