「銭形平次捕物控(16)」

野村胡堂作

ドットブック版 123KB/テキストファイル 69KB

340円

「いやもう、驚いたの驚かねえの」
 八五郎がやって来たのは、彼岸《ひがん》過ぎのある日の夕方、相変らず明神下の路地いっぱいに張り上げて、走りのニュースを響かせるのでした。
「なにを騒ぐんだ、ドブ板の蔭から、でっかい蚯蚓《みみず》でも這い出したというのか」
 平次は昼寝の枕にしていた、三世相大雑書を押し退けると、不精煙草の煙管《きせる》を取り上げます。
「そんな間抜けな大変じゃありませんよ、いきなり頭の上から、綺麗な新造が降って来たらどうします、親分は?」
「ヘエ、不思議な天気だね、三世相にも今年は新造や年増が降るとは書いてなかったが」……お馴染み平次とガラッ八。

本巻収録作品

◆美男番付
◆五月人形
◆美しき鎌いたち
◆屠蘇の杯

野村胡堂1882〜1963)岩手県生まれ。盛岡中学から東大法科に入学したが、父親の死去にともなって退学、報知新聞社にはいって政治部記者となった。そのころから胡堂の筆名で創作に手を染めたが、昭和6年(1931)、「オール読物」創刊時に捕物帳執筆を頼まれて実現したのが「銭形平次捕物控」だった。「平次」は以後26年間つづき、長短あわせて382編という膨大なシリーズとなった。「わたしの捕物帖の特徴は、まず容易に罪人をつくらないこと、町民と土民に愛情をもったこと、侍や通人は徹底的にやっつけたこと、そして明るい健康的な捕物にしようと心掛けたことだろう」こう胡堂は語っている。「あらえびす」の名で知られたクラシック音楽の評論家でもあった。

立ち読みフロア

「親分、ウフ、可笑《おか》しなことがありましたよ、ウヘ、ヘ、ヘッヘッ」
 ガラッ八の八五郎が、タガの弛《ゆる》んだ桶《おけ》のように、こみ上げる笑いを噛みしめ噛みしめ、明神下の平次の家に入って来ました。
「冗談じゃない、人の家へゲラゲラ笑いながら入って来やがって、水をブッ掛けて、酒屋の赤犬をけし《ヽヽ》かけるよ」
「怒らないで下さいよ、あっしはまた、可笑しくて可笑しくて、横っ腹の筋がキリキリするほど笑っているのに、親分はまた、なんだってそんなに機嫌が悪いんで」
「盆も正月も無《ね》え野郎にはわかるめえが、今日は十月の晦日《みそか》だ、先刻《さっき》から何人掛取りを断わったと思う、こいつは洒落《しゃれ》や道楽で出来る芸じゃ無えぜ」
「相済みません、人の気も知らねえようですが、借金や掛けは払わねえことにきめていると、思いのほか気の軽いもので」
「呆れた野郎だ、だから伯母さんは、おまえの尻拭《しりぬぐ》いで苦労しているじゃないか、その気だから三十にもなって、まだ嫁に来手も、婿にもらい手もねえ始末だ」
「でももう少し放って置いて下さいよ、女房を持つと、急に人間がケチになって、爺々《じじ》むさくって人に意見ばかりするようになるから――おっと、親分のことじゃありませんよ、親分は女房持ちでも、パッパッと――」
「お世辞なんか止せ、お前の柄じゃねえ、ところで何がそんなに可笑しいんだ」
「ヘッ、その事、その事。あっしがいつまで独りでいるわけも、実はそこにあるんで、ヘッ、ヘッ、ヘッ」
「また笑い出しゃがる、気味の悪い野郎だ」
「実はね、親分、このあっしが、色男番付へ載《の》ったんだから大したものでしょう」
「色男番付? そいつはどこの国の番付だ、よもや日本じゃあるめえ」
 八五郎のヌケヌケした報告に、さすがの平次も胆《きも》をつぶしました。名物の顎《あご》を二三寸切り詰めたところで、これは色男という人相ではありません。
「日本も日本、江戸の真中、神田向柳原で、洒落た野郎が『息子番付』というのを拵《こせ》えましたよ。表向きは『息子番付』だが、内々は『美男番付』の積りでね。もっとも去年は外神田の『娘番付』というのを拵え、瓦版にしてバラ撒いたのがありましたよ。そいつは師匠の文字花と、水茶屋のお幾が、自分たちを東西の大関に据える細工に、うんと金を費ってやった仕事とわかって、大笑いで済みましたが、今度は向柳原一円の若い者が集まって、相談のうえきめた番付だから、間違いも胡麻化しもありゃしません」
「物好きな人だな」
「今月は顔見世月で、芝い町の方もたいへんな景気だから、こっちでも一番素人芝居でも打って、江戸中の娘達の人気をさらってやろうと言う相談で、まず手始めに拵えたのが『息子番付』その実は『美男番付』その中から、立役も女形《おやま》もきめようという寸法で」
「で、その番付は?」
「東、大関は佐久間町の酒屋、丹波屋《たんばや》の倅清次郎、西の大関は棟梁《とうりょう》乙松の倅で辰三郎、東の大関は、米屋の下男で鶴吉――」
「番付を一々読上げられちゃたまらない、――大事なのはお前だ、三役にでも入ったというのか」
「なァに、そこまでは行きませんがね」
「前頭の何枚目というところか」
「それ程でもないんで」
「それじゃなんだ、年寄りか勧進元《かんじんもと》か」
「とんでもねえ、そんな爺々むさいのじゃありませんよ、正直に申し上げると、呼出し奴、いい役ですぜ――こう半開きの扇《おうぎ》を口に当てて」
「プッ、腹も立たねえな」
「さいしょからの申し合せで、役不足は言わねえことにしてあるんで、番付に載らねえ奴だってあるんだから、不服を言おうものなら、町内の息子付き合いが出来なくなります」
「それで嬉しがっているのは、お前の取柄だ、世の中が無事でいい、ところで話はそれっ切りか」
「その『息子番付』の両大関が、去年の娘番付の張出大関、師匠の文字花や水茶屋のお幾ではなくて、米屋の孫娘お芳を、三つ巴になって張り合っているから面白いじゃありませんか」
「そんな事は、面白くもなんともないよ」
 平次はあっさり片づけてしまいましたが、これが大きな騒ぎの原因になろうとは、もとより思いもよりません。
 江戸時代の閑人《ひまじん》の間に、『見立て』とか『番付』の流行《はや》ったことは想像以上で、今日に残る悪刷《あくずり》、洒落本などにその盛大さを伝えております。どこの町内にも七福神見立てや忠臣蔵見立てがあり、喰う苦労のない人間が集まれば、各種の番付が作られて、それが善意にも悪意にも利用され、噂話《うわさばなし》の種になったのです。



 それから幾日か経って、まだお月様が丸くなりきらない頃、八五郎がうさんな顔をして、明神下の平次の家を訪ねて来ました。
「変なことがありましたがね、親分」
「何が変なんだ、おまえが急に出世して、息子番付の大関にでも据えられたというのか」
「そんな事なら、少しも変じゃありませんが――」
「大きく出やがったな」
「息子番付の大関、向柳原一番の良い男丹波屋の清次郎が、ゆうべ頓死《とんし》しましたよ」
「頓死?」
「頓死に違いありません、米屋の隠居藤兵衛の家の前で、倒れたっきりグウと伸びちゃったんで」
「変った話だな、清次郎の年はいくつだ」
「たった二十一、中気のあたる年じゃありませんね、――でも傷もなんにもなく、毒にやられた様子もないから、頓死とでも思わなきゃ、親達だって諦めきれませんよ」
「まァ、詳しく話してみるがいい、どんな様子だったんだ」
 平次は乗気になりました。二十一の良い若い者が、ポカポカ頓死するような陽気ではなかったのです。
「さいしょから話さなきゃわかりませんがね、佐久間町の米屋の隠居藤兵衛というのは、もう六十を越した年寄りですが、老耄《ろうもう》して起居《たちい》も不自由なので、家の者とは別に住んでおり、孫娘のお芳とお種が介抱しております」
「……」
「ところがその孫娘のお芳というのは、神田下谷きっての良いきりょうで、番付面では張出大関だが、版元に金をやって、娘番付の大関になった、文字花やお幾とは、比べものにならないほどの綺麗な娘です」
「で?」
「そのお芳と言うのが、顔にも素性にも似合わないお転婆者で、講中は何人あるかわかりません。母親は義理のある仲、父親は店の忙しさで寄りつかないのをいいことに、隠居の見舞いということにして、若い男が入りびたりだから面白いじゃありませんか」
「ちっとも面白くないよ、そう言うお前も、講中の一人だろうが」
「講中といっても、あっしなんかは相手にされませんよ、遠くから吠えて見せるだけで」
「情けねえな」
「その隠居藤兵衛のところへ、酒屋の倅清次郎が見舞いに行った帰り――見舞いといったところで、馬鹿な話をして夜を更かして、孫娘お芳の顔をマジマジと見ながら、お月様の傾きかけた頃腰をあげて、孫娘のお芳に見送られて表の格子を出る、――またいらっしゃいね――とかなんとか愛嬌笑いを浴びて、格子の外へ出る、近頃はもう、夜風が少し寒いから、お芳は内から雨戸を閉めて、清次郎の足音がドブ板の上に鳴ったと思うと」
「たいそうト書《が》きが長いね」
「まア、我慢して聴いて下さいな、――戸を閉めるとまもなく、ちょうど清次郎が身づくろいをして、シャナリシャナリと歩きはじめた頃、ドタリグウと来た」
「なんだえ、そのドタリグウというのは」
「人間の倒れた音で、お芳は胆《きも》をつぶして、下女のお種をお勝手から呼んで表戸をあけさせ、ちょうど二階から飛び降りて来た、下男の猪之助――この男は米屋の搗《つ》き男ですが、病人と若い女ばかりでは物騒だというので、親の指図で米搗き男が交る交る泊まりに来ることになっております」
「で、三人が一緒に表へ飛び出したというのか」
「飛び出すまでもありません、戸を開けると、鼻の先に、ドタリグウの正体が転がっていますよ」
「?」
「抱き起こしてみると、清次郎はもう人心地もなく、まもなく息が絶えてしまいました。人間は弱いようにみえても、そう脆《もろ》いものじゃない、二十一の若い男が、雷鳴に打たれたように、ジタバタせずに死ぬのは変だと、さっそく同じ町内のあっしが呼び出されましたが、沈みかけた月の光で見ても、四方には人間の片《かけ》らもなし、清次郎の死骸には、針の先ほどの傷もないから、親分を呼びに来る張合いもなくなってしまいました」
「それは昨夜の事か」
「まだ死骸も酒屋の親元に引取ったまま、そのままにしてありますよ、どうしたものでしょう」
「行ってみよう、どうも腑《ふ》に落ちないことがある」
 平次は珍しく、自分の方から乗出す気になりました。それほどの事件とも思わない、八五郎のほうが面喰ったほどです。

……「美男番付」冒頭


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