「緋色の研究」

コナン・ドイル作/鮎川信夫訳

エキスパンドブック 323KB/ドットブック版 176KB/テキストファイル 117KB

400円

ホームズとワトスン博士が初めて登場し、怪異に満ちた事件を解決するドイルの出世作。空き家の中年男の死体は何者か? 壁には赤で「RACHE」という文字が。「毒殺です」ホームズはそっけなく言い放つ。
立ち読みフロア
 「ワトスンさん、いったいどうなさっていらしたんですか?」馬車がロンドンの雑踏をかきわけて走りはじめると、スタンフォードは驚きの色を隠そうともせずにたずねた。
 「からだは針金のように痩(や)せ細っているのに、顔や手は胡桃(くるみ)みたいに日焼けしているじゃありませんか」
 私は手短かに自分の冒険談を話してきかせたが、それを語り終えるか終えないうちに、馬車はもう目的地に着いていた。
 「それはひどい目にあいましたねえ!」彼は私の不幸な体験を聞いて、同情をこめていった。「で、いまは何をされているのです?」
 「下宿捜しさ」と、私は答えた。「手ごろな値段で居心地のよい部屋を借りられないかと思って、捜しまわっているんだよ」
 「それは不思議だ!」と、私の連れは叫んだ。「今日そういうことを私にいうのは、あなたでふたり目ですよ」
 「それじゃ、はじめにいったのは誰なんだ?」
 「病院の化学実験室にいる男なんですがね。いい部屋を見つけたんだが、ひとりで借りるには高すぎるし、下宿料を半分負担してくれる相手もいないし、と今朝、そういってこぼしてましたよ」
 「それだ!」と私は叫んだ。「もしその男が、共同で部屋を借りて下宿料を分担しあう相手を本気でさがしているとしたら、ぼくがまさにその相手というわけだ。ぼくもひとりで暮すより、仲間がいたほうがいい」
 スタンフォード青年は酒のグラスごしに私を見つめて、いささか妙な顔をした。
 「あなたはシャーロック・ホームズという男をまだ知らないからねえ」と彼はいった。「でもいっしょに暮すとなりゃ、あなただって、もうごめんだ、といいだすだろうな」
 「どうして? 悪い評判でもあるの?」
 「いえ、よからぬ評判の男だとはいいませんよ。ただ、あの人は頭の構造が少しばかり変わってましてね……ある種の奇妙な科学に凝ってるんです。ぼくの知っているかぎりでは、なかなかいい人なんですがねえ」
 「医学を研究している人かね?」
 「いや……それが、何をやろうとしているのか、さっぱりわからないんですよ。解剖学には精通しているようだし、化学者としても一流でしょうが、医学を系統立てて勉強した経験はないらしいのです。興味のおもむくままにとっぴな研究ばかりしていて、そのくせ、教授たちをあっといわせるような奇抜な知識を、じつにふんだんに持ちあわせているんです」
 「いったい何をやろうとしているのか、本人にたずねてみたことはないのかね?」
 「いや、たずねたって、そんなことを簡単に話すような人じゃありませんよ。もっとも、気が向けば、ずいぶんいろんなことを話してくれますがね」

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