「グラント船長の子供たち(下)」

ジュール・ヴェルヌ作/大久保和郎訳

ドットブック版 436KB/テキストファイル 161KB

400円

刀折れ矢尽きてオーストラリアの一隅に取り残された一行に、選択の余地は限られていた。イギリスに帰る方法の一つとして彼らが選んだのはニュージーランドのオークランドに渡ってそこで船に乗ることだった。だが一行を乗せた小船は再び嵐に遭遇し、一行は恐ろしいニュージーランド原地民の捕虜となる…グラント船長の捜索など、すでにとうの昔に忘れられていた。
立ち読みフロア
 グラント船長を捜している人々が彼を見出す望みをいつか失わねばならなかったとすれば、すべてが一どきに失われたこの時ではなかったろうか? この世界のどこに新しい探検を試みたらよかったろう? また別の地方をどのようにして探索すべきだろう?〈ダンカン〉はもはやなく、ただちに帰国することも不可能であった。してみるともうこの高潔なスコットランド人たちの試みは挫折したのだ。不成功! いかにもこれは、勇敢な魂にはうったえるところのない憂鬱な言葉である。しかし運命の痛手を受けてグレナヴァンもこの献身的事業をもはや続行する力がないことを認めざるを得なかったのだ。
 メァリ・グラントはこうした状況にあって健気(けなげ)にももう父の名を口に出そうとしなかった。今度の難に遭った不幸な乗組員たちのことを思って彼女は自分の堪えられぬ不安を抑えた。娘はグレナヴァン夫人の前で控え目にふるまい、あれほどいろいろと慰めを受けた後、今度は彼女のほうがレイディ・グレナヴァンを慰めたのだ! 彼女のほうから先にスコットランドに帰ることを言い出した。彼女がこれほど雄々しく、これほど諦め切っているのを見て、ジョン・マングルズは感服した。彼は船長のために最後にもう一度弁じようとしたが、メァリは目顔で彼を引き留めた。そして後になって彼女に言った。
「いいえ、ジョンさん、献身してくださった方々のことを考えましょう。ロード・グレナヴァンはヨーロッパにお帰りにならなければ!」
「あなたのおっしゃるとおりです、ミス・メァリ」とジョン・マングルズは答えた。「帰らねばなりません。それにまた〈ダンカン〉の運命についてイギリス官憲に知らせる必要もあります。しかしすべての希望をなげうつのはやめてください。われわれが始めた捜索を抛棄するくらいなら、私は独力でまたはじめます! グラント船長を見つけるか、でなければ私がこの義務に倒れるかだ!」
 ジョン・マングルズはここで真剣な誓約をしたのである。メァリはその誓約を受け容れた。そしてこの協定を批准しようとするもののように若い船長の手に自分の手を差し伸べた。ジョン・マングルズからすればそれは生涯にわたる献身であり、メァリからすればそれは永久に変ることのない感謝だった。
 この日のうちに出発は最終的に決定された。ただちにメルボルンに行くことになった。翌日ジョンは出帆する船がないかと調べに行った。イーデンとヴィクトリア州の首府とのあいだには頻繁な連絡があるものと彼は期待していたのである。
 その期待は裏切られた。船はごくすくなかった。トゥーフォールド・ベイに投錨している三艘の船がこの土地に属する商船のすべてだったのだ。メルボルン、シドニー、もしくはウェールズ岬へ行くものは一艘もなかった。ところがオーストラリアではこの三つの港でしかイギリスにむかう船は見出せなかったのである。事実〈ペニンシュラー・オリエンタル・スティーム・ナヴィゲイション・カンパニー〉はこの三つの港と本国とを繋ぐ定期航路を持っていた。
 事態がこうなっては一体どうすればいいか? 船が来るのを待つか? そうすればひどく時間がかかるかもしれなかった。トゥーフォールド・ベイにはあまり船が来なかったからだ。沖を通るが決して接岸はしない船がどれほどたくさんあったことか!
 考慮し相談したあげくグレナヴァンは海岸沿いの道を通ってシドニーに出ることに決めようとしていたが、このときパガネルは他の何びとも予期していなかったような提案をした。
 地理学者は自分でもトゥーフォールド・ベイを見に行って来たのであった。彼はシドニーとメルボルンへの交通機関がないことを承知していた。しかし錨地に投錨している三艘の船のうちの一艘は、ニュージーランドの北の島であるイカ・ナ・マウイの首府オークランドにむけて出帆する準備をしていた。そこでパガネルはその船を傭ってオークランドに渡ることを提案したのだ。オークランドからペニンシュラー会社の船でヨーロッパに帰ることは容易だろうというのである。
 この提案は真剣に考慮された。それにしてもパガネルは、いつもはあれほど次々に論拠を述べ立てるのに、今度は一向にそういう羅列をおっぱじめなかった。彼はただ事実を述べるにとどめ、航海は五日か六日以上にはならないだろうとつけくわえた。オーストラリアとニュージーランドのあいだの距離は事実一〇〇〇マイルばかりでしかなかったのである。
 奇妙な偶然で、オークランドは旅行者たちがアラウカニアの海岸からあくまでもたどりつづけて来たその三七度線上に位置していた。もちろん地理学者は手前勝手などという非難を受けることなしに、この事実から自分の提案に有利な理窟を引き出せるはずだった。そして事実これは、ニュージーランドの沿岸を訪れるごく自然な機会だったのだ。
 ところがパガネルはこうした利点を持ち出しはしなかった。相次いで二度も失敗しているのだから、きっと彼はあの文書の三番目の解釈をあえて披露する気になれなかったのだろう。それにまた、あの文書から何を引き出せたというのか? グラント船長が身を寄せたのは「大陸」であって島ではないことは、あの文書のなかに論議の余地のないほど明白に書かれている。ところでこれは島にすぎないのだ、このニュージーランドは。これは決定的なことであるように見えた。そのためであろうとそうでなかろうと、とにかくパガネルはオークランドに出ようというこの提案には全然探索の意味を含ませていなかった。この土地からイギリス本国への定期的な連絡があること、それを利用することは簡単であることを彼は単に指摘したにすぎない。

……一 〈マクォリー〉より


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