「不連続殺人事件」

坂口安吾/作

ドットブック版 315KB/テキストファイル 164KB

600円

終戦後間もない、ある夏、詩人歌川一馬(かずま)の招待で、山奥の豪邸にさまざまな男と女たちが集まった。作家、詩人、画家、劇作家、女優など、いずれも一癖ありげな面々。そして交錯する情痴の果てにもちあがる八つの殺人事件! 「不連続殺人」の裏にひそむ真相はなにか? 鬼才安吾が読者に挑戦状をつきつけて犯人捜しを挑んだ快作。日本推理小説史上最高の傑作と呼び声たかい秀作。第二回探偵作家クラブ賞受賞。はじめ、あまりに多い登場人物に戸惑うが、読み進むにつれて物語は佳境に。巻末に江戸川乱歩の作品評を付した。

坂口安吾(さかぐちあんご 1906〜55) 新潟市生まれ。東洋大学印度哲学科卒。1930年、同人雑誌「言葉」を創刊、翌年に発表した「風博士」で認められたが、不遇の時代が続いた。しかし1946年、戦後の本質を鋭く洞察した「堕落論」などで人気作家になった。1955年、脳溢血により急死。享年48歳。小説の代表作に「白痴」「桜の森の満開の下」「夜長姫と耳男」、エッセイでは「日本文化私観」「堕落論」などがある。

立ち読みフロア
一 俗悪千万な人間関係

 昭和二十二年六月の終りであった。私は歌川一馬(かずま)の呼びだしをうけて日本橋のツボ平という小料理屋で落ちあった。ツボ平の主人、坪田平吉は以前歌川家の料理人で、その内儀(おかみ)テルヨさんは女中をしていた。一馬の親父の歌川多門という人は、まことに我ままな好色漢で、妾はある、芸者遊びもするくせに、女中にも手をつける。テルヨさんは渋皮のむけた可愛いい顔立ちだからむろん例外ではなく、その代りツボ平と結婚させてくれた時には小料理屋の資金も与えてくれたのである。一馬の東京の邸宅は戦災でやられたから、彼は上京のたびツボ平へ泊る。
「実はね、だしぬけに突飛なお願いだが、僕のうちで一夏暮してもらいたいのだ」
 一馬の家は汽車を降りて、山路(やまみち)を六里ほどバスにのり、バスを降りてからも一里近く歩かなければならないという不便きわまる山中なのである。そんなところだから、私たち数名の文士仲間は、戦争中、彼の家へ疎開していた。ひとつには彼の家が酒造家で、酒がのめるという狙いの筋もあったのである。
「わけを話さないと分ってもらえないが、この月の始めに望月王仁(もちづきわに)の奴がふらりとやってきた。すると丹後弓彦と内海(うつみ)明がつづいてやって来たのだ。妹の珠緒の奴が誘いの手紙を出したからで、一夏うちへ泊まるという。君だから恥を打ち明けてお話するが、珠緒の奴、この春、堕胎したのだ。相手が誰ということは全然喋らないから今もって分からないが、ひと月のうち半分ぐらいはフラリと上京してどこかに泊まってくるのだが、手のつけようがなくなっていたのだ。ご承知のとおり望月王仁(わに)という奴は、粗暴、傲慢(ごうまん)無礼、鼻持ちならぬ奴だが、丹後弓彦の奴がうわべはイギリス型の紳士みたいに丁重(ていちょう)で取り澄ましているけれども、こいつがまた、傲慢、ウヌボレだけで出来上ったような奴で、陰険なヒネクレ者でね、内海明だけは気持のスッキリしたところがあるけれども、例のセムシで姿が醜怪だから、差引なんにもならない。三人もつれて喧嘩ばかりしていやがる。珠緒の奴はそれが面白くて誘いをかけた仕事なんだよ。僕らはやりきれやしない。からんだり、睨みあったり、セムシの奴なんぞは時々立腹して食卓の皿を床に叩きつけたりね、一人の姿を見ると一人がプイと立ち去るという具合で、僕らのイライラ不愉快になることと云ったら、まったくもうゆっくり本を読むような心の落着きが持てないのだね。そこで誰いうとなく、いっそ昔の顔ぶれ、戦争中疎開に来ていた顔ぶれだね、一同に会して一夏過ごそうじゃないか、東京は飲食店が休業だから丁度よかろう、なんてことになった。彼らもそれを望んでいるが、僕らも実は助かる。彼らは退屈まぎらしのつもりだけれども、僕らは奴らだけじゃ息苦しくって、ほかに息ぬきのできる人たち、木ベエにしろ小六にしろ、居てくれた方が助かる。まぎれる。別にして君は是非とも来てもらいたいのだ。木ベエも小六も来ることになって、実はあさって一緒に出発することになっているんだがね」
「宇津木さんもか」
「むろん一緒だ。胡蝶さんもくる。そのために一夏舞台を休む事にしたほどだから」
 女流作家宇津木秋子は今はフランス文学者の三宅木兵衛と一緒にいるが、もとは一馬の奥さんだった。もともと話合いの上で別れたことで、文学者同士のことだから、あとは綺麗なものだけれども、問題は一馬じゃなくて、望月王仁だ。疎開中、当時一馬夫人だった宇津木秋子と木兵衛と話がすすんで、終戦、東京へ引き上げるという時に話し合いの上で一馬が離婚を承諾した。一馬も元々秋子にてこずり、ほとんど未練はなかったのである。
 秋子は非常に多情な女だ。疎開中は木兵衛よりも王仁と交渉が深かったのだが、王仁の奴が全然貞節の念をもたない奴で珠緒とも関係があり、女中だの村の娘だの八方に情痴沙汰、秋子なんぞは食後の果物、オヤツ程度にしか心得ていないから、秋子もあきらめて、木兵衛と一緒になった。しかし内心は相当王仁に参っている。王仁は天下の流行作家であるし、傲慢無礼、粗雑、野性的なところが肉感派の秋子に魅力なのだろう。秋子は本能の人形みたいな女で、抑制などのできなくなる痴呆的なところがあるから、山荘へ行く、王仁とそのままでは済まないはずだが、木兵衛という奴、理知聡明、学者然、乙(おつ)にすまして、くだらぬ女に惚れてひきずり廻されて唯々諾々(いいだくだく)というのだが、そのくせ嫉妬で胸が破れそうなことも云っている。一馬の招きに応ずるなどとは全くバカげた奴だ。
 私はしかし、この招待は、なるほど一馬の述べたような理由によるものと思うけれども、一馬自身がこの計画に乗気の理由の最大のものは別に隠されているのだろうと思った。狙いはむしろ胡蝶さんにあるのだろう。胡蝶さんがよびたいのだ、私はそう思う。
 明石胡蝶は劇作家人見小六の奥さんで、女優だ。満身色気、情慾をそそる肉感に充(み)ちているが、胡蝶さんは王仁のような粗暴な野性派が嫌いで、理知派の弱々しい男が好き、人見小六などはネチネチ執拗で、煮えきらなくて小心臆病、根は親切で人なつこいタチなのだが、つきあいにくい男だ。胡蝶さんは一馬が好きで、一馬の方が積極的に出さえすれば小六を捨てて一馬に走るぐらいの気持はいだいている。

……冒頭より


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