「ハーゼルムアの殺人」

アガサ・クリスティ/能島武文訳

ドットブック版 229KB/テキストファイル 192KB

500円

世の中から孤絶した、荒涼たる山中の一寒村……そこは一軒の山荘と六軒のコテージが、山の中に置き去られたようなところである。しかも、激しい吹雪に、まったく閉じこめられてしまったいっとき、そこから六マイル離れた山麓の小屋で、その山荘の持ち主が殺される。その殺人は山中の住人たちが、吹雪の午後のつれづれに集まって遊ぶ『こっくりさま』の神霊によって告げられた!
 集まるコテージの住人たちは、いずれも一癖も二癖もある人ばかりである。しかし、その人たちは、殺害の行われた時、六マイルも離れた、吹雪に孤立した山中にいたのである。サスペンスあふれるクリスティ初期の名編。
立ち読みフロア
 バーナビー少佐は、ゴムの長靴(ながぐつ)をはき、オーバーコートの襟(えり)を立てて首までしっかりボタンをかけ、戸口のそばの棚(たな)から防風ランプをとって、住んでいる小さなバンガローの表戸を、用心深くそっとあけて、外をのぞいてみた。
 目にはいるかぎり、どこもかしこも、雪だった。深い吹きだまりで――一インチか二インチの深さしか雪をつけていないところなどは、どこにもなかった。この四日ほどというもの、雪は、イギリス全土に降りつづいていたので、ここ、ダートムア高原のはずれでは、雪の深さは、数フィートにも達していた。まして、ふだんでも、この世の中から遠くかけ離れているのが、いまでは、ほとんど完全に切り離されてしまっている。ここ、シタフォードの小さな村では、冬期のきびしさは、まったく重大な問題だった。
 けれども、バーナビー少佐は、勇敢な、気魄(きはく)に満ちた人だった。かれは、二度ほど、鼻息荒く呼吸をし、一度、のどの奥でうなり声を出してから、決然と、降りしきる雪の中へ飛び出した。行く先は、あまり遠くではなかった。うねった小径(こみち)を数歩行ってから、門をはいり、ところどころ、風に吹き飛ばされて雪の積もっていない自動車道を登りかげんに行くと、かなりの大きさの花崗岩(かこうがん)造りの館(やかた)がある。その表戸を、少佐はたたいた。
 こざっぱりした服をまとった小間使が、ドアをあけた。少佐は、オーバーコートといっしょに、イギリス軍人好みの厚地の短外套(たんがいとう)をぬぎ、ゴムの長靴につづいて古びた襟巻もとった。さっと、奥のドアがあけられた拍子に、すっかり早変わりしてしまったのかと感ちがいしてしまったほど、その場の様子の一変した部屋(へや)へ、かれは、はいって行った。
 まだわずかに三時を三十分すぎただけだったが、カーテンは、すっかり降ろされ、電灯という電灯には、すっかり明かりがつき、暖炉には、大きな火が、盛んに炎をあげていた。ワンピースのアフタヌーン・ドレスを着た二人の婦人が立ちあがって、肚(はら)の底まで軍人といった感じの老勇士を迎えた。
「こんな日に外へ出ておいでになるなんて、ほんとに、あなたはすばらしいお方ですわね、バーナビー少佐」と、二人のうちの年上のほうの女がいった。
「いや、とんでもない、ウイレット夫人、なんでもありませんよ。お招きいただいて、ほんとにありがとうございます」といって、少佐は、二人と手を握り合った。
「ガーフィールドさんもいらっしゃいますのよ」と、ミセス・ウイレットが言葉をつづけた。「デュークさんも。それから、ライクロフトさんも、伺うつもりだとおっしゃってました――けど、あのお年ですもの、こんな荒れ模様じゃ、どうでしょうかしら。ほんとに、なんてひどいんでしょう。こんないやな日は、なんとかして楽しくでもしていなくちゃ、いられませんわ。ねえ、バイオレットや、もっと薪(まき)を火にくべてちょうだい」
 その仕事は、男のすることだといわんばかりに、少佐は、男らしく立ちあがって、「わたしがします、ミス・バイオレット」
 少佐は、物慣れた手つきで、適当なところに薪をおいて、改めて、この家の女主人公がすすめた肘掛椅子(ひじかけいす)にもどった。かれは、そっと素速く、部屋じゅうに視線を走らせて、いつの間にか、この部屋全体の感じを――これといって指摘できるほどの、目だったことはなんにもしないで、部屋のふんい気を変えてしまった二人の女性の、そのすばらしい頭の働きに驚嘆した。

……第一章「シタフォード荘」より


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