「グリーン家殺人事件」

ヴァン・ダイン/坂下昇訳

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600円

ニューヨークの真ん中にでんと構えて三代もつづいてきたグリーン・マンションは古風な城館といってもよく、グリーン一家が家令、召使い、料理女ともども暮らしていた。その邸内で娘二人が銃で狙撃されるという事件がもちあがる。だがそれは、一家皆殺しをたくらむ何者かの手による連続殺人事件の発端にすぎなかった。……緊密なプロット、堅牢なアリバイ、大伽藍の崩壊をおもわせる最後の大団円など、本格推理の醍醐味を満喫させずにおかないヴァン・ダインのファイロ・ヴァンス・シリーズの最高傑作。かつてエラリー・クイーンによる読者人気投票でも堂々第一位にランクされた。

ヴァン・ダイン(1888-1939)アメリカ・ヴァージニア州の生まれ。本名はW・H・ライト。ハーヴァード大学大学院では英語学を研究し、のち画家を志してミュンヘンやパリに遊学した。1914年までの数年間は文芸批評家、美術評論家として活躍。第一次大戦に当ってパリに住み、帰米してから強度の神経衰弱で、1923年から25年にかけて病床生活を送った。この間に二千冊のミステリーを読破、自ら創作への意欲を持つことになった。輝かしい業績と名声の中で、わずか51歳にしてニューヨークで亡くなった。代表作「僧正殺人事件」「グリーン家殺人事件」「カナリヤ殺人事件」「ベンスン殺人事件」

立ち読みフロア
 永いこと、わたしには腑(ふ)に落ちないことがある。世には一流の犯罪学者も多いというのに、あのグリーン家にまつわる悲劇的顛末(てんまつ)に、もっと紙数を割(さ)く人がいないというのはどうしたことだろう? ――例えば、エドモンド・レスター・ピアサン、H・B・アーヴィング、フィーサン・ヤング、キャレン・ブルークス、ウィリアム・ボライゾウ、ハロルド・イートンなど、みんなそうだ。じつは、この事件こそ、紛(まぎ)れもなく現代屈指の殺人ミステリーの一つなのであり――犯例としても、近代犯罪史上、稀(まれ)に見る、特異な事件なのである。だが、そういうわたしですら、自分が採録しておいた事件の尨大(ぼうだい)なメモを読み返し、また事件の公式文書をあれやこれやと吟味(ぎんみ)してゆく間には認めざるをえないのだが、事件の真相はいまだに杳(よう)とした神秘に包まれたままなのだ。これではどんな想像力にすぐれた犯罪作者だろうが、事件の秘める論証中断を埋(うず)めるのは覚束(おぼつか)なかろう。
 なるほど、外面的事実だったら、全世界が知っている。当時、アメリカでも、ヨーロッパでも、ジャーナリズムは、一月にもわたって、この奇々怪々な悲劇の記事でにぎわったものだ。そのうえ、事件の裸の輪郭(りんかく)そのものが、どこか異常で、絢爛(けんらん)たるものにいつも憧(あこが)れる、あの大衆特有の猟奇(りょうき)心を満足せしめずにはおかない要素を持っていたのだ。しかし、やがて訪れた大団円(カタストローフ)の奇想天外さ! これだけは、どんなに飛躍した大衆の妄想をもってしても、到底及びもつかない意外性に満ちたものではあった。そういうわけなので、わたしは今初めて、この事実を公表しようと腰を落着けているこの瞬間にも、どこか現実を超えた、夢幻の境に遊ぶ思いがしてならないのだ。かくいうわたしが、事件の間発生した、幾多の挿話(そうわ)の生き証人であり、その現実性については、抗(あらが)いがたい実録の持主であるにもかかわらず、である。
 この兇悪犯罪の背後にひそむ発明の才が、いかほど悪鬼羅刹(あっきらせつ)をも凌(しの)ぐものであり、犯罪を誘発せしめた心理的動機が、いかばかり歪曲(わいきょく)されたものであったか、そして、犯罪の技法がどんなに奇怪で、隠された淵源にさかのぼるものであったか――それについては、世界は全く知らない。のみならず、事件を解決へと導いた。分析のプロセスについても、解明の光が投げかけられたこともかつてない。さらに、その解決のためのメカニズムに不随して発生したさまざまな挿話(エピソード)――その一つ一つが、じつは最高にドラマチックで、異常なものだったが――にいたっては、記事になったことすらもない。事件を終結へと導いたのが、普通の警察機構による捜査方法の結果だったのだと、大衆はいまも信じている。これも理由のないことではないのであって、大衆は犯罪自体の持つ、基本的な要因の多くについて、認識していないのだし、さらに、ニューヨークの警察本部も、ニューヨーク特別地区地方検事局も、まるで暗黙の諒解(りょうかい)でもあるかのように、本件の真相をひた隠しに隠してきたのだ――どうせ発表したところで、不信で迎えられるという配慮からだったのか、それとも事件の様相にこの世のものとも思われぬ、身の毛のよだつものがあり、いまもなお、人間の口では語れないというだけのことなのか、それはわたしにも分らない。
 以上の次第なので、わたしがこれから綴(つづ)ろうとする記録は、グリーン家大量殺人事件に関する最初にして、完全な実録なのであり、いささかの編集の手ごころも加えてないものだ〔望むらくは、蛇足になればいいが、わたしはこの仕事に対して当局の許可をえたものである〕。わたしが思うに、事件はいまや一つの歴史となった、だから、真相は公表されねばならない。わたしたちは歴史的事実に蓋(ふた)をしてはいけない。それにもう一つ。事件解決の栄誉を担(にな)う資格のある人間が実在するというのなら、栄誉はその人に帰すべきである、とわたしは信じている。
 この神秘劇に解明の光を投げかけ、この阿修羅(あしゅら)絵巻に終幕をおろさせた人間――それは誰あろう、警察とは一切の公的関与を持たない、一人の人物だったのだ。したがって、この殺人事件の公式文書の中では、この人物の実名は一度として現われない。ところが現実にこの人物が存在せず、またこの人物による斬新(ざんしん)な犯罪推理の方法論がなかったとしたら、グリーン一族に対する兇悪無比(きょうあくむひ)の陰謀は決定的成功を収めていたかも知れないのである。警察はその捜査活動に当って、犯行の歴然たる外観のみに捉われ、予断的に取り組んでいたに過ぎなかったから、その間隙(かんげき)を縫うように、犯人の作戦は、通常の捜査官の理解をはるかに超えた次元で、着々と展開されつつあったのだ。
 この人物――たゆみない精励と失望の繰返しであった幾週間かの分析の結果、とどのつまりは、恐怖の根源をつきとめたその人間は――当時はまだ若い、社会的には貴族階層の一員で、ニューヨーク地方検事、ジョン・F・マーカムの親友だった。この人間の姓名を明かす自由をわたしは持たない。そこで、この一連の物語のために、仮にファイロ・ヴァンスという雅名で呼ぶことにしたい。彼はもはやこの国にはいない。五、六年も前のこと、本籍をフィレンツェ郊外の別荘に移したし、それに、アメリカに戻る意志も持っていない。そこで、彼がいわゆる『法規範の公平なる友』Amicus Curie(アミカス・キュリエ)として参加した各種犯罪事件と記録を出版させてくれないかとわたしから申し出たところ、快諾を与えてくれたというわけである。一方のマーカムも、いまは引退して、一般の市民に戻っていることだし、警察本部を代表して、グリーン家事件を担当した、剛腹(ごうふく)もんで廉直(れんちょく)な警察官、アーネスト・ヒース巡査部長も、思わぬ遺産がころがりこんだのをきっかけに、生涯の念願がかない、いまはハドソン渓谷の上流、モーホック盆地にモデル農場を建て、珍種のにわとり、ワイアンドットの養育に余念がない。こういった事情の変化があって、わたしのグリーン家の悲劇にまつわる真相の発表も可能になったという次第である。

……《第一章 悲劇二重奏》より

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