「銭形平次捕物控(20)」

野村胡堂作

ドットブック版 114KB/テキストファイル 60KB

340円

「御免」
 少し職業的に落着き払った声、銭形平次はそれを聞くと、脱いでいた肌(はだ)を入れて、八五郎のガラッ八に目くばせしました。生憎きょうは取次に出てくれる、女房のお静がいなかったのです。
「ヘッ、あの声は臍(へそ)から出る声だね」
 ガラッ八は頸(くび)を縮(すく)めて、ペロリと舌を出しました。
「無駄を言わずに取次いでくれ」
「当てっこをしましょうや――年恰好、身分身装(みなり)」
「馬鹿だなア」
「まず、お国侍(くにざむらい)、五十前後の浅黄裏(あさぎうら)かな」
 八はもっともらしく頸を捻(ひね)ります。
「訛(なまり)がないぜ――それに世馴れた調子だ――まず大家(たいけ)の用人というところかな」
 平次もツイ釣られます。……お馴染み平次とガラッ。

本巻収録作品

◆平次屠蘇機嫌(とそきげん)
◆敵討(かたきうち)果てて 
◆紅筆願文(べにふでがんもん) 
◆白紙の恐怖

野村胡堂1882〜1963)岩手県生まれ。盛岡中学から東大法科に入学したが、父親の死去にともなって退学、報知新聞社にはいって政治部記者となった。そのころから胡堂の筆名で創作に手を染めたが、昭和6年(1931)、「オール読物」創刊時に捕物帳執筆を頼まれて実現したのが「銭形平次捕物控」だった。「平次」は以後26年間つづき、長短あわせて382編という膨大なシリーズとなった。「わたしの捕物帖の特徴は、まず容易に罪人をつくらないこと、町民と土民に愛情をもったこと、侍や通人は徹底的にやっつけたこと、そして明るい健康的な捕物にしようと心掛けたことだろう」こう胡堂は語っている。「あらえびす」の名で知られたクラシック音楽の評論家でもあった。

立ち読みフロア

平次屠蘇機嫌(とそきげん)



 元日の昼下り、八丁堀町御組屋敷の年始廻りをした銭形平次と子分の八五郎は、海賊橋(かいぞくばし)を渡って、青物町へ入ろうというところでヒョイと立止りました。
「八、目出度いな」
「ヘエ――」
 ガラッ八は眼をパチパチさせます。正月の元日が今はじめて解ったはずもなく、天気は朝っからの日本晴れだし、今さら親分に目出度がられるわけはないような気がしたのです。
「旦那方の前(めえ)じゃ、呑んだ酒も身につかねえ。ちょうど腹具合も北山だろう、一杯身につけようじゃないか」
 平次はこんな事を言って、ヒョイと顎(あご)をしゃくりました。なるほど、その顎の向った方角、活鯛(いけだい)屋敷の前に、いつの間に出来たか、洒落(しゃれ)た料理屋が一軒、大門松を押っ立てて、年始廻りの中食で賜わっていたのです。
「ヘエ――、本当ですか、親分」
 ガラッ八の八五郎は、存分に鼻の下を長くしました。ツイぞこんな事を言ったことの無い親分の平次が、与力笹野新三郎の役宅で、屠蘇(とそ)を祝ったばかりの帰り途に、一杯呑み直そうという量見が解りません。
「本当ですかは御挨拶だね。後で割前を出せなんてケチな事を言う気遣いはねえ。サア、真っ直ぐに乗り込みな」
 そう言う平次、料理屋の前へ来ると、フラリとよろけました。組屋敷で軒並嘗(な)めた屠蘇が、今になって一時に発したのでしょう。
「親分、あぶないじゃありませんか」
「何を言やがる。危ねえのは手前(てめえ)の顎だ、片付けて置かねえと、俺の髷節に引っ掛るじゃないか」
「冗談でしょう、親分」
 二人は黒板塀をめぐらした、相当の構えの門へつながって入って行きました。
 真新しい看板に「さざなみ」と書き、浅黄(あさぎ)の暖簾に鎌輪奴(かまわぬ)と染め出した入口、ヒョイと見ると、頭の上の大輪飾(おおわかざり)が、どう間違えたか裏返しに掛けてあるではありませんか。
「こいつは洒落(しゃれ)ているぜ、――正月が裏を返しゃ盆になるとよ。ハッハッ、ハッハッ、だが、世間付合いが悪いようだから、ちょいと直してやろう」
 平次は店の中から空樽(あきだる)を一梃持出して、それを踏台に、輪飾りを直してやりました。
「入らっしゃい、毎度有難う存じます」
「これは親分さん方、明けましてお目出度うございます。大層御機嫌で、ヘッ、ヘッ」
 帳場にいた番頭と若い衆、掛け合いで滑らかなお世辞を浴びせます。
「何を言やがる、身銭を切った酒じゃねえ、お役所のお屠蘇で御機嫌になれるかッてんだ」
「ヘッ、御冗談」
 平次は無駄を言いながら、フラリフラリと二階へ――
「お座敷はこちらでございます。二階は混み合いますから」
 小女が座布団を温めながら言うのです。
「混み合った方が正月らしくていいよ。大丈夫だ、人見知りをするような育ちじゃねえ。――もっともこの野郎は酔いが廻ると噛み付くかも知れないよ」
 平次は後から登って来るガラッ八の鼻のあたりを指すのでした。
 小女は苦(に)んがりともせずに跟(つ)いて来ました。二階の客は四組十人ばかり、二た間の隅々に陣取って正月気分もなく静かに呑んでおります。
「そこじゃ曝(さら)し物みたいだ。通りの見える所にしてくれ」
 部屋の真中に拵(こしら)えた席を、平次は自分で表の障子の側に移し、ガラッ八と差し向いで、威勢よく盃を挙げたものです。
「大層な景気ですね、親分」
 面喰ったのはガラッ八でした。平次のはしゃぎ様も尋常ではありませんが、それより胆を冷やしたのは、日頃堅いで通った平次の、この日の鮮(あざ)やかな呑みっ振りです。
「心配するなよ。金は小判というものをフンダンに持って居るんだ。――なア八、俺もこの稼業には飽々(あきあき)してしまったから、今年は一つ商売替えをしようと思うがどうだ」
「冗談で――親分」
「冗談や洒落で、元日早々こんな事が言えるものか。大真面目の涙の出るほど真剣な話さ。ね、八、江戸中で一番儲かる仕事は一体なんだろう。――相談に乗ってくれ」
 そう言ううちにも、平次は引っ切りなしに盃をあけました。見る見る膳の上に林立する徳利の数、ガラッ八の八五郎は薄寒い心持でそれを眺めて居ります。
「儲かる事なんか、あっしがそんな事を知っているわけが無いじゃありませんか」
「なるほどね。知って居りゃ、自分で儲けて、この俺に達引(たてひ)いてくれるか。――有難いね、八、手前の気っぷに惚れたよ」
「……」
 ガラッ八は閉口してぼんのくぼを撫でました。
「――もっとも、手前の気っぷに惚れたのは俺ばかりじゃねえ。横町の煮売屋のお勘(か)ん子がそう言ったぜ。――お願いだから親分さん、八さんに添わして下さいっ――てよ」
「親分」
「悪くない娘だぜ。少し、唐臼(からうす)を踏むが、大したきりょうさ。どっちを見て居るか、ちょっと見当の付かない眼玉の配りが気に入ったよ。それに、あの娘はときどき垂れ流すんだってね、とんだ洒落た隠し芸じゃないか」
「止して下さいよ、親分」
「首でも縊(くく)ると気の毒だから、なんとか恰好をつけておやりよ、畜生奴(め)」
「親分」
 ガラッ八はこんなに驚いたことはありません。銭形の平次は際限もなく浴びせながら、滅茶滅茶に饒舌(しゃべ)りまくって二階中の客を沈黙させてしまいました。
 四組のお客は、それにしても何というおとなしいことでしょう。そのころ流行(はや)った、客同士の盃のやりとりもなく、地味に呑んで、地味に食う人ばかり。そのくせ、勘定が済んでも容易に立とうとする者はなく、後から後からと来る客が立て込んで、いつの間にやら、四組が六組になり、八組になり、八畳と四畳半の二た間は、小女が食物を運ぶ道を開けるのが精いっぱいです。
「なア、八、本当のところ江戸中で一番儲(もう)かる仕事を教えてくれ、頼むぜ」
 平次はなおも執拗にガラッ八を追及します。
「泥棒でもなるんですね、親分」
 ガラッ八は少し捨鉢になりました。
「なんだとこの野郎ッ」
 平次は何に腹を立てたか、いきなり起ち上ってガラッ八に掴みかかりましたが、さんざん呑んだ足許が狂って、見事膳を蹴上げると、障子を一枚背負ったまま、縁側へ転げ出したのです。
「親分、危いじゃありませんか」
 飛びつくように抱き起したガラッ八、これはあまり酔っていない上、どんなに罵倒(ばとう)されても、親分の平次に向って腹を立てるような男ではありません。
「ああ酔った。――俺は眠いよ、ここでひと寝入りして帰るから、そっとして置いてくれ」
 障子の上に半分のしかかったまま、平次は本当に眼をつぶるのです。
「親分――さア、帰りましょう。寝たきゃ、家に帰ってからにしようじゃありませんか」
「何を。女房の面(つら)を見ると、とたんに眼がさめる俺だ。お願いだから、ここで――」
「親分、お願いだから帰りましょう、さア」
 ガラッ八は手を取って引き起します。
「よし、それじゃ素直に帰る。手前(てめえ)これで、勘定を払ってくれ。言うまでもねえが、今日は元日だよ、八、勘定こっきりなんてみっともねえことをするな」
「心得てますよ、親分。――小判を一枚ずつもやりゃいいんでしょう」
「大きな事を言やがる」
 ガラッ八は平次を宥(なだ)めながら、財布から小粒を出して勘定をすませ、板前と小女に、機(はず)み過ぎない程度のお年玉をやりました。
「あ、親分、そんな事は、婢(おんな)にやらせて置けばいいのに――危いなアどうも」
 八五郎もハッとしました。平次は覚束ない足を踏み締めて、自分の外した障子を一生懸命元の敷居へはめ込んで居るのです。
「放って置け。俺が外した障子だ、俺が直すに何が危ないものか。おや、裏返しだぜ。骨が外へ向いてけつかる、どっこいしょ」
 平次はまだ障子と角力(すもう)を取って居ります。


……冒頭より


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