「ギリシャ神話」
(付 北欧神話)

山室静/著

ドットブック版 1623KB/テキストファイル 159KB

600円

ギリシア神話は内外の多くの人たちの著作があるが、本書はそれらのなかで、おそらく最も読みやすく、全体の構造を理解するのに最も便利なかたちでまとめられた好著であろう。「世界のはじめと神々」「オリンポスの神々」「プロメテウス兄弟とパンドラ」「ゼウスの愛人たち」「デメテルの悲しみ」と読む進むうち、神話の面白さに思わず引き込まれていく。後半には著者が研究を続けてきた「北欧神話」を収め、ヨーロッパの2大源流を垣間見ることができるようになっている。ドットブックには多くの図版を入れてある。

山室静(やまむろ しずか、1906〜2000)詩人、文芸評論家、翻訳家。長野県の旧制野沢中学を出て上京、25歳のときプロレタリア科学研究所に属し、逮捕拘禁される。戦後、埴谷雄高らとともに雑誌『近代文学』を創刊。また堀辰雄らとともに雑誌『高原』の創刊にかかわる。以降、ヤコブセン、アンデルセン、タゴール、トーベ・ヤンソンの翻訳や北欧文学・神話についての数々の著作を著した。

立ち読みフロア

プロメテウス兄弟とパンドラ

 ところで、巨神とゼウスたちの大戦争が終って、ゼウスがオリンポスから世界をおさめるようになったある日、ゼウスは生き残りの巨神のプロメテウスをよんでいいつけた。
「ひとつ、粘土をこねて人間をつくってくれ。形はわれわれに似た形にするのだ。そうしたら、わしが息をふきこんで命をあたえてやろう。おまえはいろいろの知恵をさずけて、人間がわれわれをあがめて神殿をたてるようにはからってくれ。しかし、人間に不死の命をさずけるわけにはいかない。しばらく生きたあとでは、わしの兄弟のハデスのおさめる国へやることにしよう」
 プロメテウスは巨神ヤペトスの息子だが、〈先に考える者〉という名の通り、遠い未来まで見通すことのできる賢い巨人だった。だからゼウスが巨神たちと戦ったとき、弟のエピメテウスとともにゼウスのみかたをした。そこで、クロノス方についた父親のヤペトスはタルタロスに投げこまれ、兄のアトラスは、父親といっしょに神々をあいてに戦ったので、罰として、天が落ちないようにささえるつらい役目をいいつかったのに、プロメテウスだけは、神々を助けたてがらで、神々にまじってくらしていたのである。
 さてプロメテウスは、ゼウスにいわれたとおり、人間をつくることにした。まずデルポイの神殿の東北のあたりで、いい赤土をみつけたので、それをこねて人間の形をつくった。ゼウスはそれに命をふきこんでから、こういった。
「ではプロメテウスよ、人間にいろいろと生きてゆく知恵をさずけてやってくれ。ただ、火だけはやってはいけない。あれは神々だけの持ちものにしておこう。人間が火を使うことをおぼえたら気がつよくなって、われわれの手におえんようになるかもしれんからな。もし、このいいつけにそむいて、人間に火をやったら、おまえにはおそろしい罰がくだるぞ」
 こうして人間は生まれたが、はじめは、ほかの動物とちがわない、あわれな生きものでしかなかった。からだを包むあたたかい毛皮もなく、ライオンや熊のような強い力もないのだから、動物よりも、むしろみじめな生きものだった。ほら穴の中に住み、草やなまの肉をたべて、寒さや野獣におびえながら、びくびくして生きていた。病気になったりけがをすると、手あてをする方法も知らないで、ばたばた死んでいった。
 親切でかしこいプロメテウスは、そんな人間をかわいそうに思って、いろいろなことをおしえてやった。家や道具をつくること。地を耕して種をまき、実が熟したらそれを刈りとって臼(うす)でひいて粉にすること。犬をならして狩りにつかうこと。牛や馬や羊を飼いならして、鋤(すき)をひかせたり、毛をとって布にしたり、乳をしぼったりすること――これらのことは、みなプロメテウスが人間におしえたのだといわれる。そればかりでなくプロメテウスは、人間に言葉というものをおしえ、文字をつかって読んだり書いたりすることまでおしえた。
 しかし、火がなくては、どうにもならない。食べものを焼くことも煮ることもできないし、道具も石でこしらえるほかはない。冬になれば寒さにふるえるばかりだった。
 プロメテウスは赤あかともえる太陽を見あげて、ため息をついた。太陽はヘリオスの走らせる金の馬車にのって、ほのおをふきながら空をよぎっていく。
「あの太陽から火をとってきて、人間にやったら、どんなによろこぶことだろう」
 プロメテウスは思わずつぶやいたが、それは大神ゼウスから固くとめられていることだった。いいつけをまもらなかったら、どんなひどい罰をうけることか。
 しかし、プロメテウスはとうとう決心した。かれは弟のエピメテウスをよんでいった。
「おまえは、おれがどんなにあの人間たちを愛しているか、知っているはずだ。おれはあの人間たちがりっぱに生きられるように、いままでいろいろと助けてきた。だが、まだ人間の生活はみじめなものだ。そこでおれは、さいごに一番すばらしい贈物として、人間に火をあたえてやる決心をしたよ! もし火を人間にやったら、ゼウスがどんなにおこるか、それは知っている。しかし、その罰もよろこんでうけるつもりだ。未来の世界はきっと人間たちが支配するようになるのだからな。そこで、おまえによく頼んでおくが、おれがいなくなったら、どうかおれのかわりに人間のせわをしてやってくれ。おまえはすこし考えがたりなくて、ときどきばかなことをやるが、ゼウスにだまされてはだめだよ」
 こういいのこしてプロメテウスはオリンポスへでかけていくと、ヘリオスの通り道にかくれて待ちぶせた。
 まもなく夕方になって、ヘリオスの馬車が山のいただきに近づいてきた。プロメテウスは持ってきたウイキョウの茎をとりだして、その黄金の車輪にさわった。ういきょうの茎は、外がわはかたいが、中には白いやわらかい《すい》があって、これに火がつくとじわじわとどこまでも燃えていくのである。
 茎にはすぐ火がついて、ずいに燃えうつった。プロメテウスはいそいで山をおり、アルカディアのふかい谷間にきて、そこではじめてたきぎに火をうつした。火は勢いよく燃えあがった。これが地上にともされた、最初の火であった。
 プロメテウスのともした火が、美しく赤く燃えあがるのを最初にみつけたのは、この谷間に住むサチュロスたちだった。サチュロスというのは、山羊のような角と足をもった道化者で、踊りのすきな野山の精たちだ。彼らは、たき火のまわりに近づいてきて、口々に叫んだ。
「この新しい生きものは、なんてきれいなんだ。それに、すばらしくうまく踊るじゃないか。こいつは、とてもあったかいや! おれはすっかり気にいったよ」
 サチュロスの親分のシレノスは、そんなわけで、いきなり燃えあがった炎をつかまえてキスしようとした。炎はひげに燃えついた。シレヌスのびっくりした顔といったら! プロメテウスは腹をかかえて笑った。
 あくる日から、さっそくプロメテウスは人間に火の使いかたをおしえた。どうやって肉をあぶり、パンを焼くか。どうやって青銅をつくり鉄をとかして、刀や鋤(すき)をつくるか。また、木と木をこすって火をつくることもおしえた。こうして人間は、みるみる力をましていった。
 しかし、それがゼウスに知れないはずはなかった。

……
「プロメテウス兄弟とパンドラ」冒頭より

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