「銭形平次捕物控(13)」

野村胡堂作

ドットブック版 105KB/テキストファイル 62KB

340円

「親分ッ」
 飛込んで来たのは、ガラッ八の八五郎でした。
「何というあわてようだ。犬を蹴飛ばして、ドブ板を跳ね返して、格子をはずして、――相変らず大変が跛足馬《びっこうま》に乗って、関所破りでもしたというのかい」
 平次は朝の陽ざしを避けて、冷たい板敷をなつかしむように、縁側に腹ん這いになったまま、丹精甲斐のありそうもない植木棚を眺めて、煙草の煙を輪に吹いておりました。…平次とガラッ八との絶妙なコンビが織りなす江戸の風物詩。

本巻収録作品

◆捕物仁義
◆禁制の賦
◆忍術指南
◆二人浜路

野村胡堂1882〜1963)岩手県生まれ。盛岡中学から東大法科に入学したが、父親の死去にともなって退学、報知新聞社にはいって政治部記者となった。そのころから胡堂の筆名で創作に手を染めたが、昭和6年(1931)、「オール読物」創刊時に捕物帳執筆を頼まれて実現したのが「銭形平次捕物控」だった。「平次」は以後26年間つづき、長短あわせて382編という膨大なシリーズとなった。「わたしの捕物帖の特徴は、まず容易に罪人をつくらないこと、町民と土民に愛情をもったこと、侍や通人は徹底的にやっつけたこと、そして明るい健康的な捕物にしようと心掛けたことだろう」こう胡堂は語っている。「あらえびす」の名で知られたクラシック音楽の評論家でもあった。

立ち読みフロア
「親分、面白い話があるんだが――」
 ガラッ八の八五郎は、妙に思わせぶりな調子で、親分の銭形平次に水を向けました。
「何が面白くて、膝っ小僧なんか撫で廻すんだ。早く申し上げないと一張羅《いっちょうら》が摺《す》り切れそうで、心配でならねエ」
 そう言う平次も、この頃は暇でならなかったのです。
「親分が乗りだしゃ、一ペンに片づくんだが、あっしじゃね」
「たいそう投げてかかるじゃないか」
「せっかく頼まれたが、どうも相手がいけねエ」
「大家《おおや》か借金取りか、それとも叔母さんか」
「そんな不景気なんじゃありませんよ。イキの良い若い娘なんで、ヘッ」
 八五郎は耳のあたりから首筋へかけてツルリと撫で廻しました。余っ程手古摺《てこず》った様子です。
「なるほどそいつは大家より苦手だ。若い娘がどうしたんだ」
「朝起きてみると、娘が変っていたんで。姉様人形のように、人間の首が一と晩ですり替えられるわけはねえ。そんな事が流行《はや》った日にゃ――」
「待ちなよ八、そう捲《まく》し立てられちゃ筋が解らなくなる。どこの娘が変っていたというのだ」
「こういうわけだ、親分」
 八五郎はようやく落着いて筋を通しました。
 小日向《こびなた》に屋敷を持っている、千五百石取りの大旗本大坪石見《おおつぼいわみ》、非役で内福で、この上もなく平和に暮しているのが、朝起きてみると、娘の浜路《はまじ》がまるっきり変っていたというのです。
 浜路は取って十九、明日はいよいよ、遠縁の三杉島太郎次男要之助を婿養子に迎えるはずで、大坪家は盆と正月が一緒に来たような騒ぎ、当人もなんとなくソワソワと落着かぬ心持で床へ入った様子でしたが、翌る朝――というと、ちょうど昨日の朝、いよいよ今日は婚礼という時になって、婆やのお篠《しの》が顔色を変えて主人の大坪石見に耳うちをしたのです。お嬢様の様子が変だから、ちょっとお出でを願いたい――と。
「それから大変な騒ぎだ。ケロリとして顔を洗って、身支度をしている娘は、年恰好も浜路と同じくらい、武家風でツンとしたところのある浜路に比べると、下町風で愛嬌があって、優しくて、ちょいと鉄火で、負けず劣らず綺麗だが、人間はまるで変っている」
「それからどうした」
 話の奇《き》っ怪《かい》さに、平次もツイ吐月峰《はいふき》を叩いて膝を進めました。
「何しろ、色は少し浅黒いが、眼が涼しくて、口元に可愛らしいところがあって、小股《こまた》が切れ上がって、物言いがハキハキして――」
「そんな事を訊いてるんじゃねえ、それからどうしたんだよ」
「役者の拵《こしら》えを話さなくちゃ、筋の通しようはないじゃありませんか、――そのちょいと伝法《でんぽう》なのが滅法界野暮ったい、武家風の刺繍《ししゅう》沢山なお振袖かなんか鎧《よろい》って、横っ坐りになって、絵草子なんか読んでいるんだから、親分の前だが――」
「馬鹿野郎」
 ガラッ八の話のテンポの遅さ。これが親分を焦《じ》らして、自分から乗り出させる魂胆《こんたん》と知りながらも、平次はツイこう威勢の良い『馬鹿野郎』を飛ばしてしまいました。
「まず騙《だま》されたと思って、逢ってみて下さいよ。相手は武家屋敷だが、これが表沙汰になると、大坪の家名に拘《かか》わるから、用人の小嶺右内という人が、持て余してそっと、あっしに頼みに来たくらいだ。旗本の大身に御機嫌を取らせるのも、満更悪い心持じゃありませんよ」
「呆《あき》れた野郎だ」
「大事の大事の一人娘が行方不知《ゆくえしれず》になったが、その代りのニセ首を、成敗することも突き出すこともならねエ」
「フーム」
「娘はどこへ行った。お嬢様をどこへ隠した――とヤワヤワ訊くと、『私が浜路でございます』と、ニコニコしているんだから手の付けようはねえ。あんな時は、親分の前だが、綺麗な娘はトクだね。同じニセ首でも、こちとらのようなのだと、いきなり縛り上げて拷問にかけられる」
 ガラッ八の話は遊び沢山で、要領から遠くなるばかりですが、とにかく、千五百石取りの大身の一人娘が、祝言の前の晩、一夜のうちにすり替えられていたことだけは間違いありません。
「どりゃ、その綺麗なニセ首でも拝んで来ようか」
 平次もとうとう御輿《みこし》をあげる気になりました。

……「二人浜路」冒頭

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