「銭形平次捕物控(2)」

野村胡堂作

ドットブック版 92KB/テキストファイル 56KB

300円

「私は徹底的に江戸の庶民を描く。とりわけ無辜(むこ)の女を虐(しいた)げる者は必ず罰せられるだろう。八五郎のように私はフェミニストだからである」作者野村胡堂はかつてこう書いた。本巻には、「瓢箪供養《ひょうたんくよう》」「金の茶釜」「活き仏」「権八の罪」の4編を収録した。
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「あ、八じゃねえか。朝から手前《てめえ》を捜していたぜ」
 路地の跫音《あしおと》を聞くと、銭形平次は、家の中からこう声をかけました。
「ヘエ、八五郎には違げえねえが、どうしてあっしと解ったんで?」
 仮住居の門口に立ったガラッ八の八五郎は、あわてて弥蔵《やぞう》〔ふところ手〕を抜くと、胡散《うさん》そうに鼻のあたりを、ブルンと撫で廻すのでした。
「橋がかりは長げえやな、バッタリバッタリと呂律《ろれつ》の廻らねえような足取りで歩くのは、江戸中捜したって、八五郎の外にはねえ」
 平次は春の陽溜りにとぐろを巻きながら、相変らず気楽なことを言って居るのです。
「ヘッ、呆《あき》れたものだ」
「俺の方でも呆れているよ。その跫音の聞えるのを、小半日待っていたんだ」
「用事てえのは、何ですかい、親分」
「それが少し変っているんだ。手前《てめえ》、昨日瓢箪《ひょうたん》供養に行ったっけな」
「行って見ましたよ、筆供養や針供養はチョクチョクあるが、瓢箪供養てえのは江戸開府以来だ。あれを見て置かねえと、話の種にならねえ」
「どんなことをやったんだ、一と通り話してくれ、――少し変なことがあるんだが、瓢箪供養の因縁《いんねん》が解らなきゃ、見当がつかねえ」
 平次は煙草を伸《のば》して、腹這いになったまま一服つけました。
 紫の烟《けむり》が、春の光の中にゆらゆらと流れると、どこかの飼い鶯《うぐいす》の声が、びっくりするほど近々と聞えます。長閑《のどか》な二月の昼下り、――
「因縁も糸瓜《へちま》もありゃしません、――寺島に住んで居る物持の佐兵衛、瓢々斎《ひょうひょうさい》とか何とかいって、雑俳《ざっぱい》の一つも捻《ひね》る親爺で、この男が、長い間の大酒で身体をいけなくし、フッツリ不動様に酒を断ったについては、今まで物好寄《ものずき》で集めた瓢箪が三十六、大きいのも小さいのも、良いのも悪いのもあるが、持って居るとツイ酒を入れて見たくなるし、人様に差上げても、酒を入れるより外に用事のない品だから、思い切って向島土手に埋めて供養塔を建てようという趣向《しゅこう》で――」
「なるほど少し変って居るな」
「三十六の瓢箪を自分の手で穴に埋め、その上に『瓢箪塚』と彫《ほ》った石を押っ立て、坊主が三人にお客が五十人ばかり、印導を渡して有難いお経を読んで貰って、それから平石《ひらいし》へ行って一と騒ぎの上、桜餅を土産に帰って来ただけのことで、何の変哲もありゃしません」
「ところが変哲なことになったんだ、――その瓢々斎が昨夜《ゆうべ》死んだとしたら、どんなもんだ」
「えッ」
 ガラッ八もさすがに胆《きも》をつぶしました。
 早耳が何より自慢の自分が、少し間抜けにされたのは宜いとしても、昨日あんなに元気で、百までも生きるような事を言っていた瓢々斎が、その晩死のうとは、全く夢にも思わなかったのです。

……「瓢箪供養《ひょうたんくよう》」冒頭

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