「明治の怪物経営者たち」(1)

小堺昭三著

ドットブック版 118KB/テキストファイル 69KB

300円

副題「明敏にして毒気あり」……日本資本主義の創成期、大きな仕事をなしとげた男たちの苦闘と自負。本巻では、財界の演出家、渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)と、明治の新人類経営者、中上川彦次郎(なかみがわ・ひこじろう)を切る! 昭和を駆け抜けた作家、小堺昭三の「男の切れ味」につづく「男論」第2弾!

小堺昭三(1927〜95) 福岡県大牟田市生まれ。株式新聞社に勤めたあと、火野葦平に師事して作家をめざす。1961年に「基地」が芥川賞候補作に、同年「自分の中の他人」が直木賞候補にもなった。梶山季之の推薦で「週刊文春」のルポライターに転進。以後取材記者としての経験を生かしたノンフィクション小説に取り組む。 代表作は「けむりの牙」「西武VS東急戦国史」「明治の怪物経営者たち」「カメラマンの昭和史」など。

立ち読みフロア

渋沢栄一(しぶさわえいいち)――巧みに変身した財界の演出家

〔略伝〕天保一一年(一八四〇)、武蔵国(現埼玉県)の豪農の家に生まれる。一橋家に仕え、一橋慶喜(よしのぶ)が将軍職に就くとともに幕臣となる。明治新政府に仕えた後、明治六年(一八七三)に、第一国立銀行を設立。王子製紙、東京瓦斯(ガス)、大阪紡績など、生涯に五百余りの会社設立に参加。財界引退後は社会・教育事業に携わった。昭和六年(一九三一)没。


 才気・侠気・剛気・毒気

 明治時代の経済界のパイオニアたちには各人各様の、あふれる才気と侠気(きょうき)と剛気(ごうき)のほかに多分に《毒気(どっき)》もあった。それだけに生きざまは波瀾万丈で個性的、渋沢栄一も《毒気》のすごさでは人後に落ちない。しかも小柄ながら「日本近代資本主義の指導者」と賞讃される巨人のごときカリスマ性があるものの、利に聰(さと)い変身術の巧妙さ――臨機応変の変わり身の機敏さときたら、甲賀流や伊賀流の忍者さえもこれほどではなかったのではないか。
 渋沢は明治四十二年(一九〇九)六月、七十歳になって財界引退を声明。第一銀行(現在の第一勧業銀行)と銀行集会所をのぞく六十一社の会社役員をことごとく辞任したが、以後も長生きしながら社会事業や教育事業に専念。昭和六年に九十二歳で大往生。生涯に関与した事業が銀行、製紙、海運、鉄道、保険、信託、製鉄、造船、不動産、ホテル、自動車などの大企業から、製帽、製菓、水産業などの中小企業にいたるまでなんと五百社。公共事業にいたっては六百余もあり、生涯そのものが厖大(ぼうだい)な「明治・大正・昭和にわたる日本資本主義成立発達史」とも評価されている。だからといって彼は、そうした存在の自分に満足していた、というエピソードは皆無なのである。
 こんなにも肩書と勲章をぶらさげているギンギラギンの財界人は、その後は出ておらず現代でも見当たらず、ある種の《ばけもの》だったと言えなくもない。それでも渋沢は三井・三菱・住友・安田の四大財閥に匹敵しうる富豪にはなれなかった。たとえば福沢諭吉が創刊した「時事新報」が大正年代、五十万円以上を有する全国の資産家番付を特集したことがあり、それには九州の石炭成金たちでさえはいっているのに、渋沢栄一の名はどこにもない。つまり、資産家にもなれなかったし、彼はなろうとしてあがきもがきはしていない。
 といえば清廉潔白の士で金銭にはいたって淡白……なように聞こえるが強欲そのものであった。強欲だからこそ五百の企業、六百の公共事業団体に名をつらねたのだ。各方面の資産家たちに出資させ、これからの産業界に必要な大小さまざまな業種の会社を創業させてその重役、あるいは顧問として的確にアドバイスするものの、自分では絶対に経営者の椅子にはすわらぬ。いうなれば《実業界の軍師》もしくは《財界の演出家》に徹しつつ「合理的近代経営の原理と実業の思想を教授した」のであり、教授することに際限なく強欲になっていたのだった。

……「渋沢栄一」冒頭より

購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***