「人間的要素」

サマセット・モーム/龍口直太郎訳

ドットブック 400KB/テキストファイル 107KB

300円

モームの短編集『一人称単数』First Person Singular, 1931 から選んだ「ジェーン」「人間的要素」「美徳」の3編を収録する。どれも男女関係、結婚を扱った作品で、「幸福」の質にもいろいろなレベルのものがあることがテーマになっている。

サマセット・モーム(1874〜1965) 二十世紀のイギリスを代表する作家。複雑な人間の心理に鋭いメスを加え、読者のつきせぬ興味をかきたてる精緻をきわめた描写で知られる。代表作 「人間の絆」「お菓子とビール」「剃刀の刃」のほか、数多くの多彩な短編の書き手としても有名。

立ち読みフロア
 私はおよそ夏枯れどきにしかローマに行かないことになっているみたいである。八月か九月に、どこかへ行く途中、ローマを通り、昔の思い出につながる懐かしい場所とか名画だとかを再び訪ねたりして二、三日過ごすのである。その頃はとても暑く、ローマに住む人々もコルソ通りをただ行ったり来たりして日を送るだけだった。カフェ・ナチオナーレは、空(から)になったカップと一杯の水を前にして何時間も小さなテーブルに坐っている人々でいっぱいだった。システィーナ礼拝堂には、半ズボンに開襟シャツを着、リュックを背負って、イタリアの埃っぽい道を歩いて来た、金髪の日焼けしたドイツ人の姿が見られたし、サン・ピエトロ大聖堂には、どこか遠くの国から巡礼して来た(費用一切を含んだ割引料金で)、敬虔な、疲れ切ってはいるが熱心な信者の、小さな何組もの団体がいるのだった。かれらは一人の僧に引率されていて、耳馴れない言葉を使っていた。
 その頃のプラツァ・ホテルは涼しくて静かである。だれでも共通に使える部屋はどれも広々と静まりかえっていた。お茶の時間にラウンジにいる人といえば、冷たいレモネードを飲んでいる若いスマートな士官と、目の美しい婦人とだけで、二人は親しげに低い声で、かれらの属する人種によく見られるように長々と話をしている。部屋に上がって手紙を読んだり書いたりしてから、二時間後にまた下りて来ても、かれらはまだそこにいるのだ。食事前に何人かの人がバーにぶらっとはいって来るが、それ以外の時間にはお客がないので、手持ち無沙汰なバーテンはスイスにいる母親のことや、ニューヨークにいたときのことなどを話してくれるし、こちらも人生だとか、愛情だとか、酒の値段の高いことなどとかを話したりするのである。
 このホテルがほとんど自分一人で占領できるぐらい空(す)いているということを私が知ったのも、このときだった。受付係は私を部屋まで連れて来てくれたとき、満員だといっていたが、私が風呂にはいり、服を着替えてまたホールに下りて行くとき、顔馴染のエレヴェター・ボーイは、せいぜい十二、三人しか泊っていないと教えてくれた。暑い中を、長い間、イタリア旅行をして疲れていたので、私はホテルで静かに食事をして、早目に床にはいることにきめていた。
 私が食堂にはいって行ったのは遅かった。そこは広くて、あかあかと灯がともっていたが、三つか四つのテーブルがふさがっているだけだった。私は満足してあたりを見まわした。まるっきり知らないわけでもない大都会の、空いているホテルに、ただ一人ぼっちでいるのは、じつに気分のいいものである。自由なのびのびした気持ちになるのだ。心に羽根が生えて、喜んでバタバタやっているみたいな気持ちである。私はバーに十分ばかり立ち寄って、ドライ・マーチニを一杯飲んで来ていた。食卓では赤ブドウ酒のいいのを一本注文した。四肢はけだるかったが、魂のほうは酒や食物にすばらしい反応を示し、心が異様に浮きうきして来るのを感じた。スープを飲み魚を食べていると、愉快な考えが私の心をみたした。会話の断片が頭に浮かび、頭の中で、そのとき書きかけていた小説の主人公を楽しげにもてあそんでいた。その一節を口ずさんでみると、それはブドウ酒よりも舌に甘く感じられた。そのうち私は、自分が見た通りに読者にも見えるように、人の様子を描写するのがいかに困難かということを考えはじめた。私にとっては、それはいつも創作の中でいちばんむずかしいことの一つだった。顔の造作を一つひとつ描写して行くとき、読者たちが実際に受け取るものはいったい何なのだろう? 何も受け取らないのではないか、と私は思う。しかもある作家たちが、目立った特徴や、ゆがんだ笑いや、ぎすぎすした目つきなどを取り上げて、それを強調するあのやり方は、効果的かもしれないが、その問題を、解決するというよりは、むしろ避けているという感じだ。
 私はあたりを見まわして、まわりのテーブルの人々を、私ならどう描写するだろうか、と考えてみた。ちょうど向かい側に一人で坐っている男がいたので、練習のために、あの男をどう扱うべきかやってみようとした。彼は背の高い、痩せた男で、一般に「手足に締りがない」といわれるにちがいない体つきをしていた。彼はタキシードに、胸のところを糊で固めたワイシャツを着ていた。顔はどちらかといえば長いほうで、目は薄青く、ウェーヴをしたかなりいい髪をしていたが、薄くなりかかっており、こめかみが禿げ上がっていて、額をノーブルな感じに見せていた。とくに目立つ顔立ちではなかった。口と鼻はごくありふれたものだったし、ひげはきれいにそってあった。肌はいかにも青白いのだが、そのときは日に焼けていた。見たところ、知性的ではあるが、とくにこれといった特徴はなかった。弁護士かゴルフのうまい名士か何かのようだった。趣味がよく、博識で、チェルシーの昼食会などにはいかにも好ましい客種だろうと思った。しかしほんの二、三行で、生きいきした、興味ある、しかも正確な描写をするのにはいったいどうしたらいいのか、私には見当もつかなかった。ほかの部分はほっておいて、全体としていちばんはっきりした印象を与える、あの何だか疲れたような特徴だけを書いたらいいのかもしれない。私はこんなことを考えながら彼をじっと見ていた。
 と、突然、彼が頭を下げて、ぎこちないがいんぎんな挨拶を私にしたのだ。私には、不意をくらったりするとまっ赤になるバカげた癖があり、今も頬が赤くなったのを感じた。私はおどろいてしまった。まるで彼が人形ででもあるかのように、私は五、六分間も彼を見つめていたのだ。彼は私をじつに失礼な奴だと思ったにちがいない。私は当惑しきって会釈を返し、よそを向いてしまった。幸いなことに、ちょうどそのとき、ボーイが皿を運んで来たところだった。おぼえている限りでは、私は前にその男に会ったことがなかった。彼が挨拶したのは、こちらがあまりじろじろ見るので、どこかで会った男だろうと思ったのか、それともたしかに会ったことがあるのに私のほうがすっかり忘れてしまっているのだろうか、と私は自分にきいてみた。人の顔をおぼえるのは不得手だったので、この場合は彼がごくありふれた顔をしているからだ、と私は言いわけをしていた。晴れた日曜などに、ロンドン近郊のどこのゴルフ場ででもよく見かけるような男なのだ。
 彼は私より先に食事をすませて立ち上がったが、出て行くとき、私のテーブルに立ち寄って手を差し出した。
「ご機嫌いかがですか?」と彼はいった。「初めにはいっていらしたとき気がつかなかったんですよ。別に知らん振りなどするつもりじゃなかったんですが」
 彼は気持ちのいい声で、オックスフォード出の人間に特有の、そしてオックスフォードに行ったことのない人たちまでよく真似するあの口調で話した。彼が私を知っていること、私が彼を知らないなんて思ってもいないことは明らかだった。私が立ち上がると、彼のほうがずっと背が高いので、私を見おろす格好になった。彼はなんとなく気抜けしているようだった。彼はいくらか腰を屈めていたが、それがまたなんとなく弁解的に見えるという印象を強くするのだ。いくぶん卑下したような、また同時に、いくぶん内気そうな態度をしていた。
「ご一緒にコーヒーでもいかがですか?」と彼はいった。「ぼくは一人っきりなんですよ」
「ええ、喜んで」
 彼は去って行ったが、彼がいったい何ぴとなのか、どこで会ったことがあるのか、私にはまだ見当もついていなかった。私は一つ奇妙なことに気がついていた。二言、三言ことばを交わしたとき、握手したとき、また彼がうなずいて去って行ったとき、微笑の影すら彼の顔をよぎらなかったことである。すぐ近くで見ると、彼は彼なりになかなかの男前だった。顔立ちは整っており、灰色の目は美しく、ほっそりした体つきだった。しかしそんなことは私には興味がなかった。バカな女なら、彼はロマンティックに見えるとでもいうだろう。彼はバーン・ジョーンズ描くところの騎士の一人を思い出させるのだった。もっとも彼のほうがずっとスケールも大きかったし、慢性の腸炎に悩まされている様子も見えなかったが。意匠を凝らした服でも着てたら、さぞかしすばらしいだろうと思われるのだが、さてそのような服を着てみるといかにもバカげて見える、といった種類の男なのだ。

……「人間的要素」冒頭より

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