「十六夜清心」(花街模様薊色縫)
さともようあざみのいろぬい

河竹黙阿弥作/河竹登志夫校訂

ドットブック 172KB/テキストファイル 72KB

300円

鎌倉極楽寺の僧清心は、女郎十六夜となじむが、女犯の罪に問われて追放される。そして、廓をぬけ出してきた十六夜と会い、自分の子を宿したと聞いて入水心中をはかる。が、十六夜は、俳諧師白蓮(はくれん)の白魚船に救われる。いっぽう清心は、漁師の息子のため死にきれない。と、おりから聞こえる遊山舟のさんざめき。自殺の決心がにぶった清心は、通りかかった寺小姓を、十六夜の弟とは知らず 、金ゆえに殺してしまう。そしてたちまち悪心に変じ、名も「鬼薊清吉(おにあざみせいきち)」となって悪事を重ねる。「今日十六夜が身を投げたも、またこの若衆の金を取り、殺したことを知ったのは、お月様とおればかり、人間わずか五十年……これから夜盗家尻《やとうやじり》切り、人の物はわが物と、栄耀栄華をするのが徳、こいつあめったに死なれぬわえ」当時の実説を詩情をこめて劇化した幕末白浪物の傑作。
立ち読みフロア
【十六】 嬉しや今の人声《ひとごえ》は、追手《おって》ではなかったそうな。父《とゝ》さんはじめわたしまで御恩になりし清心様、今日御追放《ごついほう》と聞いたゆえ、ぬしに逢いたく廓を脱け、こゝまで来《き》ごとは来《きた》れども、行先《ゆきさき》知れぬ夜の道、どうぞお目にかゝられればよいがナア。
 ♪暫《しば》し彳《たゝず》む上手《うわて》より梅見帰《うめみがえ》りか船の唄、
 ♪忍《しの》ぶならしのぶなら、闇《やみ》の夜《よ》はおかしゃんせ、月の雲の障《さわ》りなく、しんき待宵《まつよい》十六夜の、うちの首尾は、ええよいとのええよいとの、
 ♪聞く辻占《つじうら》にいそいそと雲足《くもあし》早き雨空《あまぞら》も、思いがけなく吹きつれて、見交わす月の顔と顔。
[ト十六夜思入れあって行こうとする、上《うわ》草履の鼻緒《はなお》切れ、これを直そうとして、面倒だという思入れにて草履を流れへ打ち込み、上手へ行こうとする、この時上手より清心色気《いろけ》のある無地の着附《きつけ》に黒の頭巾を冠《かぶ》り出て来り、行き違い、たがいに避《よ》け合い、月出で両人顔を見合わせ]
【清心】 や、十六夜ではないか。
【十六】 清心様か。
【清心】 あ、悪いところへ、[ト行こうとするを、捉《とら》えて]
【十六】 逢いたかったわいなあ。
 ♪縋《すが》る袂《たもと》もほころびて、色香《いろか》こぼるゝ梅の花、さすがこなたも憎からで、
[ト十六夜清心に縋りつく、これにて清心是非《ぜひ》なき思入れにて]
【清心】 見ればそなたはたゞ一人、夜道厭《よみちいと》わず今頃に、廓を脱けてどこへ行くのじゃ。
【十六】 どこへとは清心様、昨日父《きのうとゝ》さんのお話に御追放の上からは、もう廓へもこれまでのようにおいでもなさんすまい、ひょっとしたらその座から、どこへおいでなさろうやら知れぬと聞いてなつかしく、長い別れになろうかと思えば人の言うことも心にかゝる辻占ばっかり、いっその事と暮合《くれあい》に廓を脱けてようようと、お前に逢いたく来ましたわいな。
【清心】 [思入れあって]最早《もはや》そなたに逢われまいと思っていたに測《はか》らずもこゝで逢うたは尽きせぬ縁《えん》、いかなる過去の宿縁《しゅくえん》やら、見る影もない清心をかくまで慕うそなたの親切、今日も今日とてこの小袖、送ってくれたばっかりに、身巾《みはば》も広き清心《せいしん》が知辺《しるべ》の方《かた》へ行かれるわいの。
【十六】 知辺の方といわしゃんすが、そうしてお前はこれからどこへ。
【清心】 さ、どこという当《あ》てもなけれど、追放に逢う上からはこゝに足は留められず、ひとまず当地を立ち退いて、京に知辺の者あれば、それを頼っていく心。
【十六】 そんならわたしともどもに、連れて行《い》て下さんせいな。
【清心】 未来をかけたそなたゆえ、連れて行きたきものなれど、行かれぬわけはこれ十六夜、ふとした心の迷いより、女犯《にょぼん》の罪に追放の刑を受けたるこの清心、我が身ばかりか幼《おさな》きより御恩を受けし師の坊の、名まで穢《けが》せし勿体《もったい》なさ、
 ♪たゞ何事もこれまでは夢と思うて清心は、今本心《ほんしん》に立ち返り、
そなたのことは思い切り、京へ登って修業なし出家得道《しゅっけとくどう》する心、そなたも廓へ立ち帰り、まだ年季《ねんき》をも長いとやら、よい客見立て身を任せ、親孝行つくすが第一。
【十六】 そりゃ情《なさけ》けない清心様。
 ♪今更いうも愚痴《ぐち》ながら、悟《さと》る御身《おんみ》に迷いしは蓮《はす》の浮気やちょっと惚《ぼ》れ、浮いた心じゃござんせぬ、弥陀《みだ》を誓いにあの世まで、かけて嬉しき袈裟衣《けさごろも》、結びし縁《えん》の珠数《じゅず》の緒《お》を、たまたま逢うに切れよとは、仏姿《ほとけすがた》にありながらお前は鬼か清心様、聞こえぬわいなと取り縋り、恨《うら》み嘆《なげ》くぞまことなる。
[トこのうち十六夜よろしくあって清心に縋り泣く、清心もじっと思入れあって]
【清心】 この清心をさほどまで思うてくれるは嬉しいが、これが似合いというではなし、わしは《形相《なり》形相《なり》さえ人並みならず、見る影もない所化《しょけ》あがり、今大磯《おおいそ》で評判のそなたを連れて行かりょうぞ、ほかに男もないように、あの十六夜も物好きなと何《いず》れも様《さま》がお笑いなさる、世の譬《たと》えにも言う通り、つり合わぬは不縁《ふえん》のもとじゃ。
【十六】 そりゃもうよその女郎衆は、苦界《くがい》の勤めの楽しみに浮気なこともござんしょうが、わたしゃ一生身《み》を任す男というは心一つ、この身ばかりか父《とゝ》さんまで常々《つねづね》からのお心添え、その御親切の清心様、死なば一緒と思うているに、お情けない今のお言葉、どうでもあなたは私をば連れて退《の》いては下さんせぬか。
【清心】 さあ、それとてもそなたのため、すこしも早く廓へ帰り勤めを大事にしやいの、[トこれにて十六夜思入れあって]
【十六】 そのお言葉が冥土《めいど》の土産《みやげ》、
 ♪岸より覗《のぞ》く青柳《あおやぎ》の枝もしだれて川の面《おも》、水に入《い》りなん風情にて、
[ト十六夜、清心を恨《うら》めしそうに見て、死ぬ覚悟をなし]
南無阿弥陀仏。
 ♪すでにこうよと見えければ、清心あわて抱《いだ》き留《と》め、
[ト十六夜、前の川へ身を投げようとするを清心縋《すが》り留めて]
【清心】 あゝこれ待った、早まるな。
【十六】 いえいえ放して、殺して下さんせ。
【清心】 これはしたり、そなたを殺せば親父《おやじ》どの、また弟がわしを恨《うら》み、女犯《にょぼん》の上に重なる罪、それを知りつゝそなたをば、どう見殺しになろうぞいの。
【十六】 さあ、その後前《あとさき》を考えれば、なおなお生きてはいられぬこの身。
【清心】 そりゃまた何ゆえ、どういうわけで、
【十六】 勤めする身に恥《は》ずかしい、わたしゃお前の、
【清心】 え、[ト思入れあって]そんならもしや、愚僧《ぐそう》が胤《たね》を。
【十六】 あい、二月《ふたつき》でござんすわいなあ。
[ト恥ずかしきこなし]
【清心】 ほい。[ト当惑の思入れ。竹笛入《たけぶえい》りの合方になる]
【十六】 さあ、それじゃによって廓へ帰り、わたしゃ勤めがならぬゆえ、渕川《ふちかわ》へこの身を投げて死ぬ覚悟、不憫《ふびん》と思わば一遍《ぺん》の御回向《えこう》お願い申しまする。
[ト思入れにて言う、清心是非《ぜひ》なき思入れ]
【清心】 このまゝ別れて行く時は、そなたばかりか胎《はら》の児《こ》まで闇から闇へやらずばならず、とあって一緒に伴《ともな》わば、
 ♪廓を抜けしそなたゆえ、捉《とら》えられなば勾引《かどわか》し、
再び縄目《なわめ》に遭《あ》わねばならず、是非に及ばぬ今宵《こよい》の仕儀、殺すも不憫《ふびん》連れても行かれず、こりゃもうおれもともどもに、
【十六】 一緒に死んでくださんすか。
【清心】 ほかに思案はないわいの。

……序幕 稲瀬川《いなせがわ》の場

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