「銭形平次捕物控(15)」

野村胡堂作

ドットブック版 123KB/テキストファイル 76KB

340円

「八、遊びに行こうか」
 平次もたまにはこんなこともありました。お小遣いはふんだんにあり、差し迫っての仕事はなし、隅田川を渡って、堀切あたりの菖蒲《しょうぶ》でも眺め、行々子《よしきり》の声でも聴いて、田園趣味にでも浸ろうかと思ったのでした。
 相棒には八五郎があり、帰りに一杯きこし召せば、それで文句を言う八五郎ではありません。
「そいつはありがたいが、親分、大変なことが始まったんで」
 八五郎はまだ朝飯前と見えて、寝ぼけた顔を二階から差しのぞかせました。
「お前の大変が来ないので、江戸は淋しくて叶《かな》わないよ、どうしたんだ八」……平次とガラッ八との絶妙なコンビが織りなす江戸の風物詩。

本巻収録作品

◆鉄砲の音
◆厩の火
◆宿場の女
◆敵討設計書
◆地中の富

野村胡堂1882〜1963)岩手県生まれ。盛岡中学から東大法科に入学したが、父親の死去にともなって退学、報知新聞社にはいって政治部記者となった。そのころから胡堂の筆名で創作に手を染めたが、昭和6年(1931)、「オール読物」創刊時に捕物帳執筆を頼まれて実現したのが「銭形平次捕物控」だった。「平次」は以後26年間つづき、長短あわせて382編という膨大なシリーズとなった。「わたしの捕物帖の特徴は、まず容易に罪人をつくらないこと、町民と土民に愛情をもったこと、侍や通人は徹底的にやっつけたこと、そして明るい健康的な捕物にしようと心掛けたことだろう」こう胡堂は語っている。「あらえびす」の名で知られたクラシック音楽の評論家でもあった。

立ち読みフロア

「ヘッ、ヘッ、ヘッ、親分」
 ある朝、八五郎が箍《たが》の外《はず》れた桶《おけ》みたいに、笑いながら飛び込んできました。九月もやがて晦日《みそか》近く、菊に、紅葉に、江戸はまことに良い陽気です。
「挨拶も抜きに、人の家へ笑い込む奴《やつ》もねえものだ。少しは頬桁《ほおげた》の紐を引締めろよ、馬鹿馬鹿しい」
 平次は精いっぱいに不機嫌な顔を見せながらも、実はこの二三日,八五郎を待ち構えていたのです。八が来てくれないと、良いニュースも入らず、平次の活動もきっかけがなくて、手につかないように、その心持は、連れそう恋女房のお静には、わかり過ぎるほど、よくわかっております。試《ため》しに、あの仏頂面を、ちょいと突いてやったら、顔の造作を崩して、笑い出すに違いありません。
「でも、こいつは、親分だって笑いますよ。あっしが三日も来なかったわけ、見当はつきますか、親分」
「いやにニヤニヤして、笑いの止まらないところをみると、新色《しんいろ》でも出来たか。――人の恋路を邪魔する気はねえが、お前のお膝もとの土手に陣を敷いてるのは止せよ。鼻を取払われたひにゃ、好い男の恰好が付かねえ」
「そんな、気障《きざ》な話じゃありませんよ。あっしはこの三日の間、金《かね》掘りに夢中だったんで」
「ハテね、江戸の真中で金掘りが始まったのかえ」
「親分は、あれを聴かなかったんで? 大膳坊覚方《だいぜんぼうかくほう》の話を」
「そんな坊主は知らねえな」
「ヘエ、呑気ですね。この辺も名題の神田御台所町で由緒《ゆいしょ》のあるところだ。大膳坊に頼んで観てもらっちゃどうです。相馬の御所から持ち運んで来た、平将門《たいらのまさかど》の軍用金が埋めてないとは限りませんぜ」
「脅《おど》かすなよ。――うんと金が出来て、岡っ引を止してしまったら、俺はこの世の中が退屈で、首を縊《くく》りたくなるかも知れない」
「ヘエ、そんなものですかね。――ともかくも近頃は麹町から、四谷、赤坂へかけて、金掘り騒ぎで大変ですよ。行ってみませんか」
「御免蒙《こうむ》ろうよ。眼の毒だ」
「親分は欲がなさ過ぎる。――こう言うわけですよ」
 その頃の江戸の地下には、何万両とも知れぬ硬貨――わけても、錆《さ》びも変質もしない、小判や小粒が埋まっているに違いないと言うことは、誰でも考えている、一つの常識だったのです。
 封建時代――幕府の財政に信用がなく、銀行制度もない世の中で、裕福な町人達が一番閉口したのは夥《おびただ》しい通貨を財えておく場所でした。その頃の人達は、何より火事が恐ろしかったのと、兌換《だかん》制度があやふやだったために、地方には藩札《はんさつ》というものはあっても、庶民の間には強制的に流布させる外はなく、一歩藩の外へ出ると、その藩札という紙幣の通用はむずかしかったので、勢い貯蓄の目標は、硬貨によるほかはなかったわけです。
 足利義政の乱脈な財政で、支那から鋳造銭《ちゅうぞうせん》を買い入れたり、秀吉の朝鮮征伐で、かなりの黄金を持ち出した上、その頃から盛んになった、長崎の貿易で、目に余るほどの金《きん》が外国に流出したことは事実ですが、それでも、当時の日本は、金の産出の豊富な国でした。金華山や、甲州や、伊豆や――関東以北だけでも大変な産金です。そのうえ、佐渡の金がドッと掘り出されたのですから、徳川初期の日本の富は大したもので、日光などという、とんでもない贅沢《ぜいたく》な建物が、ヒョイヒョイと出来たのもそのためです。
 日本一の都、殷賑《いんしん》を極めた江戸の大町人達が、手もとに集まってくる黄金を、どこに隠して置いたか、考えてみてもわかることです。
 戦国時代の後を承《う》けて、その頃の日本には、二三十万の浪人がいたと言われ、その半分や三分の一は江戸に住んでいたと見なければならず、仕官の出来るのは、そのまた何割で、多くの浪人達は、市井《しせい》に隠れて、芽の出るのを待ったのです。
 その何割かは商人になり、何割かは橋の袂《たもと》に立ったり、町道場を開いたり、小内職をしたり、寺子屋を開きました。が、はなはだ正直でないもの、世渡りの道を知らないもの、道徳観念のお粗末なのは、『斬取り強盗は武士の慣い』と観じたのもやむを得ないことでした。
 銀行制度もなく、投資機関もなく、そのくせ、うんと金の集まって来る大町人達は、これを瓶《かめ》に容れ、箱に納めて、大地の下深く匿《かく》したのはまことに当然な財産保護の方法だったのでしょう。江戸の通貨は相当のものであったにもかかわらず、今日まで残っている、その容器の千両箱や金箱というものが、非常に少ないのをみても、その間の消息はわかることと思います。
 封建時代の通貨隠匿は、日本も外国も同じことで、欧羅巴《ヨーロッパ》の中世から十九世紀の頃までは、地下の埋蔵金を探し出す、いろいろの方法が考えられました。
 占《うらな》い、禁呪《まじない》、呪文《じゅもん》、そんなもののほかに、ある種の魔法の杖を持って歩き、それが倒れた方角と角度と、顫動《せんどう》とで、地下の埋蔵金を見出す方法をさえ、一般に信じられた時代があったのでした。占者のようなのが、物々しい杖を持って歩くと、地下に金の埋まっているところでは、魔法の杖がそれに感応して、一種の運動を起こすと言われていたのです。



 八五郎の話と言うのはこうでした。
「大膳坊覚方と言う修験者《しゅげんじゃ》が、江戸の地下には、量《はか》り知れないほどの宝が埋まっているに違いない。それを片っぱしから掘り出して、諸人に授けを与えようという大願をたて、山を下って江戸の町へ入られた」
「たいそうなことだな。それで、いくらか掘り出したのか」
「掘り出しましたよ。さいしょは江戸の町人達も、どうせ、山かん野郎のペテン師だろうと多寡《たか》をくくって、――お寺の墓を掘り返してみねえ、骸骨《がいこつ》と一緒に、間違いもなく六道銭は入っているよ。――などと笑っていたが、そう言うお前の家の土竃《へっつい》の下には、十五枚の小判が埋まっていると言われ、大膳坊立ち合いの上で掘ったのは、麹町六丁目の酒屋久兵衛だ」
「フーン」
「なんにも出なかったら、思う存分に殴って、大恥を掻かせてつまみ出す約束で掘らせましたが――」
「出たらどうするんだ」
「もし言ったとおりの金が出たら、三つ一つ、つまり、十五両出たら、五両は大膳坊に差し上げ、大膳坊はそれを、貧乏人への施《ほどこ》しにする約束で掘ると、土竃《へっつい》の下、床板を剥いで、一尺五寸ほどの深さの地中から、古い小さい梅干瓶《うめぼしがめ》が一つ出ましたよ。汚れた蓋《ふた》を払ってみると、中から現れたのは、吹き立てみたいな、山吹色の小判が十五枚、酒屋久兵衛胆をつぶして触れたからたまりません」
「……」
「山の手一円の評判になって、俺の家も見てくれ、こっちの土蔵も掘ってくれという騒ぎだ」
「お前はその金掘りに手伝っていたのか」
「大膳坊に手伝ったわけじゃありませんが、何しろたいした評判で、あっしも伯母さんに手伝わされましたよ」
「お前の伯母さんのところからも小判が出たのか」
「小判とまでは行かないが、金が出たことは確かで」
「それはたいしたことじゃないか」
「まア聴いて下さい。――金掘りは麹町から、四谷、赤坂と拡がって行きましたが、皆んなが皆んな、金を埋めてある家ばかりではなく、中にはいくら掘っても、なんにも出て来ないのもある、大膳坊は法力が広大だから、ちょっと見ただけでも、金を埋めてある家と、なんにもない家とわかります。金が埋めてあるとわかると、家中の者に沐浴斎戒《もくよくさいかい》させ、家の真中に祭壇をつくり、揉みに揉んで祈る。――すると、埋めた金があるものなら、三日のうちに埋めた場所までわかるというからたいしたものでしょう」
「本当ならたいしたものだが、眉に唾《つば》をこっそり付けて聴くことだな。世の中に儲かる話ほど怖いものはない」
「伯母さんが、それを聴いて来たからたまりませんよ。四谷のお常客様《とくいさま》から、冬支度の仕立物を頼まれて、泊りがけで縫っているうち、現に目の前で、大膳坊が土竃《へっつい》の下から、小粒と小判交ぜて二両三分と掘りだしたのを見て来て、私の家の土竃の下にも、きっとあんな瓶があるに違いない。この向柳原の家に三代も住んでいるが、死んだ亭主が持っていたはずの金が、死んでしまってから捜してみたが、どうしても一両二分ほど足りない――と言い出したんで」
「なるほどね」
「大膳坊を頼むと、金を掘り出しても三つ一つの二分は取られる。みすみす無駄をしたくないから、お前が掘り出してくれと、伯母さんの頼みだ。さっそく土竃の下の床板を剥がし、ジメジメする土を、三日がかりで一万五千両も隠せるほど掘りましたよ」
「ところで、小判は?」
「小判なんざ、片《かけ》らも出やしません。出て来たのは、古釘と五徳のこわれと、鉄漿《かね》の壷だけ、これでも金には違いありませんが、――とんだくたびれ儲けで」
「伯母さんはどうした」
「まだ諦めきれないようですよ。こんどは大膳坊を呼んで来て、ひと揉み祈《いの》らせてみるという張り切りで、いやもう、もうけたのは肉刺《まめ》が三つ。こいつは近頃の大笑いじゃありませんか」

……「地中の富」冒頭


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