「火の昔」

柳田国男著

ドットブック版 1.1MB/テキストファイル 111KB

400円

柳田国男が語るユニークな「火の文化史」。暗闇は昔からおそろしいものだった。夜は闇の世界であり、魔のものの跳梁跋扈する世界だった。人々はそのため、昔から夜を明るくするさまざまな工夫をこらしてきた。燭台やちょうちん、あんどん、蝋燭やいろいろな油、火の作り方、手に入れ方、もたせ方など。……火にまつわる行事や風習を、あらためて問い直した楽しい本。

柳田国男(やなぎたくにお)(1875〜1962)現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれ。日本における民俗学の開拓者。東京帝大卒業後、農商務省にはいり、仕事の関係で各地を旅行、同時に早稲田大学で農政学を講義する。山地の民俗に興味をいだき『遠野物語』を著わすが、以降は幅広く各地の民俗を研究・調査、「方言」「昔話」「伝説」「童謡」などをテーマにした多くの著作を著わした。  

立ち読みフロア
ちょうちんの形

 挑燈(ちょうちん)という名称は漢語(かんご)でありますから、初めはたぶん、大陸からはいってきたものだろうと思います。しかし少なくとも現在のちょうちんは、日本独特のもので、今でも外国の人は珍しがって、それを集めたり絵にかいたりして、かえって日本の都会の子供たちよりは、よけいに注意しております。そのちょうちんがまた、以前あったものと、近ごろのものとでは、たいへんに変わっているのであります。
 日本のちょうちんのこしらえ方は、竹を細く割って削(けず)って、それを輪にしたものをいくつも重ね並べて、その上へ紙をはるのです。その輪にする竹の細い棒を《ひご》といいますが、そのひごの長さを違えて、輪の大きさをいろいろに変えていくことによって、あのまん丸いちょうちんの形ができるのであります。支那(しな)のちょうちんは、たためることまでは日本とおそろいですが、丸みを作ることができなかったようであります。満州(まんしゅう)のちょうちんには、竹ではなく木のひごを弓なりにまげて、たてに合わせて、うりの形にして紙をはったものがありますが、このほうはのびちぢみができません。つまりまん中の輪を大きくして、ふっくりと丸くすることが、日本のちょうちんの一つの特徴(とくちょう)であります。西洋にはちょうちんに近いものは見かけませんが、日本のちょうちんの長所は、あちらの人にもよくわかったのであります。
 つまりは細い竹の輪をいくつもいくつも重ねて丸みをつければ、見たところがおもしろいばかりか、火のあるところが紙から遠ざかって、焼ける危険が少ないので、夜道をする者は昔から、どうにかしてこんな形のものを作ろうと、皆苦心していたのであります。それからもう一つは、火をともしたちょうちんをそのままにして、両手でほかの仕事をしようとする場合に、つっかい棒がないとちょうちんをじかに地上には置けないので、これにもさまざまの工夫(くふう)が入用(いりよう)でありました。以前はただ、木の枝か何かにぶらさげて置くように、上につり手をつけるくらいのもので、下に置くことまでは考えなかったのを、日本では最初に、棒をたてに通して支柱にすることを始めました。そしてその次にはくじらのひげを利用して、弓張(ゆみはり)というものを発明したのであります。近ごろではもう見かけなくなりましたが、以前はどこの家でもふだんの日から、弓張ぢょうちんに紋(もん)をつけたものを、臨時の用意に表の間(ま)の《かもい》の上に、箱に入れてならべて置くのが、きわめて普通のことになっていました。この弓張の紋ぢょうちんの発明は、今からせいぜい百五十年、二百年とはたたない前のことと思われます。

 やみを明るくするためには、ほんとうに私たちは考えました。たとえばちょうちんの口があまり小さいと、空気の流通が悪く、口を大きく開けば、よく燃えるかわりに、雨風の防ぎにはぐあいが悪いので、上の方にふたをつけて、遠道をする時に使ったのが、箱ぢょうちんであります。われわれの祖先はちょうちん一つ作るのにも多勢の知恵を集めていろいろの改良を加えているのであります。『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』という本には、たいまつの雨に消えない秘法(ひほう)などというのがあります。たいまつは雨に消えることが大きな欠点だったのが、ちょうちんができると、紙には油がぬってあり、口にはふたがあって、もうその心配はなくなりました。それだけならまだあたりまえとも思われますが、今日皆さんがよくご存じの、赤いかわいいほおずきぢょうちんなどというものは、もっと飛びはなれた発明で、支那はもちろん、昔の日本にもまったくなかったものであります。

 その発明の一つは、そんな小さなちょうちんに使えるようなろうそくを考え出したことです。昔はろうそくの大きさもきまっていました。それをともして、まわりの紙が焼けないようにするのには、もとのちょうちんはよほど大きくなければなりませんでした。小さなほおずきぢょうちんができるためには、小ろうそくというものがなければなりません。そうして小ろうそくができたのは新しいことでありました。東日本では今でもこの小ろうそくを仰願寺(こうがんじ)といっています。その名の説明をした逸話(いつわ)がいろいろの本に出ていますが、今から二百六、七十年前の延宝(えんぽう)〔一六七三―一六八一〕というころに、江戸の浅草の仰願寺(こうがんじ)というお寺の上人(しょうにん)が懇意(こんい)なちょうちん屋の話を聞いて、子供にでも持てるような小さなちょうちんを数多くともして歩かせてみたいと思って、こんな小さなろうそくを作らせたのだそうで、いわば子供の要求が通ったわけであります。近ごろではそのコウガンジろうそくでも、まだあぶないような小さなほおずきぢょうちんを、火はともさずにただ赤く外をぬって、昼間でも用いるようになっていますが、それになる道すじは、いったん仰願寺の和尚(おしょう)が働いて、それからのちにべにぢょうちんというろうそくなしにでも持って遊べるようなものが、第二段に生まれてきたのであります。

購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***