「風琴と魚の町」

林芙美子著

ドットブック版 204KB/テキストファイル 176KB

500円

著者の唯一のふるさと尾道を舞台に描く処女短編「風琴と魚の町」から「耳輪のついた馬」「魚の序文」「清貧の書」「泣虫小僧」をへて「牡蠣」「河沙魚(かわはぜ)」、晩年の「晩菊」「下町」まで、林芙美子の生涯の代表作9編を収めた傑作選。新字現代仮名遣い。

林芙美子(1903〜51)門司(または下関)生まれ。行商を営む家族と西日本各地を転々とした後、広島県尾道に落ち着く。高等女学校卒業後に上京、貧困と孤独のうちにも作家への道を突き進む。26年に画家の手塚緑敏と結婚。雑誌連載のあとまとめた「放浪記」が改造社から出版され、一躍人気作家になった。その後は、短編小説、随筆、紀行文などを精力的に執筆、「晩菊」は日本女流文学者賞に輝いた。51年、心臓麻痺のため急逝。朝日新聞に連載中だった「めし」が絶筆となった。享年47歳。

立ち読みフロア
 父は風琴を鳴らすことが上手(じょうず)であった。
 音楽に対する私の記憶は、この父の風琴から始まる。
 私達は長い間、汽車に揺(ゆ)られて退屈していた、母は、私がバナナを食(は)んでいる傍で経文を誦(ず)しながら、泪(なみだ)していた。「あなたに身を託(たく)したばかりに、私はこの様(よう)に苦労しなければならない」と、あるいはそう話しかけていたのかも知れない。父は、白い風呂敷包(ふろしきづつ)みの中の風琴を、時々尻(しり)で押しながら、粉ばかりになった刻み煙草を吸っていた。
 私達は、この様な一家を挙げての遠い旅は一再ならずあった。
 父は目蓋(まぶた)をとじて母へ何か優(やさ)し気(げ)に語っていた。「今に見いよ」とでも云っているのであろう。
 蜒々(えんえん)とした汀(なぎさ)を汽車は這(は)っている。動かない海と、屹立(きつりつ)した雲の景色は十四歳の私の眼に壁のように照り輝いて写った。その春の海を囲んで、たくさん、日の丸の旗をかかげた町があった。目蓋をとじていた父は、朱(あか)い日の丸の旗を見ると、せわしく立ちあがって汽車の窓から首を出した。
「この町は、祭でもあるらしい、降りてみんかやのう」
 母も経文を合財袋(がっさいぶくろ)にしまいながら、立ちあがった。
「ほんとに、綺麗(きれい)な町じゃ、まだ陽(ひ)が高いけに、降りて弁当の代でも稼ぎまっせ」
 で、私達三人は、おのおのの荷物を肩に背負って、日の丸の旗のヒラヒラした海辺の町へ降りた。
 駅の前には、白く芽立った大きな柳の木があった。柳の木の向うに、煤(すす)で汚(よご)れた旅館が二三軒並んでいた。町の上には大きい綿雲が飛んで、看板に魚の絵が多かった。
 浜通りを歩いていると、ある一軒の魚の看板の出た家から、ヒュッ、ヒュッ、と口笛が流れて来た。父はその口笛を聞くと、背負った風琴を思い出したのであろうか、風呂敷包みから風琴を出して肩にかけた。父の風琴は、おそろしく古風で、大きくて、肩に掛けられるべく、皮のベルトがついていた。
「まだ鳴らしなさるな」
 母は、新しい町であったので、恥しかったのであろう、ちょっと父の腕をつかんだ。
 口笛の流れて来る家の前まで来ると、鱗(うろこ)まびれになった若い男達が、ヒュッ、ヒュッ、と口笛に合せて魚の骨を叩いていた。
 看板の魚は、青笹(あおざさ)の葉を鰓(あぎと)にはさんだ鯛(たい)であった。私達は、しばらく、その男達が面白い身ぶりで《かまぼこ》をこさえている手つきに見とれていた。

「あにさん! 日の丸の旗が出ちょるが、何事ばしあるとな」
 骨を叩く手を止めて、眼玉の赤い男が《ものうげ》に振り向いて口を開けた。
「市長さんが来たんじゃ」
「ホウ! たまげた《さわぎ》だな」
 私達はまた歩調をあわせて歩きだした。
 浜には小さい船着場がたくさんあった。河のようにぬめぬめした海の向うには、柔かい島があった。島の上には白い花を飛ばしたような木がたくさん見えた。その木の下を牛のようなものがのろのろ歩いていた。

 二

 ひどく爽(さわ)やかな風景である。
 私は、蓮根(れんこん)の穴の中に辛子(からし)をうんと詰めて揚(あ)げた天麩羅(てんぷら)を一つ買った。そうして私は、母とその島を見ながら、一つの天麩羅を分けあって食べた。
「はよう《もどん》なはいよ、売れな、売れんでもええとじゃけに……」
 母は仄(ほの)かな侘(わび)しさを感じたのか、私の手を強く握りながら私を引っぱって波止場の方へ歩いて行った。
 肋骨(ろっこつ)のように、胸に黄色い筋のついた憲兵の服を着た父が、風琴を鳴らしながら「オイチニイ、オイチニイ」と坂になった町の方へ上って行った。母は父の鳴らす風琴の音を聞くとうつむいてシュンと鼻をかんだ。私は呆(ぼ)んやり油のついた掌(てのひら)を嘗(な)めていた。
「どら、鼻をこっちい、やってみい」
 母は衿(えり)にかけていた手拭(てぬぐい)を小指の先きに巻いて、私の鼻の穴につっこんだ。
「ほら、こぎゃん、黒うなっとるが」
 母の、手拭を巻いた小指の先きが、椎茸(しいたけ)のように黒くなった。
 町の上には小学校があった。小麦臭い風が流れていた。
「こりゃ、まあ、景色のよかとこじゃ」
 手拭でハタハタと髷(まげ)の上の薄い埃(ほこり)を払いながら、眼を細めて、母は海を見た。
 私は蓮根の天麩羅を食うてしまって、雁木(がんぎ)の上の露店(ろてん)で、プチプチ章魚(たこ)の足を揚げている、揚物屋の婆さんの手元を見ていた。
「《いやし》かのう、この子は……腹が《ばり》さけても知らんぞ」
「章魚の足が食いたかなア」
「何云いなはると! お父(とう)さんやおッ母(か)さんが、こぎゃん貧乏しよるとが判(わか)らんとな!」
 遠いところで、父の風琴が風に吹かれている。
「汽車へ乗ったら、また《よかもの》食わしてやるけに……」
「いんにゃ、章魚が食いたか!」
「さっち、そぎゃん、困らせよっとか?」
 母は房(ふさ)のついた縞(しま)の財布を出して私の鼻の上で振って見せた。
「ほら、これでも得心のいかぬか!」
 薄い母の掌に、緑の粉(こ)を吹いた大きい弐(に)銭銅貨が二三枚こぼれた。
「白か銭(ぜに)は無かろうが? 白かとがないと、章魚の足は買えんとぞ」
「《あかか》銭じゃ買えんとな?」
「この子は! 《さっち》、あげんこツウ、お父さんや、おッ母さんが食えんでも、《めんめ》が腹ばい肥やしたかなア」
「食いたかもの、仕様がなかじゃなっか!」
 母はピシッと私の《ビンタ》を打った。学校帰りの子供達が、渡し船を待っていた。私が殴られるのを見ると、子供達はドッと笑った。鼻血が咽(のど)へ流れて来た。私は青い海の照り返りを見ながら、塩(しょ)っぱい涙を啜(すす)った。
「どこさか行ってしまいたい」
「どこさか行く云うても、お前がとのような意地っぱりは、人が相手にせんと……」
「相手にせんちゃよか! 遠いとこさ、一人で行ってしまいたか」
「お前は、《めんめ》さえよければ、ええとじゃけに、バナナも食うつろが、蓮根も食いよって、富限者(ふげんしゃ)の子供でも、そげんな食わんぞな!」
「富限者の子供は、いつも甘美(うま)かもの食いよっとじゃもの、あぎゃん腐ったバナナば、恩にきせよる……」
「この子は、嫁(よめ)様にもなる年頃で、食うこツばかり云いよる」
「《ぴんた》ば殴るけん、ほら、鼻血が出つろうが……」
 母は合財袋の中からセルロイドの櫛(くし)を出して、私の髪をなでつけた。私の房々した髪は櫛の歯があたるたびに、パラパラ音をたてて空へ舞い上った。
「わんわんして、火がつきゃ燃えつきそうな頭じゃ」
 櫛の歯をハーモニカのように口にこすって、唾(つば)をつけると、母は私の額の上の捲毛(まきげ)をなでつけて云った。
「お父さんが商売があってみい、何でも買(こ)うてやるがの……」

……「風琴と魚の町」 冒頭より

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