「ホームズの回想」

コナン・ドイル作/鈴木幸夫訳

エキスパンドブック(挿し絵入り) 659KB/ドットブック版 252KB/テキストファイル 212KB

600円

ホームズ物傑作短編第二集。 「《シルヴァ・ブレイズ》失踪事件」「黄色い顔」「株式仲買店員」「グロリア・スコット号」「マスグレイヴ家の儀式」「ライゲイトの大地主」「せむし男」「入院患者」「ギリシャ語通訳」「海軍条約文書事件」「最後の事件」の11編を収録。ホームズは「最後の事件」で、モリアーティ教授と対決 して謎の死をとげる。 エキスパンドブック版には、「ストランド」誌掲載のシドニー・パジェットのイラスト19点を収録。
立ち読みフロア
 「ワトスン、僕は出かけなきゃならないらしいよ」
  ある朝われわれが一緒に食卓についたとき、ホームズは言った。
「出かけるって! どこへ?」
 「ダートムアへ……キングズ・パイランドだよ」
  私は驚かなかった。実際、私は、この奇態な事件に、彼がまだ関係していなかったことが不思議に思えただけだった。イギリスじゅうでいたるところ、この事件の噂(うわさ)が話に出ないことはなかった。ひがな一日私の友は、うつむいたまま眉(まゆ)をしかめて部屋をうろつきまわるばかりで、いちばん強い黒タバコをつめかえ、つめかえ、どんな私の質問や言葉にも、まるで耳をかさなかった。各新聞の最新版が次々と取扱店から送られて来たが、ただざっと目を通しただけで、片隅にほうりなげてしまった。彼はだまってはいたが、じっと考えこんでいることがどんなことなのか、私にはわかっていた。今世間で、彼の分析力に挑戦しうる事件はただひとつ、ウェセクス杯レース人気馬の奇妙な失踪(しっそう)と、その調教師の悲惨な殺人事件がそれであった。だから、彼が突然に悲劇のへのりこんで行く意向をあきらかにしたのは、私が期待もし、望んでもいたことにすぎなかったのだ。
 「邪魔にならないなら、君に同行したいもんだよ」と私は言った。
 「ワトスン君、君が来てくれれば本当に助かるよ。それに僕は、君の時間を無駄(むだ)にさせることはないと思うよ。というのはね、この事件には、何か独特な事件になりそうな特徴があるんだ。ちょうどパディントン発の汽車に間に合うと思う。道みち、その事をもっと詳しく話そう。すまないが君のすばらしい双眼鏡をもって行ってくれないか」
  そんなわけで、一時間ほど後には、エクセター(イングランド南西部の都市)に向かって進行中の一等車の片隅に私がいるという次第になったのである。
  その間シャーロック・ホームズは耳たれの旅行帽子をかぶり、するどい熱心な顔で、パディントンで買ったひと束(たば)の最新版の新聞に、すばやくざっと目を通していた。レディングを過ぎてからかなりたって、彼は最後の新聞を座席の下になげこむと、私にタバコケースをさしだした。
 ……
 「こいつはね、推理家の技術が、新しい証拠をつかむことよりも、細部を念入りに調べることに使われなくてはならないといった事件のひとつなんだよ。惨劇は非常に異例なものだし、完全だし、非常に多くの人たちに個人的な重大さをもっているのだから、おびただしい憶測(おくそく)やら仮説やらになやまされているんだ。むずかしいのは、さまざまな説をとなえる人間や、いろいろな情報をもちこんでくる人間の余計な言葉から、事実の……絶対的な、否定すべくもない事実の骨組をより分けていくことなんだ。この確固とした土台を踏まえてから、どんな結論がひきだせるか、事件全体がかかっているのは、どの点なのかを知るのがわれわれの仕事だね。火曜日の晩に、馬の所有者のロス大佐と事件を担当しているグレゴリー警部のふたりから、僕の協力を求める電報をうけとったよ」

……《「シルヴァ・ブレイズ」失踪事件》より


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