「ウジェニー・グランデ」

バルザック/山口年臣訳

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600円

抜け目のないやり口で地方の財産家、事業家、地主としての地歩を固めたグランデ老人は、家庭においてもワンマンで、砂糖ひとかけら、ろうそく一本にいたるまで倹約し、金を貯めることに生き甲斐を見いだしていた。そんななか、おとなしい母に育てられて二十三になった一人娘ウジェーヌは、その持参金目当ての有力な二つの家族の争いに巻き込まれそうになる。そこにパリ育ちのかっこいい従兄弟シャルルがあらわれる。ウジェーヌは初めて恋心をおぼえる。……骨太なリアリスト、バルザックの代表作。

バルザック(1799〜1850)ユゴー、デュマとならぶ19世紀フランスを代表する作家。パリ大学に学ぶが中退して文学を志す。出版、印刷などを手がけて失敗したあと、負債返済のために頑張り「ふくろう党」で成功。以後、みずから「人間喜劇」と名づけた膨大な小説群を生み出した。代表作「ウジェニー・グランデ」「ゴリオ爺さん」「従妹ベット」「従兄ポンス」「風流滑稽譚」など。20年間、毎日50杯のコーヒーを飲みつづけて創作に打ち込んだ逸話は、派手な女性遍歴と浪費癖とともに有名。

立ち読みフロア
 そのころグランデ氏は、狂的な平等論者であるわれわれも決して消し去ることのできないような新しい高貴な称号を手に入れた。彼は郡最高の多額納税者になったのである。彼は百アルパンのぶどう畑を耕作していたが、豊作の年にはこれでぶどう酒が七百樽(たる)から八百樽とれた。十三の小作地と古めかしい修道院をもっていたが、税金を少なくするために、修道院のガラス戸やアーチ形の迫(せ)り持(も)ちや焼絵ガラスの窓を壁で塗っておいた。このために保存がきいた。それからまた百二十七アルパンの牧草地があって、これには一七九三年に植えた三千本のポプラが大きく育っていた。最後に、彼の住まっている家も自分のものだった。
 こんなわけで、目に見える財産は勘定できた。ところが現金のほうのこととなると、ただふたりの人間だけが、その莫大なことを、しかもだいたいのところを推察できるだけだった。そのひとりはクリュショ氏といって、グランデ氏の高利貸しの代理を引き受けている公証人で、もうひとりはデ・グラサン氏といって、ソーミュールでいちばん金持の銀行家で、このぶどう作りが自分のつごうのよいときにだけこっそり儲け仕事をいっしょにする男だった。クリュショ老人もデ・グラサン氏も、田舎では信用と財産を産みだすことになるあの慎重さを十分にもってはいたけれど、グランデ氏に対しては深い敬意を公然としめすので、そのようすを念入りに観察する人ならば、相手に対する追従(ついしょう)の表わし方によって、元町長の資産の大きさのほどが推測できるのだった。
 グランデ氏が特別な金庫を、金貨のいっぱい詰まっている隠れ場所をもっていて、夜分になると、黄金の山をながめては筆舌に尽くせない楽しみにふけっているという噂(うわさ)をなるほどと思わない者は、ソーミュールにはだれひとりいなかった。黄金の色がしみついたようなこのグランデ老人の目の色を見て、けちけちした連中はその噂はほんとうらしいと確信をふかめるのだった。自分の資産から莫大(ばくだい)な利を引きだすことに慣れた男の眼つきは、酒色にふける人間や賭博好きな人間や宮廷づきの人間の眼つきとおなじように、必ずなにかしら一定の癖にそまるもので、こそこそした、貪(むさぼ)るような、意味ありげな動きがあって、同じ宗旨(しゅうし)の者は、決してそれを見おとすことはない。この人知れぬ言葉がいわば情熱の秘密結社(フリー・メーソン)のようなものを作りだすのだ。
 ところでグランデ氏は人々からうやうやしく尊敬されていたが、もともとだれにも借りがあるわけではなく、古くからの樽(たる)屋でぶどう作りで、自分の収穫したぶどうのために千樽つくるか、それともわずか五百樽つくったがよいかということを、まるで天文学者のような正確さで見抜くのだった。そして、投機はただの一度も失敗することはなかったし、取り入れたぶどうよりも樽の値のほうがよいときにはいつでも売るだけの樽をもっていたので、取り入れたぶどうはぶどう酒にして倉にしまっておいて、小さな地主たちが一樽五ルイで手放すときにも、一樽二百フランで引き渡せる時を待ちかまえる、という男だったので、尊敬されるだけの資格があった。一八一一年〔ぶどうが大豊作であり、彗星(すいせい)が現われたことで有名な年〕の彼の収穫は有名なものだが、慎重に引き締めて、ゆっくり売りこんだので、二十四万フラン以上の金がころがりこんだものだった。金儲(かねもう)けの点から言えば、グランデ氏は虎と大蛇(だいじゃ)に似ていた。身を伏せ、うずくまり、じっと長く獲物(えもの)に狙いをつけ、飛びかかることを心得ていた。それから財布の口を大きくあけて、金貨を一山のみこむ。そして平然と冷やかに順序立てて消化する蛇のように、静かに横たわる。
 この男が通り過ぎるのを見ると、だれひとり尊敬と恐れの入りまじった賞賛の念をおぼえぬ者はない。ソーミュールの住人で、彼の鋼鉄のような爪(つめ)ですかりと引き裂かれる思いをしない者があるだろうか? ある人は土地を買うのに必要な金をクリュショ公証人を通じて借り受けたところ、一割一分の利息をとられた。またある人はデ・グラサン氏の手で手形を割ってもらったところ、これまた恐るべき利子を天引きされた。市場であれ夜の集まりであれ、グランデ氏の名が町の人々の話にでない日はめったになかった。ある人々にとっては、この老ぶどう作りの財産はお国自慢の種でもあった。それで、商人や宿屋の亭主が他国者(よそもの)にむかって、さも楽しげに、
「旦那(だんな)、この町には百万長者が二、三人はいますがね。でもグランデ爺(じい)さんときたら、自分で自分の財産がわからないんですよ!」と、いう者がひとりやふたりではない。
 一八一六年に、ソーミュールで最も計算に巧みな者たちが、グランデ老人の不動産を四百万近いと見積もった。ところが、一七九三年から一八一七年のあいだ、毎年平均、内輪にみて十万フランの収益を地所からあげたはずだから、その不動産の価額とほぼ同じ額の現金をもっていると推定できる。そこでトランプ遊びの後とか、ぶどう畑での話し合いの後とかにグランデ氏の話がでると、ものわかりのいい者たちは、「グランデ親父(おやじ)かね?……グランデ親父なら五、六百万はもってるにちがいないよ」と、言うのだった。
「あんたがたのほうがこの私などより目が利(き)いていますな。私には全体の額などとうていわかりませんからな」と、クリュショ氏かデ・グラサン氏が、その話を聞いていたときには、こう答えたものだった。
 だれかパリの人がロスチャイルド〔このロスチャイルドは、フランクフルトの銀行家で有名なマイエル・アンセルム・ロスチャイルドの息子をさす〕とかラフィット氏〔一七六七〜一八四四、ラフィット銀行の頭取で、財政家、政治家として活躍したシャルル・ラフィット。奇(く)しくも、本書が出版された翌日、投機に失敗して破産した〕だとかの話をすると、ソーミュールの人たちは、その人はグランデ氏と同じくらいの金持かとたずねるのだった。そしてもしそのパリの人が笑いながらさもばかにしたように肯定の返事を口に出すと、彼らはとても信じられないといったふうに頭をふりながら、互いに顔を見合わせる。
 それほどの莫大(ばくだい)な財産が、この男のすべての行動を黄金のマントでおおっているのだった。初めのうちは、彼の特殊な生活のために物笑いと冷笑の的となっていたが、物笑いも冷笑もしだいに弱まってしまった。グランデ氏は自分のどんな些細(ささい)な行為にも、是非の判断を下した事項のような権威を与えていた。彼の言葉や、彼の衣服や、彼の身振りや、彼の瞬(まばた)きまでも、この地方の掟(おきて)として通っていた。この地方では、だれでも博物学者が動物の本能の作用を研究するように、彼を研究してみると、彼のどんなささやかな動きにも、深い無言の知恵がひそんでいるのを知ることができたからである。
「この冬はきびしいぞ。グランデ爺(じい)さんが毛皮の手袋をはめたものな。取り入れしなければならないぞ。――グランデ爺さんがたくさん樽(たる)材を仕入れていますぜ。今年はぶどう酒がうんとできますよ」などと、人々は言った。

……《一 地方有産者気質》より

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