「風と共に去りぬ」(五)

マーガレット・ミッチェル/大久保康雄・竹内道之助訳

ドットブック 350KB/テキストファイル 229KB

700円

いまはアシュレに対する思慕もうすれた。メラニーが死んでからアシュレははっきりとスカーレットに心を寄せていたが彼女のほうではかえって恋もさめた。だが「レットこそ自分の魂なのだ」とスカーレットが気づいたとき、皮肉にも彼の心は彼女を離れ、バトラーは人が変わったように二人のあいだに生まれたボニーへすべての愛情を注ぐのだった。そのボニーがふとしたことで死んでしまうと、虚脱したバトラーはすべてに興味を失い、家もスカーレットも捨てて旅立っていく。スカーレットは悲しみに打ちのめされながらも、生来の自尊心が頭をもたげてくる。「私はもう一度バトラーの愛をとりもどしてみせる。でもいまはあまりにも疲れている。あすはまた、あすの陽が照るのだ……」
立ち読みフロア
 その夜、市(まち)の北端に住む家族のあいだでは、クラン団がうけた被害のしらせを待ちうけて、ほとんど眠った者はいなかった。そして、インディア・ウィルクスの影が、足音もたてずに裏庭からしのびこんで、台所口でいそいでなにかをささやいて、また風の吹きすさぶやみのなかへ消え去るごとに、レットの策謀も、すばやく、つぎからつぎへとひろがった。こうしてインディアの通ったあとには恐怖と一縷(いちる)の望みが残された。
 外から見ると、家々は暗く静まりかえって、眠りにつつまれているように見えたが、なかでは、明けがたまで、はげしいささやきの声が絶えなかった。その夜の襲撃に加わった者ばかりでなく、クラン団の団員は、ひとり残らず高飛びの用意をしていたのだ。ピーチトリー街にそった家々の厩舎(うまや)には、ほとんど残らず、馬が暗やみのなかに鞍(くら)をおかれて立っていたし、鞍鞘(くらざや)にはピストルが、鞍袋には食糧がつめこまれていた。こうした大がかりの脱出を阻止したのは、インディアがささやいた伝言だった。「バトラー船長は逃げてはいけないといっています。街道は厳重に手配されるはずです。バトラーがワットリングと手順をととのえてくれるはずです――」暗い部屋で男たちはささやいた。「だが、あんな変節漢のバトラーなんか信用できないじゃないか。きっと罠だ!」すると、女の声が懇願した。「行かないでください! あの人はアシュレやヒューを助けてくれたんです。ほかの人たちも救ってくれますわ。インディアやメラニーが信頼しているんです――」そこで彼らは、ほかに方法もなかったので、半信半疑で、とどまることにした。
 まだ宵のうちに、兵士たちは十数軒の家々の扉をたたいて、その晩どこにいたか、と尋問してまわり、居所を明らかにすることができなかった者や、申し立てをこばんだ者を、残らず連行した。その夜牢屋ですごした人のなかには、ルネ・ピカールや、メリウェザー夫人の甥(おい)のひとりや、シモンズ家の兄弟や、アンディ・ボンネルもいた。それは、不運なその夜の襲撃に加わって、射(う)ち合いのあとほかの連中と離ればなれになってしまった人たちだった。いそいで家ヘ駆けもどって、レットの計画を知るいとまもなく逮捕されてしまったのだ。さいわい彼らはいずれも、その晩どこにいたのかという尋問にたいしては、どこにいようと、それはこちらの勝手だ、ヤンキーどもの知ったことではない、と答えて口を割らなかった。そこで、くわしい取調べは明朝ということになって、みんなその夜は監禁された。メリウェザー老人とヘンリー・ハミルトン伯父さんは、ぬけぬけとベル・ワットリングの娼家にいたと答えた。そして、ジェファリー大尉が、そんな悪所(あくしょ)へ出入りする年齢でもあるまいと言ってひやかすと、ふたりは大尉に組み打ちをいどむほどの剣幕を示した。
 ジェファリー大尉のよび出しで出頭したベル・ワットリングは、なにも言われないさきに、いきなり、今夜はもう店をしめましたよ、とどなった。けんかばやい酔っぱらいの一群が、宵の口からはいりこんできて、けんかをおっぱじめ、店をめちゃめちゃにし、おまけに大切な鏡まで全部こわし、若い女たちが、すっかりおびえてしまったので、今夜は商売を休むことにしたんです。でも、ジェファリー大尉が、もし一杯飲みたいとおっしゃるんなら、酒場のほうはまだやってますわ――
 ジェファリー大尉は、部下の兵士たちが、これをきいてにやにや笑うのを、するどく意識した。そして霧と戦うようなもどかしさを感じて、腹立たしそうに、女も酒もほしくはない、と言い、ベルに、その乱暴を働いた客の名を知っているか、とたずねた。ええ、知ってますとも、とベルはこたえた。みんな、あたしんとこの常連ですよ。いつも水曜日の晩にやってきて、どういう意味か、あたしなんか知りもしないし、知りたいとも思わないけれど、みんな水曜民主党の党員だって言ってますわ。とにかく、もし二階のホールの鏡の代金を弁償しなかったら、あたしは告訴するつもりです。あたしは、ご存じのように上品な店を経営しているんですから――ああ、その人たちの名前ですか? そう言ってベルは、すらすらと嫌疑者(けんぎしゃ)十二人の名前をあげた。ジェファリー大尉は、にがにがしく笑った。
「ふん、あの謀反人(むほんにん)どもは、われわれの秘密情報部のような巧妙な組織をつくっているらしい」と彼は言った。「おまえと、おまえの店の女たちは、明日、憲兵司令官のところまで出頭してくれ」
「憲兵司令官が命令して、あたしの鏡の代金を、あの人たちに弁償させてくださるんですか?」
「おまえの鏡のことなんか知るもんか! レット・バトラーにでも弁償させたらいいだろう。あいつがおまえの店の持主なんだろう?」
 夜が明ける前に、市内の南軍側の家族は、ひとり残らず、すべてを知ってしまった。彼らの家にいる黒人たちも、なにもきかされないにもかかわらず、白人にはどうしても不可解な例のぶどうづる式通信法で、すっかり知ってしまった。襲撃のてんまつについても、フランク・ケネディと足の悪いトミー・ウェルバーンが殺されたことも、アシュレがフランクの死体を運ぼうとして負傷したことも、知らない者はひとりもいなかった。
 スカーレットが、この悲劇の素因(もと)をつくったというので、女たちの心に燃えあがったはげしい憎悪も、フランクの死後、それをスカーレットが承知しつつも口外しなかったことと、せめて死体を返してもらうことが彼女にとってはなぐさめだったということが、みんなにわかったので、いくぶんやわらいだ。夜が明けて死体が発見され、当局から知らせがあるまでは、彼女はなにも知らないことになっていた。フランクとトミーはつめたい手にピストルをにぎって、空地の枯れ草のなかに、かたくなって横たわっていた。ふたりは、ベルの家のひとりの女をめぐって、よくありがちの酔ったあげくのけんかで、たがいに殺しあったのだと見せかけたわけだ。トミーの妻で最近赤ちゃんを生んだばかりのファニーに人々の同情はあつまった。だが、ヤンキーの一隊が家の周囲をとりまいて、トミーの帰りを待ちうけているので、だれひとり暗やみをぬけて彼女をなぐさめに行くことはできなかった。ピティ叔母さんの家の周囲にも、ヤンキーの一隊が、フランクの帰りを待っていた。
 夜明け前に、軍事裁判がその日のうちにひらかれるというニュースがひろまった。睡眠不足と心配で目をしょぼつかせた市(まち)の人たちは、もっとも有力な市民の身の安全が、つぎの三つのことにかかっていることを知った――アシュレ・ウィルクスが起き上がって、二日酔いの頭痛以外はなにごともないような顔をして、軍事裁判所へ出頭できるかどうかということ、ベル・ワットリングが、彼らが前夜ずっと彼女の家にいたと証言してくれるかどうかということ、最後に、レット・バトラーが彼らといっしょだったと証言すること、この三つだ。
 町の人々は、最後の二つに、すくなからずこだわった。ベル・ワットリング! 善良な市民が、この女に生命(いのち)を助けられなければならないなんて、まったく耐えがたいことだった。ベルが歩いてくるのを見ると、わざと道をよけた女たちは、彼女がそのことをおぼえているのではあるまいかと心を痛め、おそらくおぼえているだろうと考え恐怖を感じた。男たちは、ベルに生命を助けられることを、女たちほどは恥ずべきことと考えなかった。男たちの大部分は、内心、彼女に好意をいだいていたからだ。だが、投機師で変節漢のレット・バトラーの手に、彼らの生命や自由をにぎられていると思うと、それが、たまらないほど苦痛だった。ベルとレット。町でだれ知らぬ者のない遊び女(め)と、いちばんのきらわれ者。人々は、いまやこのふたりのお情けをうけなければならなかったのだ。

購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***