「地獄での一季節」

アルチュール・ランボー/篠沢秀夫訳

ドットブック版 50KB/テキストファイル 32KB

200円

従来もっぱら「地獄の季節」という訳書名で通用してきたランボーを代表する散文詩集。この篠沢秀夫訳は新しい観点から「より真実の意味を掘り起こそうとする」意欲的試みになっている。

目次

地獄での一季節
 悪い血/地獄の夜/錯乱 1/錯乱 2/不可能なこと/稲妻/朝/さらば
解説
ランボー略年譜

アルチュール・ランボー(1854〜91)フランス象徴派の代表的詩人とされ、現代詩はランボーなしに語れないとまで言われるが、生前はほとんど知られることがなかった。ベルギーに近いシャルルヴィルに生まれ、パリに出た。ヴェルレーヌと共同生活を送ったが喧嘩わかれ。のち各地を放浪してさまざまな職についたが、骨膜炎を病んでマルセーユで死んだ。彼の詩作は16歳にはじまり、19歳までの、わずか4年間。亡くなったのも、37歳の夭折だった。

立ち読みフロア
《遠い昔、確かにそういう気がするのだが、日々の暮らしは祝宴で、人みな心を開き、葡萄酒という葡萄酒が流れ溢れていた。
 一夜、この膝の上に美の女神を座らせたことがあった。――それが何とも苦々しい奴だった。――それで散々罵倒《ばとう》してやった。
 このわたしは正義に向かって刃向かったのだ。
 わたしは逃げた。おゝ魔女どもよ、おゝ悲惨よ、おゝ憎しみよ、我が宝の託されしは汝らにこそ!
 人間としての希望はすべて、我が精神の内で気絶させるに至った。あらゆる喜びというものに向かって、絞め殺してやろうと、猛獣さながら音も立てずに跳びかかってやった。
 死刑執行人どもを呼び立てて、死に絶えながらも奴らの銃の台尻に噛みついてやった。責め苦を呼び込んで、砂で息を詰まらせた。不幸を神としていたのだ。泥の中に長々と身を横たえた。人殺しの罪の風に吹かれてこの身は干からび果てた。そしてうまうまと狂気に一杯食わしてやったのだ。
 それから春が、白痴のぞっとする高笑いを持って来てしまったのだ。
 ところがごく最近、あやうく最後の「ギャッ」という音《ね》をあげそうになったとき、ふと思いついた。昔の祝宴の鍵を探し求めてみよう、あの祝宴がまたできれば食欲を取り戻せるかも知れない。
 神と隣人への愛の徳、これがその鍵である。――こんな思いつきは夢を見てたって証拠だね!
《てめえはいつまでたってもハイエナさ、とかなんとか…》と悪魔がいきりたつ。あんなに愛らしいヒナゲシの花で冠をかぶらせてくれたのに。《死んじまえ、業欲とエゴイズムと七つの大罪全部しょいこんでさ。》
 あゝ、もうそれは戴き過ぎるほど戴きましたよ――ちょっとサタンさん、あんまりいらいらした目つきをしないでくださいよ! で、これからまだちょっとしたげびた振る舞いをいくつかするのを待つあいだ、なにしろ作家には描写力や教化力の無いのがお好きなんだから、あなたのためにこの地獄おちのノートからなる何枚かの醜いぺージを引き抜いて、ご覧に入れるといたしましょう。



悪い血

 ゴール人の御先祖様から戴いたのは、青、白の目玉、狭っくるしい脳味噌、戦いの下手さ。着る物だって連中のと同じくらい野蛮だ。まさか頭の毛にバターを塗りはしないけど。
 ゴール人というのは、けだものの皮を剥いだり草を焼いたり、その時代で一番無能な奴らだった。
 この連中からもらったものは、偶像礼拝、それから神を汚すことの好み、――ずばり全部の悪徳、怒り、淫乱、――すごいもんだ、淫乱ときたら!――そしてとりわけ嘘と怠惰。
 手仕事というのは何でも大嫌いだ。親方だって職人だってみんな百姓だ、下司《げす》野郎だ。ペンを執る手だって鋤《すき》を持つ手だって、どっちもどっちだ。――何てこった! まるで手の時代だ!――絶対に手に職などつけるものか。それに、人に使われるのはあんまりにひどいことになるし、乞食の正直さは胸に痛い。犯罪者が嫌な感じなのは、去勢者とどっこいだ。わたしとしては手つかずのままなんです、まあどっちでもいいけれど。
 それにしてもだ! 誰がわたしの言葉をこれほど二枚舌にしてしまったのか、今までわたしの怠惰を導き守ってきたほどに? 生きてゆくために体を使わずに、カエルよりもぶらぶらと、至るところで暮らしてきたのだ。ヨーロッパの家族でわたしが知らないのは一つもない。家族っていってるのはつまり、ぼくのうちみたいなののことで、すべてを人権宣言から受けているのです。――良家の子弟っていうのは全部ぼくの知り合いなんだ!

……巻頭より


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