考証[大奥]

稲垣史生著

ドットブック版 246KB/テキストファイル 121KB

500円

時代考証の第一人者が描く、大奥の愛憎絵巻…「大奥といえば、何か妖艶で残忍な印象を受ける。そこは女ばかりの住む女人国で、嫉妬や陰湿な勢力あらそいが渦巻いている。寵愛を独占するために、相手を呪ったり毒殺したり、あまたの侍女によって黒髪地獄が現出する…」著者は「時代考証事典」「武家事典」などの多数の著書とテレビや映画の時代考証でよく知られる、その道の第一人者である。

稲垣史生(いながき しせい、1912〜96)時代考証家・歴史小説家。本名、稲垣秀忠。富山県出身。早稲田大学文学部国文学科を卒業。東京新聞記者、雑誌編集長を経て、文筆業に。『時代考証事典』『武家事典』『江戸生活事典』など著書多数。時代考証の第一人者としてNHK大河ドラマ『竜馬がゆく』『樅ノ木は残った』『勝海舟』などで時代考証を手がけ、第1回放送文化基金賞受賞。杉浦日向子は弟子であった。

立ち読みフロア
一 奥御殿の神秘と現実

 奥様ということばは、武家の奥御殿から出ている。武家では上は将軍から、下は二百石高の旗本家までかならず表と奥があり、表には男ばかり、奥向には女ばかりが住んでいた。その奥向の主宰者だから奥様である。旗本以下の御家人には表奥の区別がなく、したがって奥様とはいわず御新造様(ごしんぞうさま)といいわけた。
 その奥向つまり奥御殿は、また二つにいいわけられた。江戸城の将軍家の奥向を大奥といい、諸大名および旗本家の場合は奥向といった。将軍家だけはちがうのである。将軍家をたてまつっての称とも思えるが、そうではなくて、中奥(なかおく)に対して大奥というので、中奥のない大名・旗本家では使わないとするのが正しいようである。したがって、紀州家その他の大大名家で、中奥のある城では例外的に大奥と称したものもあった。本書ではその大奥と奥向の模様と、そこに住んでいた武家の女性をえがきたいと思う。
 時代は奥御殿の画然と分れた江戸時代を主とし、その成立期である戦国時代へもさかのぼる。
 さて、武家の奥御殿といえば、何か妖艶で残忍な印象を受ける。そこは女ばかりの住む女人国で、嫉妬、変態行為、陰湿な勢力あらそいが渦巻いている。寵愛(ちょうあい)を独占するために、相手を呪咀(じゅそ)したり毒殺したり、あまたの侍女によって黒髪地獄を現出する。それに老女の勢力あらそいがからんで、しわ寄せが若く美しい女中に向けられ、むごいリンチが加えられた。鞭打ち、逆(さかさ)吊りの暴虐がすぎ、死ぬと死体を奥庭の井戸へ投げこんだ。また、新参の女中たちに「新参舞い」なる裸おどりをさせ、裸体の検査をしたなどの珍話もある。
 このリンチや裸踊りは、奥女中の性不満からくるものだとか、その欲求解決のため、長持(ながもち)づめの役者が大奥へ送りこまれたなどの話がある。
「どうです? あんなことは本当にあったんですかねえ」
 とよく聞かれる。
「家斉(いえなり)には二十一人も側室があったそうですね。いったい……」
 すぐ話はそっちへゆきたがる。それらの真偽を探求しようとするが、何しろ他人の家の奥のぞきであり、将軍も諸大名も規則を設けて極力秘匿(ひとく)したことがらである。女中たちは秘密厳守の誓詞(せいし)を入れ、退職後といえども親兄弟にも内情を漏らさなかった。隠せば隠すほど臆測するのは人情だし、貴族の世界への詮索癖も、万人共通だけに、猟奇ばなしは幕府の盛時からすでに巷間に流れていた。
 明治維新を迎え、やっと解禁の形で漏れはじめた。学者や新聞社で、後世のため元奥女中の談話をとった。が、惜しいかな、責任ある高級女中の談でなかったため、信憑(しんぴょう)性は部分的にしかないとされている。高級女中は旗本の娘や上級藩士の娘なので、主家の内情を漏らすわけはなかったのだ。
 しかし、このままでいい問題だろうか? 封建時代には、権力者たる将軍・大名の、個人の意志が政治面に直接作用することが多い。その将軍と、朝夕近接する奥御殿の女流は、将軍を動かしやすい立場にあったのではないか。特に容色をもって仕える側室の影響力は、けっして小さいものではなかろう。外部からその力を利用しようとする者もあらわれたにちがいない。
 武家時代の女の地位は低かった。敵国の女子などは財物同様にあつかわれ、一城を落せば城中の女を品物のように分配した。一族の女も、人質や政略結婚に使われ、ほとんど人権を認められなかった。江戸時代へくだっても、礼法家の伊勢貞丈(さだたけ)は家訓の中で、「夫は男なるゆえ心行われたれども、妻は女のことなれば知恵たらずふつつかなる事多し」
 といい、名君のほまれ高い保科正之(ほしなまさゆき)も、家訓の中にひどいことを書いている。
「婦人女子の言は、一切聞くべからず」
 これでは女の地位どころか、まったく女の無視である。何かといえば、
「女わらべの知ったことではない」
 ときめつけられた。
 ふしぎである。それでいて、奥向女流の影響は、けっして少ないものではなかった。将軍家では貞享(じょうきょう)・元禄の五代綱吉(つなよし)、明和・安永の十代家重(いえしげ)、文化・文政の十一代家斉(いえなり)など、政治面へいちじるしい影響を受けた。幕臣で、政策の遂行に大奥の力を借りた者に、田沼意次(おきつぐ)や柳沢吉保(よしやす)がある。それとは逆に、寛政改革の松平定信や、天保改革の水野越前守は、大奥女流の反感を買って失脚した。諸藩でも大なり小なり、同じ影響下にトラブルを起こしている。お家騒動にかならず美人の側室がでることでも、奥向の影響はあきらかである。旗本家のお家騒動も例外ではない。品物同様にみられ、「知恵たらず、ふつつかな者」といわれる奥御殿の女流が、どうしてこのふしぎな力を発揮するのだろうか? その解明を目標に、とにかく武家の奥御殿をさぐろう。

……巻頭より


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