「風と共に去りぬ」(三)

マーガレット・ミッチェル/大久保康雄・竹内道之助訳

ドットブック 336KB/テキストファイル 214KB

600円

スカーレットが故郷にたどりついてみると、わが家も戦禍を被っていた。母はチフスのため死に、二人の妹も病に倒れ、その打撃で父のジェラルドは廃人同然となっていた。小さな子供をかかえたスカーレットは、一時は気ぬけしてその場にすわりこんでしまうが、思い直して敢然と立ちあがり、生まれてはじめて土にまみれて働いた。だが彼女の細腕でささえるにはあまりにも生活は苦しかった。南軍の敗北で戦争は終わった。捕虜になっていたアシュレも帰ってきた。北軍の地方政庁から大金の納税命令をうけたとき、農園を売るより仕方のなくなったスカーレットはふたたび、バトラーに会いにいった。彼は黒人を射殺した疑いで投獄されていた。恥を忍んで会いにきたスカーレットに、バトラーはまじめとも冗談ともつかぬ調子で、「あなたの肉体を抵当にするなら金を用立ててもよい」と言った……。
立ち読みフロア
 あくる朝、スカーレットのからだは、きのう何マイルも歩いたり馬車にゆられたせいで、こわばり痛み、ちょっと動いても、ひどい苦痛を感じた。顔は日やけで赤くなり、まめのできた手のひらは生皮がむけていた。舌には苔(こけ)ができ、のどは炎に焼かれたようにかわき、いくら水を飲んでも、かわきがとまらなかった。頭ははちきれそうで、目を動かしても痛かった。胃は妊娠した初期のころを思い出させるほどむかつき、朝の食卓で湯気をたてるサツマイモががまんできず、においをかぐのさえたまらなかった。それは、はじめて強い酒を飲んだからで、ありふれた宿酔(ふつかよい)というものにすぎないと、ジェラルドなら説明してやれるわけだが、彼は、なにも気がつかないようだった。食卓の主人役の席についてはいたが、この灰色の老人は、にぶいうつろな目をドアにそそぎ、小首をかしげて、エレンのペティコートの衣(きぬ)ずれの音をきき、レモン・バーベナがにおうのを待っているかのようだった。
 スカーレットが食卓につくと、彼は、つぶやいた。「お母さんを待つことにしよう。すこしおそいようだな」彼女は痛む頭をあげ、信じられない面持ちで父をながめた。すると、ジェラルドのいすの背後に立ったマミーの訴えるような目とぶつかった。スカーレットは片手をのどにあて、ふらふら立ち上がって、朝日の光のなかで父を見おろした。彼は、ぼんやりとした目で娘を見つめた。父の手は、ぶるぶるふるえ、頭もかすかにふるえていた。
 ジェラルドが命令をあたえてくれるのを、そして、なすべき仕事を言いつけてくれるのを、どれほど自分が当てにしていたか、それを、このときまで彼女は自覚していなかった。それが、いまは――昨夜の父は、ほとんど普通と変わらないように見えたのに、どうしたというのだろう? なるほど昨夜も、いつものようにどなりもせず、元気もなかったが、しかし、とにかく、すくなくとも話すことだけは、つじつまが合っていた。それなのに、いまは――いまはエレンが死んだことさえ忘れているようだ。北軍の来襲と、妻の死と、この二つの衝撃によって正気をうしなってしまったのだろう。彼女が口をひらこうとすると、マミーは、はげしく首をふってとめ、エプロンをひっぱりあげて赤くなった目をこすった。
(まあ、お父さんが気が狂うなんてことがあるのだろうか?)と、スカーレットは思った。この新しい心痛のために、彼女のうずく頭は、われるように痛みだした。(いや、お父さんは、ただ頭がぼんやりしているだけなのだ。一時的な病気みたいなものだ。じきなおるにちがいない。でも、もしなおらなかったら、どうしたらいいだろう?――だが、いま、そんなことは考えたくない。父のことも、母のことも、そのほか、そのような恐ろしいことは、なにも、いま考えるのはよそう。考えることに耐えられるまでは、なんにも考えないことだ。それにしても、考えなければならないことが、なんとたくさんあることだろう――どうにも手のつけられないものをのぞくとしても、どうにかなりそうで、だから、どうにかしなければならないものが、たくさんあるのだ)
 彼女は、なにも食べずに食堂を出た。そして、裏のポーチへ出ると――いちばん上等の制服の、しかしいまは見る影もなくぼろぼろになったのを着たポークが、素足で、階段に腰かけてピーナッツの皮をむいていた。頭が槌(つち)でたたかれたようにずきずき痛み、明るい朝の陽光が、するどく目を刺激した。ただ立っているだけでも相当の努力だった。そこで彼女は、黒人には親切にていねいに接しなければならないと絶えず母から教えられた形式を抜きにして、できるだけ簡単に話をすすめた。
 彼女が、あまりにぶあいそうに質問をはじめ、あまりに断定的に命令をあたえたので、ポークは、とまどったように眉毛をあげた。エレン夫人は、だれにたいしても、たとえひなどりやスイカを盗んだ者をつかまえたときでも、けっしてこんなふうにぶあいそうにものを言ったことはなかった。スカーレットはあらためて農園や菜園や家畜のことをたずねた。彼女の碧色(あおいろ)の目には、それまでポークが一度も見たことのないきびしい光があった。
「あの馬は死にましただ。わしが、つないでおきましただが、バケツをひっくりかえして、そのなかに鼻を突っこんで死んでいましただ。牝牛(めうし)は、だいじょうぶでがす。まだ知らねえだかね、あいつめ、昨夜子を生みましただよ。あんなに啼(な)いたのは、そのせいですだ」
「おまえのところのプリシーは、さだめしいいお産婆さんになるだろう」と、スカーレットは皮肉をこめて言った。「あの娘(こ)は、牝牛が啼くのはお乳が張るからだといってたわ」
「だけんど、プリシーは、べつに牝牛の産婆にするつもりはねえだよ、スカーレット嬢さま」とポークは如才なく言った。「子を生めば牝牛も一人前ですだで、あの北軍の軍医も、お嬢さまがたにはバターミルクが必要だというとりましたが、そのバターミルクが、いまにどっさりととれますだ。だから、あんまり事を荒だてねえようにねがいますだ」
「わかったわ。家畜は残っていないの?」
「なんにも残ってねえだ。年寄りの牝豚が一頭と子豚が残っていましてな、北軍が押しかけてきた日、わしが沼地へ追いこんでおきましただが、それがいまどこにいるかわからねえですだ。性悪(しょうわる)な牝豚ですわい」
「それをつかまえなければいけないわ。おまえとプリシーとで、これからすぐつかまえてきなさい」
 ポークは、おどろくとともに、ひどく腹を立てた。
「スカーレット嬢さま、それは野良働きの奴隷のするこってごぜえますだ。わしはむかしから内働きの奴隷でごぜえますだよ」
 スカーレットの目から、さっとするどい火花が散った。
「ふたりで牝豚をつかまえてくるんです――それがいやなら野良働きの奴隷みたいに家から出て行ってもらうよ」
 ポークのくやしそうな目に涙がうかんだ。ああ、エレンさまさえいてくだすったら! 夫人なら、その区別を知っていらっしゃるはずだ。野良働きと内働きの仕事の大きな相違を理解していらっしゃるはずだ。
「出て行けとおっしゃいますだが、スカーレット嬢さま、いったい、どこへ出て行きますだ?」
「どこへ行こうと、あたしの知ったことじゃないわ。でも、タラで働きたくない者は、勝手にヤンキーのあとでも追いかけるんだね。ほかの連中にも、そういっておくれ」
「かしこまりましただ」
「それから、トウモロコシと綿の畑はどうなっているの、ポーク?」
「トウモロコシでごぜえますか? スカーレット嬢さま、やつらは、馬を、トウモロコシ畑にはなして、そのあげく馬が食べたり荒らしたりした残りまでもってってしめえましただ。それから、綿のほうは、畑の上で砲車や馬車をひきまわしたもんだから、みんなめちゃめちゃになってしめえましただ。ただ川向こうの小さな綿花畑だけは、やつらの目にとまらなかっただが、あんなものは荒らすほどのこともねえだ。せいぜい三梱(こり)ぐれえのもんでしょうからね」
 三梱。普通タラで産出される梱数を考えてスカーレットの頭はいっそう痛んだ。三梱。それでは、あの無能なスラッタリー家でつくり出す額と、いくらもちがわないではないか。そのうえ、こまったことに税金の問題があった。南部同盟政府は、現金のかわりに綿花を納入させたが、三梱では税金にもたりなかった。しかし、野良働きの奴隷は、みんな逃げてしまい、綿花の摘み手がひとりもいなくなったいまとなっては、それは彼女にとっても南部同盟政府にとっても、たいした問題ではなかった。
(いいわ。もう、そんなことは考えないことにしよう)と彼女は思った。(税金なんて女の仕事じゃないもの。そんなことは、父が、なんとかしてくれるだろう。でも、父は――しかし、いま父のことを考えるのはよそう。政府は、かってにあつめるがいい。どうせあつまりはしないのだ。いまあたしたちに必要なのは食物なんだ)
「ポーク、おまえたちのなかで、だれかトウェルヴ・オークス農園かマッキントッシュ農園へ行って菜園になにか残っているかどうかしらべた者はいないのかい?」
「だれもおりましねえだ! みんなタラから一歩も出なかっただよ。ヤンキーにでもつかまると、たいへんだからね」
「ディルシーをマッキントッシュの屋敷へ行かせることにしよう。なにか見つかるかもしれない。あたしはトウェルヴ・オークスへ行ってみるわ」
「だれかとごいっしょに行くんでごぜえますか、お嬢さま?」
「ひとりで行くわ。マミーは妹たちから手をはなせないし、お父さまはだめだし――」
 ポークは金切り声をあげてとめたが、それが彼女をじりじりさせた。トウェルヴ・オークスには、きっとヤンキーか悪い奴隷かがいるにちがいない。そんなところへ、お嬢さまがひとりで行くなんて、とんでもないことだ、とポークは言った。
「もうたくさんよ、ポーク。ディルシーに、すぐ出かけるようにいっておくれ。それから、おまえとプリシーは豚の母子(おやこ)をつかまえてちょうだい」彼女は、きびすをかえしながら、てきぱきと言いつけた。
 色はあせても、こざっぱりとしたマミーの古い日よけ帽が裏のポーチの掛けくぎにかかっていた。スカーレットは、それをとってかぶりながら、レットがパリから買ってきてくれた緑色の羽根かざりの曲線の美しい帽子を、まるで別の世界のもののように思い出した。槲細工(かしわざいく)の大きなバスケットをかかえて、裏の階段をおりて行ったが、一足ごとに頭がふらふらした。しまいには背骨が頭のてっぺんをつき破ろうとしているのかとさえ思われた。
 川へくだる赤土道は、荒らされた綿花畑のあいだにはさまれて、赤く、焦げつくように暑かった。影を投げる一本の木もなかった。太陽は、マミーの日よけ帽を、まるでそれが厚い縫いあわせのキャラコ製ではなくて、透きとおる薄地のモスリン製ででもあるかのように照りつけ、舞いあがるほこりは鼻孔やのどをおそって、口でもきこうものなら、かわいた舌の粘膜がひび割れそうな気がした。馬が重い砲車をひきずったあとには、深いわだちやみぞが残り、両側のみぞのふちには落ちこんだ車輪のために深い穴ぼこができていた。せまい道路をすすむ砲兵とならんで騎兵と歩兵が緑のくさむらのあいだを通ったので、綿花畑は、さんざん踏み荒らされ、くさむらは泥をかぶっていた。緊金(しめがね)や馬具の切れ端、蹄鉄(ていてつ)や弾薬車に踏みつぶされた水筒、ボタン、青い帽子、破れた靴下、血のついたぼろきれなど、行進する軍隊が残したくずが道路や畑のあちこちに散らばっていた。

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