「風と共に去りぬ」(二)

マーガレット・ミッチェル/大久保康雄・竹内道之助訳

ドットブック 354KB/テキストファイル 234KB

600円

チャールズはまもなく南北戦争に出征して戦死する。チャールズの子を宿していたスカーレットはアトランタヘ移り、そこで夫アシュレを戦場に送ったメラニーとともに暮らすことになる。そのころ、北軍の封鎖を破って南軍のために物資を供給する英雄的風雲児があった。それが、彼女をからかったあのレット・バトラーであった。やがて南軍はじりじりと後退し、北軍はアトランタに迫り町は猛火に包まれる。スカーレットは何としてでも臨月のメラニーをつれて逃げ出さねばならない。途方に暮れた彼女はバトラーに相談すると、彼はすぐさま一台のボロ馬車を調達して、脱出の手助けをしてくれた。だが、ようやくたどり着いた故郷のタラでは、すべてが一変していた……。
立ち読みフロア
 つぎの週のある午後、スカーレットは、くたくたに疲れ、ひどく腹を立てて病院から帰ってきた。疲れたのは午前中立ちどおしだったからだし、癇(かん)にさわったのは寝台に腰かけたまま負傷した兵士の腕に包帯をしてやったというので、メリウェザー夫人からひどく叱られたからだ。ピティ叔母とメラニーとは、いちばん上等のボンネットをかぶり、ウェードとプリシーを連れてポーチへ出て、毎週おきまりの慰問まわりに出かけようとしていた。スカーレットは、口実をもうけて同行をことわり、二階の自分の部屋へあがった。
 叔母たちの乗った馬車の最後の音が遠く消え、家族の者がいなくなって、もうだいじょうぶだと知ると、こっそりメラニーの部屋へしのびこんで鍵をかけた。きちんとした清潔な小部屋で、しんと静まりかえり、午後四時の日の光がさしこんでいて暑かった。床は、つやつや光っていて、二、三枚の明るい屑織(くずおり)の敷物以外は、なにも敷いてなかった。まわりの白い壁にも、メラニーが聖壇としてしつらえた一隅(ぐう)をのぞけば、なんの装飾もなかった。
 その一隅には、南部同盟旗を壁にたらし、その下にメラニーの父がメキシコ戦争のときたずさえた金色の柄(つか)の剣がかけてあった。チャールズも、この剣を腰につけて戦場へ出かけたのだ。チャールズの肩帯も拳銃の革帯も、そこにかけてあった。革鞘(かわざや)におさめた拳銃もあった。剣と拳銃のあいだに、チャールズ自身の銀板写真がかざってあった。グレーの軍服を着て、ひどくぎごちなく、誇らしげで、大きな茶色の目が額縁から光っていた。口もとは恥ずかしそうに笑っていた。
 スカーレットは、写真には一瞥(いちべつ)もくれず、部屋を横ぎって、せまい寝台のそばの机の上においてある四角い紫檀(したん)の文箱(ふばこ)のところへ行った。そして、なかから、紫のリボンでたばねた、アシュレの筆跡の、メラニーにあてた手紙の束をとり出した。いちばん上に、その朝きたばかりの手紙があった。それを彼女はひらいた。
 最初この手紙の束を読みだしたころは、ひどく気がとがめ、見つかるのがこわくて、封筒があけられないほど手がふるえたものだった。しかし、いまはもう、盗み読みを何度もくりかえすうちに、もちまえの、あまり物事を複雑に考えない廉恥心の麻痺(まひ)で、見つけられたらという恐怖さえ消えてしまった。時おり、(母が知ったら、なんていうだろう)と思うと、さすがに気が沈んだ。エレンは、こんな恥ずかしい罪をきかせられるくらいなら、娘が死んだほうがましだ、と言ってなげくだろう。はじめのうちは、これがスカーレットを苦しめた。というのは、いまでも彼女は、なにからなにまで母親のようになりたいとねがっているからだ。しかし、手紙を読みたいという誘惑は、あまりにも強く、エレンを思う心をかたわらへ押しのけた。このごろでは、いやな考えは、たくみに心からはらいのけるようになっていた。自分の心に言いきかせることばをおぼえたのだ。(そんな面倒なことは、いまは考えたくない。明日考えることにしよう)明日になると、たいてい、ぜんぜん思い出しもしないか、思い出しても、一日たっているため、もう気が抜けてしまって、それほど心をわずらわさなくなっていた。だから、アシュレの手紙のことも、それほどひどくは気がとがめなかった。
 メラニーは、いつもアシュレからの手紙を、気まえよく、一部分だけピティ叔母とスカーレットに読んできかせた。しかしスカーレットをなやませるのは、読んできかせてくれない部分だった。そのため、ひそかに義妹あての手紙をひらいてみたい気持にかりたてられたのだ。彼女がどうしても知りたかったのは、アシュレが結婚してから妻を愛するようになったかどうかということだった。妻を愛するふりをしているのではないだろうかということだった。やさしい愛情をこめて妻によびかけているのだろうか? どんな感情を見せているのだろう? 妻にどんなあたたかい気持をもっているのだろう?
 彼女は、ていねいに手紙の折り目をなでてのばした。
 アシュレの小さなととのった字が、ぱっと目にはいった。「愛する妻よ」――それを読むと、ほっと安心した。「最愛の妻」とか「恋しき妻」とはよんでいないからだ。
「愛する妻よ、きみは手紙で、ぼくが本心をかくしているのではないか、それが心配だ、と書いてよこした。そして、このごろぼくがなにを考えているか、それを知りたいと書いている――」
(たいへんだわ)とスカーレットは、罪悪感に狼狽(ろうばい)して考えた。(本心をかくす? では、メラニーは、あのひとの本心を読みとったのだろうか? それとも、あたしの心がわかったのだろうか? メラニーは、あのひととあたしのことを疑っているのだろうか?)
 恐ろしさに手をわななかせながら手紙を目に近づけた。しかし、つぎのくだりを読むと、ほっと安心した。
「愛する妻よ、もしぼくが、なにかかくしていることがあるとすれば、それは、ぼくの精神上のおちつかないなやみまで知らせて、ぼくの肉体の安全を心配してくれるきみに、それ以上の心配をかけたくないためだ。といって、ぼくはきみになにかをかくすということは、とてもできそうもない。そういうぼくの性質を、きみは、よく知っているはずだ。心配してくれるにはおよばない。ぼくは、かすり傷一つ負っていないし、病気でもない。食べ物もじゅうぶんあるし、時には寝台で寝ることもできる。軍人として、これ以上望むことは無理というものだろう。しかし、メラニーよ、重苦しい思いがぼくの心にのしかかっている。これから、きみにその気持を伝えよう。
 夏の夜のこのごろ、ぼくは目がさえて、陣地が寝静まったあと、いつまでも起きていることがある。空の星を見上げて、なんどとなく自分に問いかける。『アシュレ・ウィルクスよ。おまえは、なぜここにいるのだ? なんのために戦っているのだ?』
 名誉のためでないことはたしかだ。戦争は、きたない仕事だ。そしてぼくは、きたないことがきらいだ。ぼくは軍人ではないのだ。大砲の前に立ちはだかり、うたかたの名誉などを求める気持は、すこしもない。それなのに、ここへきて戦っている。しかも、そのぼくという人間は、神が勤勉な田舎紳士以上のものにしようなどとはしなかった人間なのだ。わかるだろうか、メラニー。ラッパのひびきをきいても、ぼくの血はわかないし、太鼓の音をきいても、ぼくは、とび立つ気持にはならない。われわれが、これまで裏切られてきたことを、ぼくはあまりにもはっきりと知っているのだ。南部のひとりは、ゆうに十余人の北軍に匹敵すると信じ、南部の綿花が世界を支配しうると信じる南部の傲慢(ごうまん)に裏切られ、そして、われわれが尊敬し崇拝した人々の口から叫ばれる『綿花王、奴隷制、州権、打倒ヤンキー』などという標語や人気とりのことばや偏見や憎悪に裏切られたのだ。……
 

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