「銭形平次捕物控(19)」

野村胡堂作

ドットブック版 114KB/テキストファイル 66KB

340円

「おっと、待った」
「親分、そいつはいけねえ、先刻――待ったなしで行こうぜ――と言ったのは、親分の方じゃありませんか」
「言ったよ、待ったなしと言ったに相違ないが、そこを切られちゃ、この大石(たいせき)がみんな死ぬじゃないか、親分子分の間柄だ、そんな因業(いんごう)なことを言わずに、ちょいとこの石を待ってくれ」
「驚いたなア、どうも。捕物にかけちゃ、江戸開府以来の名人と言われた親分だが、碁(ご)を打たしちゃ、からだらしがないぜ」……お馴染み平次とガラッ。

本巻収録作品

◆幽霊の手紙
◆名馬罪あり
◆庚申横町(こうしんよこちょう)
◆迷子札

野村胡堂1882〜1963)岩手県生まれ。盛岡中学から東大法科に入学したが、父親の死去にともなって退学、報知新聞社にはいって政治部記者となった。そのころから胡堂の筆名で創作に手を染めたが、昭和6年(1931)、「オール読物」創刊時に捕物帳執筆を頼まれて実現したのが「銭形平次捕物控」だった。「平次」は以後26年間つづき、長短あわせて382編という膨大なシリーズとなった。「わたしの捕物帖の特徴は、まず容易に罪人をつくらないこと、町民と土民に愛情をもったこと、侍や通人は徹底的にやっつけたこと、そして明るい健康的な捕物にしようと心掛けたことだろう」こう胡堂は語っている。「あらえびす」の名で知られたクラシック音楽の評論家でもあった。

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幽霊の手紙



 江戸開府以来の捕物の名人と言われた銭形の平次が、幽霊から手紙を貰ったという不思議な事件は、子分のガラッ八こと、八五郎の思いも寄らぬ縮尻(しくじり)から始まりました。
「親分、近頃は暇ですかえ」
「なんて挨拶だ。いきなり人の前へ坐って、懐(ふとこ)ろ手(で)をしたまま長い顎を撫でながら――暇ですかえ――という言い草は?」
 平次は脂下(やにさが)りに噛んだ煙管(きせる)をポンと叩くと、起き上がってこの茫(ぼう)とした子分の顔を面白そうに眺めるのです。
「銭形の親分が、この結構な日和(ひより)に籠って、寝そべったまま煙草の烟(けむり)を輪に吹いているんだから、暇で暇で仕様がないにきまって居るじゃありませんか」
「馬鹿だなあ、だからお前はまだろくな仕事が出来ないのだ。こう寝そべって煙草の烟を輪に吹いている時こそは、こちとらが一番忙しく働いている時なんだ」
「ヘエ――」
「クルクル動いている時は、ありゃ遊びさ。こう呑気そうにしている時こそ、ありったけの智恵を絞って、悪者と一騎討の勝負をしている時だよ」
「ヘエ――、いったいその悪者はどんな野郎なんで?」
「たいそう感心するじゃないか、あんまり真に受けられると引っ込みが付かなくなるが、なアに、そんなたいした相手じゃない。お前も知ってのとおり、深川島田町の佐原屋(さわらや)の支配人殺しの一件だが、下っ引任せでまだ下手人が挙らねえから、いよいよ俺も御輿(みこし)を上げなきゃなるまいと思っているところよ」
「実はその事なんですがね、親分」
「なんだ、いきなり膝なんか乗り出して」
「その佐原屋の騒動とは、一万両とかの金の行方が絡(から)んでいるそうじゃありませんか」
 八五郎の眼の色は少し変っております。
「それがどうしたというのだ」
「あっしは古いことはよく知りませんが、なんでも五年前に死んだ佐原屋の主人甚五兵衛が隠して置いた、一万両という大金の在所(ありか)を嗅ぎ出したので、支配人の専三郎が殺されたに違いない――首尾よく下手人を捉まえて、一万両の金を捜し出せば、千両の褒美を出す――って、あの店の采配を振っている、主人の弟の小豆沢(あずきざわ)小六郎という浪人者が言ったそうじゃありませんか」
「フーム」
「先刻お神楽の清吉の野郎が眼の色を変えて飛んで行きましたよ。『千両の褒美はこの清吉がきっと取ってみせる、済まねえが八兄哥(あにい)後で文句は言わないでくれ』って、癪(しゃく)な言い草じゃありませんか。だからあっしは、親分が暇で仕様がないなら、一番乗り出してその千両の褒美をせしめ――」
「馬鹿野郎」
「ヘエ――」
 いきなり馬鹿野郎を浴びせられて、八五郎は首を縮めました。
「金を目当の仕事なんど、真っ平御免蒙るよ。お上の御用は勤めているが、褒美の金なんかに釣られてウロウロするようなそんな野郎は大嫌いさ。さっさと帰ってくれ、帰らなきゃ野郎ゴミと一緒に掃き出して塩をブッかけるから」
 平次はもってのほかの機嫌でした。もっともこんなことをポンポンと言う癖に、寛々(かんかん)と胡座(あぐら)なんかかいて、ニヤリニヤリと笑っているのです。この秘蔵の子分のガラッ八が、腹の底から金が欲しくてウロウロしているのでないことはよくわかっているのでした。
「驚いたなア、あっしは褒美の金が欲しくて言ったわけじゃありませんよ。眼の色を変えて飛んで行く、お神楽の清吉の野郎が癪にさわったんで。――それに千両ありゃ、親分にいつまで貧乏させることはないし」
「それが余計だよ。馬鹿だなア、俺は酔狂で貧乏しているんだ。お前なんかに不憫(ふびん)を掛けて貰いたくねえ」
「それからもう一つ。佐原屋の後見で、先代の義理の弟小豆沢小六郎という浪人者は、あっしとは懇意なんで」
「浪人者とお前がかい」
「浪人者といっても、すっかり町人になり済ましていますよ。二三年前から品川の沖釣りで心安くなって、竿(さお)先三尺の付合いで」
「竿先三尺の付合いという奴があるかい」
「へッ、柄(つか)先三寸の洒落(しゃれ)で」
「馬鹿だなア」
「これは二た月も前のことなんですが――小豆沢小六郎という浪人者が言うんですよ。先代の主人が隠した一万両という金が出て来ないうちは、佐原屋に騒動が絶えない、金の祟(たた)りというのだろう。銭形の平次親分のような智恵の逞(たくま)しい人間に来てもらって、なんとかしてこの金を探し出したい――と、そう言っていましたよ」
「フーム」
「その金が祟って、また支配人の専三郎が殺されるようなことになったじゃありませんか」
「……」
「だから親分、ちょいと出かけて行って――」
「まア止そう。一万両なんて金は、天井裏や床下に隠し終わせる代物じゃねえ。いずれ時節が来れば出るだろう。――が支配人殺しは俺も考えているんだ。あんまり手際がよくて、下っ引を二三人やったくらいじゃ下手人の見当も付かないが、これは放って置くわけに行かない」
「だから親分」
「こうしようじゃないか、今まで俺が聞き出した事は皆んなお前に話してやった上、何もかもお前に任せて俺は手を引く。その上、下手人を縛ろうと、千両の褒美を取ろうと、お前の腕次第ということにしてはどうだ」
「本当ですか、親分」
「誰が嘘を言うものか、褒美が付いていなきゃ、俺がやろうと思って、ずいぶん念入りに調べさせてあるよ。これだけのことをしてやって、それでもお神楽の清吉に負けたら、坊主にでもなるがいい」
「勝ったら、親分」
「千両の褒美で長屋でも建てるんだね、岡っ引きよりは家主(やぬし)の方が柄に合いそうだぜ。嫁は俺が世話してやらア」
「誰です、親分。良い心あたりがありますか」
「煮売屋(にうりや)のお勘子よ――あの娘は何か芸当があるんだってね。寝小便と癲癇(てんかん)」
「止して下さいよ、親分」
 二人はそんな冗談を言いながらも、仕事の打ち合せは進行させました。

……冒頭より


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