「イマージュ」

ジャン・ド・ベルグ作/行方未知訳

ドットブック 119KB/テキストファイル 75KB

400円

男は愚直で、よしんば自分がなにものでもないとしても、そうした自分をあがめるように望む。いっぽう女性はひたすら、四裂の刑に処せられたみずからの肉体、愛撫されるかと思えば打擲(ちょうちゃく)され、ありとあらゆる恥辱に開かれながら、絶対的に自分のものでありつづける肉体だけを崇拝する…1956年にフランスで発表され直ちに発禁となった「苦痛と歓喜の美学」。作者の正体はいまも不明である。
立ち読みフロア
 それからわたしたちが腰を落ちつけたバーの奥まった一隅には、わたしたち三人のほか誰も居合わせなかった。すぐとクレールは、わたしに何がいいか聞くでもなく、まして若いアンヌの希望をたずねるでもなく、皆にミネラル・ウォターを注文した。ボーイがおりかえし運んで来た。わたしがテーブルの上に出しておいたアメリカの巻煙草の箱から一本抜くと、じきにクレールは自分で火をつけた。そうしておいて、今度は自分の女友達に眼をやり、さらにその方へ身を傾けながら、髪の一房、金髪の、金色に映える繊細な髪の一房をきれいに整えてやった。
「この娘(こ)、きれいじゃないこと?」
 何か挑発するような声でクレールはそうきいた。「そう、とっても」とわたしは答えたが、それには儀礼程度のニュアンスしかこめなかった。
「そうよ、すごくきれいだわ」クレールは繰り返して言った。「いずれおわかりだろうけれど、これ以上にもっときれいなの」
 わたしはその歳若い娘をみつめた。ミネラル・ウォターの入ったグラスに視線を伏せて、彼女は身動きひとつしない、グラスには小さな泡が内側から表面へまだ規則正しく昇っていた。
「よろしかったら、この娘(こ)に触ってもかまわないのよ」クレールが言った。
 わたしはその方へ視線を滑らせた。彼女がちょっとばかり酔っているのではないかと誘(いぶか)ったからである。だが、彼女は素面(しらふ)のいつもの状態で、わたしがずっと以前から承知していたように、単に世をすねただけのふだんの様子をしていた。
「いずれわかるわ、それがどんなにすばらしいかってことが」
 この《いずれわかる》という未来時制の意味を改めてわたしは自分に問うてみた。その上でもう一度、少女の円味を帯び、身に着けた白い布地に比べれば滑(なめ)らかで褐色(かっしょく)いろをした肩に眼をやった。わたしの右手は長い腰掛けの背に置かれている。ほんの少しばかり身体を前にずらし、指の先で黄金色をした膚にちょっと触れさえすればそれでよかったのだ。
 若い女は軽く身震いしたようだった、それに一瞬眼瞼(まぶた)をこちらへもたげもした。 
「とてもすてきだ」アンヌのほうを向いたまま、わたしはクレールに同意の言葉をつぶやいた。
 と、すぐに彼女は言葉をついだ。「それにこの娘は、ほら、きれいな眼をしてるの。さあ、おまえの眼がよく見えるようにこちらの方をごらん」若い娘は同時にその顎(あご)をゆっくりと上げたが、拳(こぶし)は固く握り締めていた。
 このかわいいアンヌは少しの間わたしを見ていた、そしてまた再び、顔を赤らめながら眼瞼を伏せた。本当のところ、上にそるように曲った長い睫毛(まつげ)をした、緑色の、大きく見開いた美しい眼だった。
 クレールは今度はアンヌの顔にそっと触れながら、その顔についてまるで自分自身に語りかけでもするように小声でつぶやいていた。
「それに美しい口……甘くって……その上技巧に閥(た)けたきれいな唇……きれいな歯……。美しくってかわいいまっ白な歯……。ちょっとみせてごらん」
 指でアンヌの口をおし開いた。
「そのままでいるのよ」と、クレールは言う。
 その声の調子が急に前より乾いて響いた。
 かわいいアンヌは、されるがまま、口を開き、よく光って歯ならびのいい歯の端をのぞかせ、慎み深く控えている。といって、彼女がその姿を向けていたのは、クレールの側であった。
 開かれた唇が微かに震えていた。今にも泣きだすのではないかと思えたので、わたしは顔をそむけ、ミネラル・ウォターを口につけ飲み乾した。 
「いつか」とクレールが言う、「わたしの撮(と)ったこの娘の写真をお見せするわ」
 その時、その若い娘が抗(あらが)って異議を唱えるのを、あるいはともかく弱々しい呻(うめ)き声をたてるのを耳にしたように思う。それまでの彼女は、初めて紹介された時、ちょっとしたしとやかなお辞儀と一緒に口にした最初の、それもほとんど聞きとりにくい《ムッシュー》という言葉以来、一言も口を開かなかったのである。だからわたしは、彼女が《ああ、それは》とつぶやき、何かそういった拒否の類(たぐい)の言葉をつぶやいてしまったことで、今話に出た問題の写真がはたしてまっとうな写真なのかどうか疑わしく思えてきたのだった。
 けれど突然クレールはすぐにこの場を出たい様子を示した。
 そこで三人は立ち上ったのだが、その時もクレールはわたしに向って、まるでこのわたしが振(ふり)の客ででもあるかのように、「どう、この娘(こ)お気に召して?」と言った。その言葉と同時に、襟首をつかんでわたしのほうにアンヌを突き出したのである。それからまただしぬけに言いたした。
「ほら、この娘(こ)はブラジャーを着けてないのよ。こんなふうにして外出させるのがとても面白いの」
 今度の場合もその歳若い娘はひどく顔を赤らめた。さらにクレールは、その女友達がふだん身に着ける他の下着を穿(は)いていないなどとあばきたてながら、もっとちがったやっかいな告白に駆られるのではないかと、わたしはてっきりそう思い込んでしまった。
 だがそんな予想とはうらはらに、彼女は何も言い添えず、ただ当り障(さわ)りのないことどもについてしゃべっただけであった、少なくともその時の夜は。

……第一章より

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