「人類の星の時間」

シュテファン・ツヴァイク/片山敏彦訳

ドットブック 486KB/テキストファイル 197KB

700円

避雷針の尖端に大気全体の電気が集中するように、多くの事象の充満が、きわめて短い時間の中に集積される歴史の瞬間がある。そんな瞬間は、一個人の生活、一国民の生活を決定するばかりか全人類の運命の径路を決めさえもするのである。著者はそれを「星の時間」となづけた……「初めて太平洋を見た男」「トルコによるビザンチンの奪取」「ラ・マルセイーズの作曲」「ナポレオンのウォーターローの敗戦」「ロシア革命におけるレーニンの封印列車」など運命的な12の時刻を描くツヴァイク晩年の名作。

シュテファン・ツヴァイク(1881〜1942)ウィーン生まれのユダヤ系作家。詩、小説、戯曲、翻訳など多方面にわたる著述をおこなったが、後年は評伝、伝記小説に力を注いだ。代表作に「ジョゼフ・フーシェ」「マリー・アントワネット」 「メアリー・スチュアート」「マゼラン」「3人の巨匠(バルザック・ディケンズ・ドストエフスキー)」など。

立ち読みフロア
 アメリカ発見からの最初の帰国のときコロンブスは、セヴィラとバルセロナとの町々の人ごみの中を凱旋の行列をして練り歩きながらおびただしい宝物やめずらしいものを見せた。それらはヨーロッパにまだ知られていなかった一つの人種に属する赭(あか)い皮膚の人間たちや、初めて見る動物や、叫び声を立てる色美しいおうむや、のっそり歩く獏(ばく)や、それから、まもなくヨーロッパにも根づくだろう珍奇な植物と果実の類、インドのとうもろこし、そしてたばこ、椰子の実などであった。そんなすべてのものを人々は喜びとおどろきとをもってものめずらしく見物したが、しかし王と王妃と、その側近の人々とにいちばん感銘を与えたのは、黄金のいっぱいはいっている二三の小箱と小さな籃(かご)とであった。コロンブスが新しく発見してそれをインドだと思いちがえた国から持って帰った黄金はそんなにたくさんではなく、彼が土着民から交換して手に入れたり奪い取ったりして持ち帰ったいくつかの金の装飾品、黄金というよりむしろ何本かの金の小さな延べ棒と手にいっぱい二三度にぎれる程度のばらばらの粒と粉末とであった。――それら全部の獲物は金貨に鋳造すればせいぜい二百デュカになるくらいのものだった。しかしまさに自分の信じたいことを猛烈に信じ込み、そしてその信念の正当さを、インドへの船の旅によって堂々と証明してみせたばかりの天才的空想家コロンブスは、これはまだ手初めの小っぽけな試みにすぎないと、心からそう信じて意気軒昂であった。
 あの新諸島にある無尽蔵の金鉱山についてのたしかな報告が手にはいっている。浅い地層いちめんに、貴金属の在る個所がいくつもある。ふつうの鋤(すき)を使ってたやすく掘り出せるだろう。そして更に南の地方では、王たちの食器は純金であり、金の価値はスペイン国内での鉛の価値より低いとのことである。金ならいくらでも欲しいスペイン王は、自分の所有に属するこの新しいオフィール〔ソロモン王が金を探しに人を派遣した東の国。旧約聖書〕についての話をむさぼるように聞いたが、人々はコロンブスの言うことを疑うにしては、彼の堂々たる誇張癖をまだ十分に知っていなかった。ただちに二回目の航行のために大きな船隊の準備がととのえられて、今や乗組員の数を殖やすためには、宣伝的な勧誘を必要とはしなかった。金が素手でいくらも拾い取れる黄金の国が発見されたといううわさは、スペイン全国を有頂天にした。そのエルドラードへ、その黄金郷へ行こうという人々が、数百数千と押し寄せて来た。
 しかし今やすべての町々、村々、部落から欲に駆られて出かけて来た人々の大群は、何とにごったものであったことか! 自分たちの家柄の紋章の楯をすっかり純金で作り直したい名誉ある貴族や、向う見ずの冒険家たちや兵士たちばかりでなく、スペインの泥であり滓(かす)である人々の全部がパロス半島とカディス港へと殺到した。烙印をつけられている泥棒たち、強盗たち、黄金郷へ出かけて荒かせぎをやろうとめざすおいはぎども、債権者たちからのがれようと思う債務者たち、喧嘩ずきの細君たちから逃げ出そうと思う夫たち、「デスペラド」〔失望のあまりすてばちの人々〕、にっちもさっちも行かない人々のすべて、札つきの連中、警察のおたずねものである連中が船隊へ入れてくれと申し込んだが、彼らは、こんどこそ一挙に千金をつかもうと決心しており、そのためにはどんな暴行でも犯罪でもやることを覚悟している、社会的な屑の急速な寄り集まりなのであった。彼らはあの国へ行けば金はただシャベルですくいさえすれば取れるというコロンブスの空想的な報告の暗示にかかってすっかりのぼせあがってしまったので、早くもかずかずの金塊が目先にちらつくために、移住者たちのうちもっとも富裕な人々は幾人もの下僕をともない、また騾馬(らば)を何びきも連れていたが、それは、とうとい金属をすぐさま大量にはこぶことができるためであった。この遠征の船隊に参加できなかった人々は、強引にほかの方法をとった。王の認可を受けもしないでそのらんぼうな投機家どもは自分たちの手で船をととのえて、どうでもいいから一時も早く黄金を、黄金を、黄金をつかもうという気であった。スペインは、やっかいなもてあましものたちと、もっとも危険なならずものたちとから一挙にして解放された。

……「不滅の中への逃亡──太平洋の発見」
冒頭より

購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***