「明治の怪物経営者たち」(2)

小堺昭三著

ドットブック版 148KB/テキストファイル 63KB

300円

副題「明敏にして毒気あり」……日本資本主義の創成期、大きな仕事をなしとげた男たちの苦闘と自負。本巻では、大三菱をつくりあげた岩崎弥太郎(いわさき・やたろう)と、住友を大きくした広瀬宰平(ひろせ・さいへい)・伊庭貞剛(いば・さだのり)の2傑物を切る! 昭和を駆け抜けた作家、小堺昭三の「男の切れ味」につづく「男論」第2弾!

小堺昭三(1927〜95) 福岡県大牟田市生まれ。株式新聞社に勤めたあと、火野葦平に師事して作家をめざす。1961年に「基地」が芥川賞候補作に、同年「自分の中の他人」が直木賞候補にもなった。梶山季之の推薦で「週刊文春」のルポライターに転進。以後取材記者としての経験を生かしたノンフィクション小説に取り組む。 代表作は「けむりの牙」「西武VS東急戦国史」「明治の怪物経営者たち」「カメラマンの昭和史」など。

立ち読みフロア

岩崎弥太郎(いわさきやたろう)――政府を手玉にとった海運王

〔略伝〕天保五年(一八三四)、土佐国(現高知県)に生まれる。土佐藩長崎勘定役などを務めた後、明治六年(一八七三)、廃藩置県に際し三菱商会を興(おこ)して海運業を始める。台湾出兵や西南戦争における軍事輸送で大きな役割を果たす。政府の保護を受け、海運業を独占し、代表的な政商となった。明治一八年、共同運輸との激しい競争の最中に没。


長崎土佐商会の留守居役

「政商とは支那の字引にもなく、日本の節用集(実用辞書)にもなき名なり。無きは当然なり。これは明治の初期にその時代がつくりたる、特別の時世にできたる、特別の階級なれば……」
 と「政商」の語源を、明治の民間史学者山路愛山が『現代金権史』のなかで明らかにしている。日本には政治家や官僚と癒着する特権的な《怪物》が存在する事実を述べて、その筆頭が岩崎弥太郎であるとも指名した。
 いかにして弥太郎は「政商」になり得たのか。むろん、これは大いに興味あることだ。が、四国は土佐藩の農民あがりの下級士族にすぎなかった彼が、どのようにして大三菱を創始してゆく資金を捻出できたのか。山路愛山をはじめあまたの史家たちが追跡調査してみても、その点は現代に至ってもなお正確には解明されず、永遠の謎として残されている部分であり、だれもがもっとも知りたいポイントなのだ。
 弥太郎は天保五年(一八三四)の生まれ。彼にもっとも強烈な影響をあたえた人物は、同郷の一歳年下のあの坂本龍馬である。
 幕末には土佐にも、新しい時代の風が吹きつけてきつつあった。ときの藩主山内容堂(やまうちようどう)が「酔えば勤皇、醒めれば佐幕の人」と笑われるほどに優柔不断である上に、家臣たちは徳川支持の保守派、進歩的な開国派、あるいは血気の尊皇攘夷派に離合集散するため、血みどろの斬り合いも頻発する。
 その粗野さを嫌ってコスモポリタン派の、もとは酒屋の小伜(こせがれ)である坂本龍馬は脱藩してしまうが、農民あがりの弥太郎は仕置役(家老職)吉田東洋の「開国論」に共鳴しつつも、右にも左にも行動する決断がつかないまま、目立たぬ存在で付和雷同していた。
 文久二年(一八六二)三月の雨の夜、下城中に吉田東洋は待ち伏せに遭い、土佐勤皇派武市瑞山一味の三人に斬殺された。その東洋の甥(おい)であったエリート上士階級の大目付後藤象二郎が、一躍にして後任の仕置役に昇格。彼は叔父の仇を討つべく二人の刺客を放ち、大阪方面へ逃走中の犯人らを追跡させた。その刺客の一人が二十九歳の弥太郎だが、剣の腕前には自信がなかった。
 首尾を期待されたのに弥太郎は、相棒が返り討ちに遭い、大阪の道頓堀川に投げこまれて涯(は)てると、一目散に高知へUターンしてきた。当然「変節漢」「卑怯者」の罵声をあびせられるが、生まれ故郷の安芸郡井ノ口村で野良仕事をやったり、室戸岬へ海釣りに出かけたりしてだんまりをきめ込んだ。
 なぜ、そうなのか。
「おれは生きなければならぬ。斬られれば開国論を現実のものにすることはできない。生きていてこそ吉田東洋先生のためになるのだ。仇討ちはやりたいやつがやればいい」
 と考えてのこと。いま一つは淀川河口の巨大な貯木場に集められる材木の山が、翌朝には売れて大阪市内へ運び出されてゆく……そんなスケールの大きな商取引を目撃してきた彼に、
「武士として立身出世を願うより、材木商として大成したい。貿易業にも進出してみたい。それが開国論の実行になるのだ」
 との熱い思いも、勃然(ぼつぜん)と湧いてきて命をいっそう惜しませたのだった。

……「岩崎弥太郎」冒頭より

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