「十字街」

久生十蘭/作

ドットブック版 296KB/テキストファイル 173KB

600円

大晦日のパリ。深夜の地下鉄で死体を運ぶ不審な二人組を目撃した貧乏絵描き小田孝吉に闇の世界から魔の手がのびてくる! フランス全土を揺るがした大疑獄事件に巻き込まれていく4人の日本人の苛酷な運命……変幻自在の文体と巧繊なペダントリーと知的ロマネスクで読者を翻弄・魅了する鬼才・久生十蘭の傑作冒険小説!

久生十蘭(ひさおじゅうらん 1902〜57)函館生まれ。本名阿部正雄。東京の聖学院中学を中途退学。「函館新聞」で記者生活を送るが、のちに上京して、岸田国士(くにお)に師事し、演劇活動に傾倒。さらに雑誌「新青年」を舞台に執筆活動を展開。52年、「鈴木主水」で直木賞を受賞。他の主な著書に「魔都」「平賀源内捕物帳」「 顎十郎捕物帳」「黄金遁走曲」などがある。

立ち読みフロア
地下鉄(メトロ)五番線

 その年もあとわずかでおしまいになるという夜、河岸の東京通りを二人の日本人が歩いていた。
 雨が夕方からみぞれになり、しょったれた天気だったが、いよいよ雪になるらしく、川風が急に冷たくなってきた。
「雪になるらしいな」
 一人が空を見あげながらつぶやくと、連れのほうは、
「寒い」
 と外套の肩をすぼめた。
 雨ずった低い雲の腹に、遠く近くのネオンやイリュミネーションがうつって薄桃色に染まり、ぼんやりと中空に浮かびだしたエッフェル塔の電気時計が、まもなくルビー色の短針とエメラルド色の長針を重ねあわそうとしている。
「川風寒く、千鳥鳴く」
 なにを思いだしたのか、一人がだしぬけに渋いところをきかせた。もう一人のほうが月並みな声で、
「ホンに、やる瀬(せ)がないわいな」
 と後をつけた。
 渋いほうは、さるひとの家庭で学僕をしながら計理士の勉強をしている佐竹潔という大学生で、後をつけたほうは、ついこの夏、アメリカから来た小田孝吉という似顔屋並みの貧乏画描(えか)き。ここで肖像画の技術を学んで帰り、それでまたアメリカで二、三年、食いつなごうという目的をもっていた。
 どちらも日本を出てからもう十年。めったに故国の夢も見ないほど外国ずれしてしまったが、除夜とか、元日とか、そういう季(とき)のめぐりにあうと、なんともつかぬ思いにおそわれる。東京通りという名にひかされてセーヌの河岸へ出てみたが、ここにも他国の風が吹いているだけで、どういうこともなかった。
 そのうちに十二時になって、あちらこちらの鐘楼で、にぎやかに鐘が鳴りだした。
「おめでとう」
「おめでとう。なにはどうでも」
 二人は路傍に立って握手した。
「ことしはどういった年になるんだろう」
「上海事変は三年目。ヒットラーが総統になれば、仏ソの通商協定も成立するだろうし……うちの先生なんかはフランスに大きな変動がくるだろうなんていっているがね。うるさいことになりそうだぞ……お屠蘇(とそ)がわりに、煮葡萄酒(ヴァン・キュイ)でも飲もうか」
「いや、やめておく」
「ぼくはそのへんで一杯やっていくから」
「じゃ、ここで失敬しよう」
 といって別れた。
 それから小田はトロカデロというところまで歩いて、切符を買って地下鉄へ降りた。
 安香水や安煙草、それにほの甘いおしっこの香のまじった、庶民のにおいとでもいうような地下鉄特有の温気(うんき)が、突風のように下から吹きあがってくる。
 改札口へ行くと、知的ないい顔をした白髪の切符切りがニコニコ笑いながら、一人一人に、
「いいお年を」
 というようなことを言う。乗客のほうは、
「おめでとう」
 と挨拶をかえし、十銭ぐらいにもあたる金を年玉にやっている。
 元日はこうするものなのかと、小田はひとのするように心付けをやり、
「ありがとう」
 と礼を言われ、いい気持になってホームへ入った。
 凱旋門から出てくるこの線は、いつもならキャバレーやミュージックホールのある上町からの帰りでひととき混みあう時間だが、そういう連中は年越しの夜食の席におさまったものらしく、広いホームには人影もまばらで、気の滅入るほど森閑(しんかん)としている。
 小田はアメリカで肖像画を描いて貯めた金を、細々と食いのばす先行(さきゆき)のない境涯にいて、命でも、金でも、身についたものはいっさい無駄遣いをしないという克明な男だが、なぜか今夜は気持が浮く。
 誰が待っているわけでもない。救世軍の簡易宿泊所の、いきれくさい蚕棚(かいこだな)にもぐりこむだけだから急いで帰るほどのこともない。佐竹をつかまえて、もうすこしほっつき歩こうかなどと考えているところへ、電車が走りこんできた。
「これァ帰れということなんだ」
 小田は未練を振り切って窓際の空席におさまると、それで電車は走りだした。
 車の中がまたひどくガランとしている。
 パリの地下鉄は車の前部と後部に二人掛けの座席が一対あって、あとはみな窓の下のニッケルの横棒に凭(もた)れて立っている。実際よりはるかに大きく見えるところへ、はるかむこうの座席に勤め人らしい地味な晴着を着た夫婦者が一組、顔をよせてひっそりと話しこんでいるだけで、ほかに一人も乗客がない。車内はいよいよ広すぎる趣(おもむき)になって、いかにも夜の更(ふ)けた感じがする。
 電車は轟然たる車輪の音をすさまじくトンネルに反響させ、坤(うめ)きとも悲鳴ともつかぬ軋(きし)り音をあげながら、無慈悲な速力でパリという大都会の胎内をつきぬけて行く。パッシィのむこうで、いったん地上に出て、セーヌ河の夜景を渡るが、そこからまた地下へもぐりこむ。小田は所在のないまま、車体の動揺に身をまかせながら、窓ガラスのむこうの暗い壁面をかすめる光の縞目(しまめ)のたわむれをぼんやりながめているうちに電車はデュプレェのホームへ辷(すべ)りこんだ。そうしてそこを出た。
 つぎのラ・モット・ピケというステーションでとまると、黒い外套の襟(えり)もとから日本輸出の白羽二重(はぶたえ)のマフラーをお揃いのようにのぞかせ、山高帽を阿弥陀(あみだ)かぶりにした三人連れの酔漢がよろけこんできた。
 いずれもたいへんなご機嫌だが、まんなかの一人はひどく酔っていて、山高帽を鼻の上までズリさげ、ほとんど前後不覚になっている。連れの一人は胸と肩に筋塊を盛りあげた市場の仲仕(なかし)かトラックの運転手かといった見かけ。もう一人のほうは、職工体(てい)の痩せた小柄の若い男で、鼻の稜(みね)の尖(とが)った下司(げす)っぽい顔をしている。二人は酔っぱらいの脇に手を入れて左右から支えながら、車のトバ口(くち)でやっさもっさやっていたが、やっとのことでむこう側の窓のところまで運びこんだ。いかにもあぶなっかしいようすなので、小田は席を譲ろうと腰を浮かせると、ひとの動いたけはいを感じて、二人がジロリとこちらへ振り返った。
 いやな眼つきだから、小田はなんだと思って二人を見かえす。むこうが小田のおかしな顔を見る。小田がむこうのおかしな顔を見る。二、三度そんなやりとりをしているうちに、若いほうは聞こえよがしに、
「ちっ」
 と舌打ちし、身振りでなにか連れに合図すると、仲仕体(てい)のほうは酔っぱらいをよいしょと横棒におっ立てかけ、眼端(めはし)をしがめて上から下へゆっくりと小田を見くだしながら、ひとを馬鹿にしたような高笑いをした。
 アメリカにいるあいだ、またこのパリに来てからも、こんないわれのない侮辱(ぶじょく)を受けたことはなかった。小田は齢(とし)の割に気の練れた男だが、面白くないから窓のほうへ向きをかえた。
 窓外三尺ほど先はトンネルの暗い壁なので、窓ガラスがそのまま鏡になり、反対側の窓際に一列並びになっている酔っぱらいどもの顔と、こちら側の座席にいる小田の顔が、映画の軟焦点撮影の式で二重写しになっている。
「なにがおかしいんだ」
 窓ガラスの鏡にうつった自分の顔を見てみたが、おかしいようなところはべつになかった。
 この十年、人間の顔と取っ組んできた小田のことで、自分の顔のねうちは自分がよく承知している。皮膚が黄枯れ色に染まり、横に切れあがった細い一(ひ)と皮眼の間から、煤(すす)っぽい険相な瞳がのぞきだしているのは気にかかるが、これは東洋人一般の好みで、小田だけのものではない。眼も、鼻も、口も、ひとつひとつ見ればこれという取得(とりえ)もないが、素朴な曲線で描かれた、つるりとした輪廓のなかに無理なくおさまり、ついそこにいる白癬(しろなまず)のいたち面や、毛深い贅肉(ぜいにく)のかたまりより、はるかに美的観照に耐える。
 三十二歳という齢にはどうかと思われる緋色の派手なベレーは、さる画聖の好尚(こうしょう)のひきうつしだが、市場の仲仕の山高帽ほどには気障(きざ)でない。ひっぱっているものは、服も外套も中流の下ぐらいのところに落ち着いて、輸出物の風呂敷をマフラーととっちがえるような出過ぎた真似もしていない。どう考えても、こんなやつらに笑われるわけはない。
 小田は外套の隠しからチビ鉛筆をだして、『パリ案内』の見返しのところへ念入りに二人の顔をスケッチし、それに豚と犬の胴体をつぎたしてうさばらしをしていると、電車が大きくカーヴをまわったひょうしに、鼻の上までズリさがっていた、まんなかの酔っぱらいの山高帽が、うしろへはねあがって、青ずんだ顔がひょいと前の窓ガラスにうつった。
 揉上(もみあ)げを長くし、細い口髭(くちひげ)をつけた、中南米の出とも見える初老の紳士で、どんな乱暴な飲みかたをしたものか、顔が半分麻痺したようになっている。片っぽうの眼が歪(ゆが)んだまま開けっぱなしになり、墨を塗(ぬ)ったような色の悪い唇のあいだから舌の先をのぞかせ、車体の動揺にあわせてクニャクニャと首を振る。そういう相好が、電流軌条のスパークのたびにパッと飛び散っては、またすぐ八方から小田の眼の前へ集ってくる。
 それもただそこにうつっているのではない。ガラスの歪(ひずみ)や気泡のせいで、笑い顔になったり、しかめっ面になったり、目まぐるしいほどに変化する百面相のなかを、架線や、信号灯や、導管の束が流れるように通っていく。青い信号灯が眼玉のところを通るとき、赤い信号灯が口の真上を通るとき、眼から青い火が、口から赤い炎が出て、超現実派の絵のような、なんとも奇想天外な顔になる。
 肖像や似顔を描かしてもらって、それで命をつないできた小田にとって、人問の顔は大切な商売道具の一つだから、これという相好は抜目なく写生してきたつもりだが、アル中といっても、こんな美事なお手本にぶつかったのはこれがはじめてだった。
「こいつはいける。相当なアル中だ」
 さりげなく窓のほうへ向きかえ、身体で手先を囲いながら、散っては集るふしぎな顔をスケッチしているうちに、アル中の顔のなかになにかこの世のものでないような、言うにいえぬ嫌なものがあることに気がついた。
 片っぽうの眼が瞬(まばた)きをしないのは、顔面麻痺のせいだと思っていたが、それは生命が枯れつくして、はや人間の用をなさなくなった死人の眼だった。
「死んでいる……」
 そう思ったとたん、鉛筆がとまって動かなくなった。
 小田の常識で理解されたのは、いうところの死後硬直でカチカチにしゃちこばった、完全な死体だということであった。

……冒頭より


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