「緑の館」

W・H・ハドスン/守屋陽一訳

ドットブック版 273KB/テキストファイル 236KB

600円

 自国の政争に巻き込まれ、逃亡することを余儀なくされた青年アベルは、人跡まれな南米ギアナの森の中で、神秘的な少女リマを見いだす。二人は、たがいにひきあうものを感じ、愛情という苦しいものを胸の中に抱きながら、近づいては遠のき、はなれてはまた近づく。しかし、とうとう二つの心の溶けあう日が訪れる。だが、少女は青年のとめるのもきかず、楽しい希望に胸ときめかせながら、一人さきに、自分の森に戻り、惨劇に……南米ギアナの密林に咲いた美しいロマン。第一次世界大戦後、アメリカを初めとする各国で熱烈に読まれた。

ウィリアム・ヘンリー・ハドスン(1841〜1922)アメリカ移民の子としてアルゼンチンのブエノスアイレス近くに生まれ、大草原パンパとガウチョと小鳥を友に育つ。33歳のとき英国に渡り、のちに帰化した。小説家としては本書のほか、英国ウィルトシャーの自然を羊飼いの目を通して描いた「ある羊飼いの一生」が代表作。彼は博物学者でもあって、とくに鳥に関する多くの著書を著した。この方面の著書では「ラプラタの博物学者」がよく知られている。

立ち読みフロア
 この仕事の完成のために、思ったより多くの時間をついやしてしまったのは、きわめて遺憾《いかん》なことだ。アベル氏に関する一切の真相を、二、三か月のうちに発表するつもりだと、ジョージタウンの新聞に書き送ってからすでに数か月、実際一年以上になる。彼の最も親しい友人の書いたものであるから、人々の期待も決して少くはなかったであろう。そこで私は、ともかくも、この発表が約束された本が現れるまでには、新聞の論議も止むだろうと考えていた。しかし事実はそうではなかった。ギアナから遠くはなれた所にいる私は、毎週、地方新聞にどれほど多くの推測の記事がのせられたかに気付かなかった。そしてそれらの記事のあるものは、アベル氏の友人にとって、胸の痛むものであったにちがいない。本通りにある、あのなつかしい家の、誰もその存在に気付かなかった薄暗い部屋、そこにある家具といっては、黒檀《こくたん》の小卓一つ。その上には、表面に、花と葉と茨《いばら》の装飾がつけられ、その間を一匹の装飾の蛇が身をうねらせながら巻きついている、一つの遺骨つぼが置いてある。そしてそのつぼには、誰一人、理解したり、正しい解釈をあたえたりすることのできぬ、七字の短い言葉が彫りつけられている。――そして最後に、しさいありげなこの遺骨の配置――これらが、一人の人間の生涯の、まだ語られていない一章に関する空想を刺激《しげき》したのだ。今度こそ、もう空想をめぐらすことなど終りにしてしまいたい。しかし、このような、この上なく激しい好奇心がそそられたのも、きわめて当然のことなのだ。それは、すべての人が認め、すべての人の心をひきつけた、あの独特な、名状しがたい魅力によるためばかりでなく、彼が沈黙を守っていた、荒野における滞在という秘められた一章のためでもあった。彼が、彼自身に深い影響を及ぼし、この人生行路を変えてしまった、異常な経験に出あったことは、彼と親しかった人々は、漠然と気付いていた。しかしその真相は、私一人にだけ知らされていたのである。ここで私は、できるだけ簡潔に、彼に対する深い友情と、限りない親しさがどのようにして生じたかを語るべきだと思う。
 一八八七年、ある官庁に就任するために、ジョージタウンについた時、アベル氏はすでにその土地の古い居住者であり、資産家であり、社交界での人気者だった。しかし彼は、外国人、すなわち植民地の居住者たちが、常に不倶戴天《ふぐたいてん》の敵とみなしてきた、国境に住む、荒っぽい民族の一つである、ヴェネズエラ人だった。彼は今から約十二年前、人里はなれた奥地から、ジョージタウンにやってきた、彼は、南米大陸の大部分をただ一人徒歩で旅行し、この海岸にやってきた、そして最初人々の間に現れた時には、懐中《かいちゅう》に一文の金もなく、ぼろをまとい、熱病や、種々の難儀《なんぎ》のために、骨と皮ばかりに憔悴《しょうすい》し、長い間太陽と風にさらされて、顔の焼けた、若い外国人だった。これは私が人からきいた話である。友もなく英語の知識にも乏しかった彼にとっては、生活とは苦しい闘いにすぎなかったろう。しかし彼は、ともかくも何とか生き抜いて日々を送っていたが、やがてカラカスから文書がとどいて、かつてとりあげられていた多額の財産が、ふたたび彼のものになる旨を報じた。彼はまた、共和国の政治に加わるために、故国に戻るよう招かれた。しかしアベル氏は、まだ若かったにもかかわらず、政治上の情熱や野望、否、故国に対する愛情さえ、明らかに失っていたのだ。ともかくも、彼は現在彼のいる所に、とどまることを決心した。自分の敵が、自分の最上の友であった、彼は微笑しながらそういったものだ。そして彼は、財産の使い始めの一つとして、後に私にとって、自分の家のようなものになった、本通りにある例の家を買ったのであった。
 ここで私は、この友人の完全な名前が、アベル・ゲベセ・デ・アルヘンソラであることをいっておかなければならない。彼は、ジョージタウンにいたはじめの頃は、ただ洗礼名だけでよばれていたが、後になってからは、ただ「アベル氏」として知られることを望んでいた。
 彼と知りあいになってみると、このようなイギリスの植民地で、ヴェネズエラ人である彼が、尊敬や愛情をかちえているのも当然だという気がしてきた。あらゆる人々が彼を知り、彼に好意を持っていた。その原因は魅力的な容姿、優しい性質、女性に対する態度にあった。そして彼の女性に対する態度は、女性を喜ばせながらも、他の男性のしっとをひき起さなかった。――若くてあいらしく、気の変りやすい女房を持った、年老いて短気な農場主にさえも――。また、幼い子供や、あらゆる野生の動物や、自然や、普通の物質上の利益とか、まったく営利的な社会の利害関係とは、まったく関係のない一切のものに対する愛情が、彼の人気の原因だった。彼以外の人々の興味をひくもの、――政治や、スポーツや、水晶のねだん――それらは、彼の考えとは、何のかかわりもないものだった。そして人々は、しばらくの間、そういう俗事を充分にやり、事務所や、クラブの部屋や、商社などで、大あらしのように思う存分吹きまくったあげく、気分の転換を求める時は、アベル氏の方に向きを変えて、彼の世界――自然や精神の世界――の話をしてもらうことに、一種の気晴らしを見出すのだった。
 ジョージタウンにアベル氏のような人がいることは、よいことだと誰もが感じていた。私も、彼がいてほんとうによかったとすぐに気がついた。私は、こんなところで、私の趣味――私の生活の主な情熱と喜びの対象であった詩に対する愛好――を分ちあう人に出会おうとは、全然期待していなかった。しかし私は、私と趣味を分ちあうことのできる人を、アベル氏の中に見出したのである。スペインの文学によって育てられ、英文学に関しては、まだ十年か十二年ばかり読んできたにすぎない彼が、私自身と同じくらい、英国の現代詩に精通していて、私と同じような激しい愛好者であったことは、私を驚かせた。この感情が、私たちを一つのものに結びつけ、私たち二人――神経質なオリーヴ色の皮膚《ひふ》をした熱帯地方のスペイン系アメリカ人と、寒い北国の、青い眼をした粘液質のイギリス人――を精神の上において一つのものにし、兄弟以上にしたのであった。私たちは、多くの昼間の時間を共にすごして、「話をして太陽を疲れさせ」た。そして数え切れないほど多くの貴重な夜を、私がほとんど毎日のように訪れた、あの静かな家ですごしたのだった。私は、このような幸福を前もって予期してはいなかった。また彼もしばしばいっていたが、予期してはいなかったのだ。
 このように彼と親しくなってみると、彼の秘められた過去に関する漠然とした想像、すなわち、何か異常な経験が、彼に深い影響をあたえ、その人生行路を変えてしまったにちがいないという想像は、少しも減少しようとはせず、かえって、その強さを増し、しばしば私の心に浮かぶようになった。私たちが、とりとめのない話をしている時、土民とか、土民の中で暮したり旅行したりしていた間に、彼が得た土民の性格や言葉に関する知識とかに話がふれると、かならず見ている者の眼に痛々しく映るばかりの変化が、彼に現れるのだった。彼の話を、かぎりなく魅力のあるものにしているすべて――活溌な、好奇心に充《み》ちた心、機智、微《かす》かな憂《うれ》いの影を帯びた陽気な心――は、その姿を消して行くようだった。その表情さえも変り、険《けわ》しく、かたいものになるのだった。そしてまるで本でも読んでいるかのように、感情のない、機械的な調子で、事実だけをのべるのだった。このようなことに気づくことは、私にとってまったく悲しいことだった。しかし私は、そういう感情を少しも表わそうとはしなかった。そしてもし、あのついにやってきて、数年来の親しい友情を、たとえしばらくの間とはいえ、淋《さび》しく中断してしまった口論がなかったならば、それを口にすることは、おそらくなかったであろう。私はからだの調子がわるくなった。するとアベルは、そのことをひどく心配したばかりでなく、まるで私が病気になったことによって、彼をいやがらせてでもいるかのように、いらいらして、もし私がその気になれば、病気などなおってしまうのだとさえいうのだった。私はその言葉を真面目《まじめ》にはとらなかったが、ある朝、事務所に訪ねてきて、私のことを非難したので、私は、すっかり怒ってしまった。彼は、怠惰と刺激物をとったことが、私の不健康の原因だといった。彼はあざけるようにそういうのだった。彼は、別に大して意味はないといっていたが、その感情をまったくかくすことはできなかった。彼の非難に感情を害した私は、たとえ冗談《じょうだん》であっても、私に向ってそんな風に口をきく権利はないのだと、うっかり口をすべらせてしまった。すると彼は、真剣になって、そうだ自分は、私たちの友情による権利という、至上の権利を持っているのだといい出した。また、このようなことについて、何もいわずにいるのは、本当の友人ではないともいった。私はあわてて、私にとって、私たちの間の友情とは、あなたが思っているほど完全でも、申し分のないものでもないといい返した。私はさらに、友情の条件の一つは、互いに相手のことを知らなくてはならない、あなたは私の全経歴と考えとを、本でも読むように充分に知っているが、あなたの経歴は、私にとっては、とじて留め金をかけた書物のようなものだとつけ加えた。
 彼の顔は、暗くなった。そしてしばらくじっとだまって考えたあと、立ち上ると、冷やかな別れのあいさつを残したまま、立ち去って行った。いつもする習慣になっていた握手をする気配《けはい》もなく。
 彼が立ち去ったあと、私は大きな損失を感じ、大きな災難がふりかかってきたように思った。しかし、彼の非難の真実性を認めれば認めるほど、ますます、彼の歯に衣をきせぬ非難が気にかかるのだった。そしてその夜、眼をさましたまま、ベッドに横になりながら、私は自分のした残酷な反駁《はんばく》を後悔し、彼にゆるしを求めて、私たちの今後の関係について一任することに決心した。ところが、彼は私より先に、次の朝手紙をよこし、私のゆるしを求める一方、その晩、正餐《せいさん》を共にしようと招いてきたのだ。
 私たち二人の他には、誰もいなかった。そして正餐の間も、そのあとベランダで煙草をふかしたり、ブラックコーヒーをすすったりしている間も、私たちはひどくもの静かで、ほとんど厳粛といってもいいほどだったので、給仕をしていた、白い服の二人の召使たち――暗褐色《あんかっしょく》の顔をした鋭い眼つきの年老いたインド人の執事と、ほとんど濃紺《のうこん》の皮膚を持った、若いギアナ黒人――は、何度も、主人の顔を盗み見たほどだった。彼らは、主人が友人と食事を共にしている時、もっと愛想のいいのに慣れていたのだ。しかし私にとって、彼の態度の変化は意外なものではなかった。彼をみた時から、前に私のいった、とじて留め金をかけた本を彼がひらこうと決心したこと、彼の話をする時が今やってきたことを推測したからである。


……「プロローグ」より

購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***