「銭形平次捕物控(11)」

野村胡堂作

ドットブック版 111KB/テキストファイル 68KB

400円

本巻収録作品

◆仏喜三郎
◆桐の極印
◆浮世絵師
◆お舟お丹
◆針妙《しんみょう》の手柄

立ち読みフロア
「親分、変な奴が来ましたよ」
 ガラッ八の八五郎は、長んがい顎《あご》を鳶口《とびぐち》のように安唐紙へ引っ掛けて、二つ三つ瞬きをして見せました。
「お前よりも変か」
 なんという挨拶でしょう。銭形平次はこんなことを言いながら、日向《ひなた》にねそべったまま、粉煙草をせせっているのです。
「ヘッ、あっしよりは若くて可愛らしいので」
「新造か、年増か、それとも――」
「どこかの小僧ですよ。――銭形の親分さんは御在宅でございましょうか――って、大玄関で仁義《じんぎ》を切ってますよ、バクチ打ちと間違えたんだね。水でも打《ぶ》っかけて、追い返しましょうか」
「待ちなよ。そんな荒っぽいことをしちゃならねえ。この平次を鬼のような人間と思い込んで鯱鉾張《しゃちほこば》っているんだ、丁寧に通すがいい」
「ヘエ――」
 やがて、ガラッ八のいわゆる大玄関の建て付けの悪い格子戸をガタピシさして、一人の客を招じ入れました。
「今日は、親分さん」
 敷居ぎわでお辞儀をして、ヒョイと挙げた顔を見ると、せいぜい十五六、まだ元服前の可愛らしい小僧でした。
 正直らしいつぶらな眼も、働き者らしい浅黒い顔も、そして物馴《ものな》れないおどおどした調子も、妙に人をひき付けます。
「そんなに改まらなくたっていいよ。――この野郎に脅《おど》かされて固くなったんだろう。安心するがいい、お上の御用は勤めているが、人を縛るのが商売じゃねえ」
 平次は八五郎と小僧を見比べながら、取りなし顔にこんな事を言うのでした。
「それがその――縛ってもらいたいんで、親分」
 小僧は途方もないことを言います。
「縛ってもらいたい――誰だい、そいつは?」
 平次はようやく居ずまいを直しました。可愛らしく膝小僧を二つ並べて、真っ正面から平次を見入る、一生懸命な二つの瞳を見ると、ツイこう生真面目にならずにはいられなかったのです。
「旦那を殺した奴を縛って下さい、親分さん」
「旦那を殺した奴? そいつは穏かじゃないな。――いったい誰が誰を殺したというのだ。落着いて話してみるがいい」
 平次は雁首《がんくび》で煙草盆を引き寄せて、相手の気の鎮まるのを待つように、ゆるゆると二三服吸いつけました。
「私は、市ヶ谷田町の宝屋久八の奉公人で今吉と申しますが、主人の久八が五日前に亡くなって、もうお葬《とむら》いも済みましたが、その死にようが、なんとしても腑《ふ》に落ちません。お寺でも文句無しに引き取った葬式ですから、私風情《ふぜい》が苦情を申したところで、なんの足しにもなりませんが」
 小僧はちょっと言い渋りました。
「どうしてそれが定命《じょうみょう》でないと解ったのだ」
 平次は追っ駈けるように訊ねます。
「旦那が亡《な》くなる前、うわ言のように――七千両、あいつにやられるか――と言いました」
「――七千両、あいつにやられるか――というのだな」
「ヘエ」
「それを誰と誰が聴いていた」
「私とお嬢様だけで」
「それっきりか」
「旦那が亡くなった後で番頭の善七さんが、(あの女がやったに違いない)と、独り言のように申しておりました」
「……」
「それから、離屋《はなれ》に住んでいる御親類のお安さんが、ゆうべ庭で番頭さんとひどい言い合いをして、――お前が殺したに違いない。お主殺しは磔刑《はりつけ》だよ――と大きな声で怒鳴っておりました」
「それから」
「それっきりですが、こんなことを聴くと、旦那の死んだのは、ただごとでないような気がします」
「それだけのことでは俺が乗り込むわけにも行くまいよ」
「でも親分さん」
 今吉は若くて敏感な者の本能的な恐怖に引きずられてここへ来たのでしょう。いちおう平次が宥《なだ》めたくらいのことでは、容易に引き取りそうもありません。
「親分、そいつは変な匂いがしますね、行ってみましょうか」
 傍から八五郎が、鼻をヒクヒクさせながら乗出します。
「待ちなよ、つまらねえことに十手を振り廻しちゃ、町方の恥だ。――ところでそれはお前一人の思い付きか」
「いえ、あの――」
 今吉は背後の方――入口を振り向きました。
「八、小僧さんには連れがあるようだ。呼んで来るがいい」
「ヘエ」
 八五郎は草履《ぞうり》を突っかけて外へ飛び出しましたが、その辺には今吉の連れらしい者は見付かりません。
「路地の中には誰もいませんよ、親分」
「そんなはずはない――ひどく犬が吠えていたようだ。あの犬は人に馴れているから滅多に吠えるはずはないが」
 いつも路地の口に居眠りをしている、角の酒屋の赤犬が、先刻《さっき》けたたましく吠えたのを平次は思い出したのです。
「お嬢さんが一緒に来ましたよ。極りが悪いからって外で待っていましたが、――変だなア」
 今吉も外へ飛び出しましたが、路地の中は言うまでもなく、広い往来へ出て、前後左右を見廻しても、それらしい姿はどこにも見えません。
「なんだって中へ入らなかったんだ」
 平次は少しとがめる調子でした。
「黙って帰ったんじゃありませんか」
 そんなことを言いながらも、平次と、八五郎と小僧の今吉は、手分けをしてそこいらじゅう探し廻りましたが、十八娘のお清は平次の家の前で、烟《けむり》のように消えてしまったのです。

……「桐の極印」冒頭

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