「緑の星のオデッセイ」

フィリップ・ホセ・ファーマー/矢野徹訳

ドットブック版 391KB/テキストファイル 138KB

500円

アラン・グリーンは宇宙船の事故で奇妙な惑星に漂着した。そこはみどりの大草原「海」が都市国家をわかつ世界だった。2年間の奴隷生活のあと、彼は小国トロパットの公爵夫人のお気に入りとなった。ふとした宮中での会話から、遠い都市エストリアに地球人の宇宙飛行士が捕われていることを知ったアランは、脱走を計画し、貿易帆船車の船長の貪欲につけこんで船に乗り込む。アランの、緑の世界での大冒険が始まる!

フィリップ・ホセ・ファーマー(1918〜2009)アメリカのSF作家。人類と地球外生命体との性的関係を題材にした「恋人たち」(1953)でヒューゴー賞の新人賞を受賞。しばらく売れなかったが1967年の「紫年金の遊蕩者たち」で2度目のヒューゴー賞を受賞し、以降10年間に25作の単行本を 発表する多作家となった。代表作に《階層宇宙》シリーズ、《リバーワールド》シリーズがある。

立ち読みフロア
  二年のあいだ、アラン・グリーンの生活には希望がなかった。宇宙船がこの未知の惑星に墜落した日から、かれは偶然と確率が支配する運命の波にその身をまかせてきたのだ。
 これからの百年間に別の宇宙船がこの星にやってくる確率は、百万分の一もないだろう。だから、ぼんやり救助されるのを待っていても何にもならないのだ。考えてみるだけでぞっとする話だが、この星で死ぬまで生きていくほかないし、となるとこの星からできる限り、生きてゆくための血の気ってやつを絞りとらなければならない。絞りとるといっても、大したものはないのだが。まったくのところ、血の気を絞りとられているのはかれ自身のようだった。この星に墜落してまもなく、かれは奴隷にされてしまったのだ。
 ところがいま、かれにはとつぜん希望がわいてきた。
 トロパット公爵のところにいる台所奴隷の小頭(こがしら)にされてひと月たったいま、希望があらわれてきたのだ。それは、食事のあいだじゅう公爵夫人のうしろにひかえて奴隷たちの指図をしていたときのことだった。
 そう難しいことでもなかったのだろうが、かれを強制収容所から出して、いまのちょっと危険ではあるが願ってもない地位につけてくれたのはその公爵夫人ズーニだった。なぜ危険なのか? それは彼女がひどく嫉妬深くて所有心が強く、少しでも気のきかぬことをするとかれは命か手足の一、二本を失う羽目になるだろうからだ。かれの前任者二人にどんなことがおこったか知っていたので、かれは公爵夫人のあらゆる動作、すべての望みに、これ以上できないほど敏感になっていた。
 その運命の朝、彼女が長いテーブルの端にすわって朝食をとっていたとき、かれはその背後に立ち、片手に小頭(こがしら)の棒を持っていた。白っぽい棒でその先に赤い球がついているものだ。その棒でかれは奴隷たちに指図し、奴隷たちはその棒に動かされて、食事を運び、葡萄酒(ぶどうしゅ)やビールをつぎ、蝿を扇でおい、一家の守護神を運んで神の座につけ、そして音楽を演奏するのだ。
 ときおりかれは公爵夫人の長い黒髪におおいかぶさるようにして、あれこれと恋歌の文句をささやきかけた。彼女の美しさを讃え、彼女の近寄り難さをつぶやき、望みはないが彼女に対する燃える想いを口にするのだ。ズーニはそれにこたえて微笑み、お決まりの短い感謝の言葉を口にし、あるいはかれのおかしなアクセントを笑うのだった。
 公爵はそのテーブルの反対の端にすわっていた。かれはその茶番劇を無視していた。それと同様に公爵は、この城の壁の中にある、いわゆる秘密の通路をも無視していた。グリーンはその通路をつたって公爵夫人の部屋に忍んでいけたのだ。習慣がそのことを求めていた。そしてもし、夫人がグリーンに飽きたり、グリーンの桃色遊びが過ぎたとはっきり非難したりすれば、公爵が一変して怒りに燃える良人(おっと)の役を演じることになるのも、これまた習慣のしからしめるところだった。それだけでもグリーンが神経質になるには充分なのに、注意しなければいけないのは、その公爵だけではなかった。アルゾーがいるのだ。
 アルゾーは公爵夫人の番犬で、赤みがかった金色の毛が密生しているマスティフに似た怪物だった。この犬は執念深くグリーンを憎んでいた。その理由はグリーンだけにわかることだった。というのは、体臭のせいだろうか、かれがこの星で生まれた人間でないということを、この畜生は知っているに違いなかったからだ。グリーンが公爵夫人の上におおいかぶさったり、あまり急に動いたりするごとに、アルゾーは咽喉(のど)の奥から唸り声を出して警告した。
 この犬でも、ときどき起きあがって人の足に鼻を押しつけることがある。グリーンはそうされたとき、いくら頑張ってみても冷汗が流れるのをとめることができなかった。というのはこの犬に、遊び半分に二回ほど噛みつかれてふくら脛(はぎ)をひどく裂かれたことがあるからだ。
 それだけではすまず、その傷がほとんど一晩という驚くべき速さで癒(なお)ってしまったことを原住民たちに気づかれないようにしなければならなかった。かれはやむをえず、新しい皮膚におおわれてしまったあとも、だいぶ長いあいだ足に包帯を巻いておかなければいけなかった。
 いまもこのぞっとする犬は、グリーンの慄(ふる)えおののく足をかぎまわり、かれに地獄の恐怖を覚えさせようとしていた。この地球人が、こうなりゃあ矢でも鉄砲でもどんな拷問でもやってきやがれ、この犬をたたっ殺してやろうと決心したちょうどそのときだった。公爵夫人が話しだした言葉が、この犬のことをまったく忘れさせてしまったのだ。
 商船の船長と話しこんでいる公爵にズーニは割りこんで言った。
「あなた……ねえ、どういうことざますの、あたし聞きましたのよ、鉄でできた大きな船に乗って二人の男が空から落ちてきたってお話は?」
 グリーンは身体が震えてくる思いを味わったが、息をのんで公爵の答えを待った。
 公爵は眉をよせた。背が低くて二重顎(あご)、白髪で、ごま塩まじりの密生した眉毛をはやしている男だ。
「男たちだと? それより悪魔どもというべきだな! 人間が鉄の船に乗って空を飛んだりできるものか。その二人は、星からやってきたと言いはったんだが、それはどういうことかわかるかい? オイクスロトルの予言を思い出すといい……悪魔がやってくる、天使だと称しながら……その二人に間違いないさ! ずる賢いもんだ。悪魔だとも天使だとも言わずに、人間だと言いはるとはな! 最も冷静な頭脳の持主以外には、見分けられないことだ。エストリアの王が欺されなくてよかったよ」
 ズーニは熱心に身体を乗りだした。彼女の大きな褐色の目は輝き、赤く染めた唇はひらいて濡れていた。
「まあ、王はもうその者たちを火あぶりにしてしまったと申されますの? なんて残念なことなんざましょう。少なくともしばらくのあいだは生かせておいて苦しめるべきでしたでしょうに」
 商人船長のミランは口をはさんだ。
「失礼ではございますが、慈悲深きお妃(きさき)さま、エストリアの王さまがそんなことをされたことはございません。エストリアの法が命じるところによれば、悪魔の疑いがあるものはすべて、二年のあいだ牢獄に入れておかなければいけないのでございます。だれもが知っていますように、悪魔は二年以上、人間に化けていることができません。それで二年たちますと、悪魔は生まれつきの身体と形に戻ってしまうのでございます。見るも恐ろしい、神様を汚す、ぞっとするような姿にでございますよ」
 ミランは良いほうの目玉をまわして白目(しろめ)をむき、そして悪魔を防ぐまじないをした。堅く握った拳から人さし指を突き出したのだ。公爵家お抱えの僧ジャグカクストルは、テーブルの下に飛びこんでお祈りを捧げた。三度祝福を与えられた木の下でひざまずいていれば、悪魔はその人に触れることができないということを信じているのだ。
 公爵はグラスになみなみとついである葡萄酒を飲みほした。明らかに気分を落ち着かせるためであり、飲み終わるとかれはげっぷをした。
 ミランは顔をふいて言葉をつづけた。
「もちろん、わたしはそう多くのことを見るわけにはいきませんでした。と申しますのは、わたくしども商人はいやに疑った目で見られますので、港と市場以外のところへはほとんど行けませんのです。エストリア人は女神を信仰しておりまして……まったく奇妙なことでございますがね……それでいて魚を食べるんでございますからね。あいつらはわれわれトロパティア人を憎んでおります。その理由というのが、わたしどもがザクスロパトル、男の中の男を信仰しているからであり、わたしどもに魚を運んでもらわなければいけないからでございますよ。でもあいつらは、口の軽い連中でございまして、それも無料で葡萄酒でも振舞ってやろうものなら、べらべらいつまででも喋っているんでございますよ」
 グリーンはやっと安堵の吐息をもらした。自分の本当の素性をここの連中に言わなくてよかった。かれらの知るかぎり、グリーンは遠い北の国からやってきた多くの奴隷のひとりにすぎないのだ。
 ミランは咳払いをし、紫色のターバンと黄色の衣服をなおすと、鼻につるしている黄金の輪をちょっと引っぱったあとで言った。
「エストリアからひと月で帰ってきたというので、わたしは運のよい男だと評判になっているのでございますが、わたし自身といたしましては、技術とそれに加うるに、信心深い者だけに神さまがたからくださったお恵みだと言いたいのでございますがね。ああ神さまがた、わたしは自慢しているのではございません、あなたさまがたに感謝を捧げているだけでございます。あなたさまがたはわたしの危険な仕事に微笑を投げかけてくださいましたし、わたしが捧げました多くの生贄(いけにえ)の匂いを喜んでくださいました!」
 グリーンは目をふせて顔を見られないようにした。嫌悪の表情が浮かんでいるに違いないと思ったからだ。そして同時に公爵夫人ズーニの靴がいらいらと床を叩いているのを見た。
 心の中でかれは唸り声を上げた。彼女はきっとこの会話を、彼女にとってもっと面白い話題に変えるだろうからだ。つまり、彼女の着物とか、彼女の胃の具合や顔色とかに。しかしそれはどうにもならないことだった。一家の主婦が朝食のあいだの話題を決める習慣だからだ。これが昼食か夕食であってくれさえすれば! それなら理屈の上からは男が支配権を握ることになっているのだ。
 ミランは言葉をつづけていた。
「二人の悪魔はとても背が高かったそうでございますよ。そう、そこにいるあなたさまがたの奴隷のグリーンぐらいに……それにやつらはひとこともエストリア語を話せませんでした。少なくとも、話せないようなふりをしていたのでございます。ラウスミツグ王の兵士たちがやつらをつかまえようとしましたとき、悪魔どもは奇妙な服の折り目から二挺のピストルを出しました。相手に向けさえすれば、音もなく恐ろしい確実な死を送りこめる代物(しろもの)でございますよ。いたるところに兵士の死体がころがり、多くの人に恐怖が襲いかかりましたが、勇敢な兵士が突撃をつづけまして、ついにその魔法の道具も種切れになってしまったのでございます。その悪魔どもはとうとう、どんな人間も悪魔もまだ逃げ出したためしのない《草原猫の塔》に閉じこめられました。やつらは《太陽の目の祭り》まで入れておかれ、そのあと火あぶりにされるのでございます……」
 テーブルの下からお抱え僧ジャグカクストルがぶつぶつつぶやく声が聞こえていた。そいつはこの家の中にいるすべての生き物、近頃生まれた小犬やノミに至るまでに祝福をあたえ、どれほど小さな悪魔でもそれにとりつかれているものはすべてを呪った。
 公爵はその声にいらだってテーブルの下を蹴とばした。ジャグカクストルは悲鳴をあげ、すぐに這って出てきた。席にもどり骨についている肉をかじりだしたそいつの顔には、うまくやったぞ・おれは・立派で・忠実な・下僕だからなというような表情がうかんでいた。
 グリーンもそいつを蹴とばしてやりたかった。どいつもこいつもこの星にいるやつらはみな蹴とばしてやりたいといつも思うのだ。この連中に同情と理解を持ってやらなければいけない、地球人だって遠い祖先はこいつらと同じように迷信深く、残酷で、吐き気がするような連中だったのだと、自分の心に言い聞かせることは難しかった。
 そんな連中のことを本で読むのと、じっさいにその中で暮らすのとでは、大変な違いがあった。歴史とかロマンチックな小説でも、原始人がどれほど粗野で病気持ちで因習にとらわれているかを述べることはできる。だがじっさいに胸をむかつかせるのは、あまりにも現実的すぎる悪臭だ。
 立っているかれのところまでズーニの強烈な香水が匂い、つるのように重苦しくからみつき、鼻を刺激する。それはミランが航海から持ち帰ってきた珍しい高価な香水で、この商人の尊敬のしるしとして彼女に贈ったものだった。それも少し使えば、女性としての優雅さとそこに秘められている微妙な情熱をほのめかすのに大きな効果をもたらしたことだろう。だが、そうではなかった。ズーニは月に一度以上風呂に入らないためのむっとするような体臭をごまかすために、その香水を湯水のようにふりかけていたのだ。
 彼女はじつに美しい、そしてひどくいやな匂いがする、とかれは思った。少なくとも、最初はそうだった。いまではそう美しく思えない。彼女がどれほどの馬鹿かわかってきたからだ。そして匂いのほうは、それほどひどく感じられなくなってきた。鼻のほうが少し慣れてきたからだ。慣れなければどうしようもないことなのだ。
 ミランは話した。
「祭りのときまでにはエストリアに戻るつもりでございますよ……これまで一度も、太陽の目が悪魔を焼くところを見たことがございませんのでね。それはそれは大きなレンズだそうでございますよ。あそこまで旅をして、雨期になるまでに帰ってくる時間はたっぷりあると思っております。今回よりもずっと大きな儲けができるものと期待しているのでございますよ。と申しますのは、お偉方と有利な契約をして参ったからでございます。ああ神さま、わたしは別に自慢しているわけではございません。ただあなたさまの卑しい信者、エフェニカ族の商人ミランめに、お恵みをくださいますようお祈りしているだけでございます!」
「お願い、この香水をもう少し持ってきてくださいな。それにあなたがくださったあのダイヤモンドの頸飾り、わたしとっても気に入っていますのよ」
 公爵夫人の声にミランは自分の手に接吻し、恍惚としたように目玉をまわして叫んだ。
「ダイヤモンド、エメラルド、ルビー! 本当にエストリア人は、夢かと思うほどの金持なんでございますよ! 宝石が滝の水しぶきのように市場に満ち溢れているのでございます。ああ、皇帝をおさそいして、大襲撃艦隊を編成し、あの城壁を破りさえしますれば!」
 公爵は唸り声を出した。
「皇帝は、自分の父親がそうしようとしたとき艦隊がどんな目に会ったかを骨身にしみて覚えていられるよ……先帝の三十隻の船を破壊してしまった嵐は、明らかに女神フーダに仕える坊主どもが起こしたものだ。わしはいつまでも、あの遠征は成功するはずだったと考えておるんだ。先帝が出帆なさる前の夜におこったお告げを無視しさえしなければとな。あれは偉大な神アクソプライキだった。そしてこう言われたのだ……」
 長ったらしい会話がつづいたが、グリーンの注意を引きつけるものではなかった。かれの頭の中は、エストリアにたどり着き、悪魔が乗ってきたとかいう鉄の船のところへ行く計画を考えることで一杯だった。それは宇宙船に違いない。これが唯一のチャンスだ。雨期がもうすぐ始まるだろう。そうなると少なくとも三カ月間は出帆する船がなくなるのだ。
 もちろんかれはひとりで歩いてゆき、徒歩でエストリアにたどりつけるかもしれない。何千マイルも歩きつづけ、数えきれないほどの危険を逃れ、そしてその町がどこにあるのかもはっきりとは知らず……だめだ。頼みの綱はミランだけだ。
 だが、どうやって……密航が成功するとは考えられない。そんな計画を奴隷たちが実行しないかと、いつも注意深く調べられるからだ。かれはミランを見た。背が低く、太っており、大喰らいで、鷲鼻で、片目で、二重顎で、大きな黄金の輪を鼻に通している。抜け目がない男だ。公爵夫人の公式の男妾が逃亡する手伝いなどして彼女の機嫌を損じるようなことはするまい。どうしても危険を犯してみる気になるほどの値打があるものをグリーンが提供しない限りはだめだ。ミランはまっとうな商人であることを自慢にしている。だがグリーンが見たところ、どれほど堅い石頭にも必ず大きな弱点があるものだ。貪欲(どんよく)という割れ目が。

……冒頭より

購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***