「怪談」

ラフカディオ・ハーン/斎藤正二訳

ドットブック版 162KB/テキストファイル 162KB

500円

ハーン(小泉八雲)は日本古来の伝承や民話をこよなく愛し、研究した。その蓄積を生かして流麗な英文で自在に創作した物語集が「怪談」である。深刻なもの、軽妙洒脱なもの、夢幻的なもの、霊的世界との交流の話、そして怖いもの、すべてが今は失われた心の世界を再現している。これは著者みずからの注も付した完訳版である。

ラフカディオ・ハーン(1850〜1904)小泉八雲。アイルランド出身の軍医であった父とギリシア人の母を持つ。アイルランド、フランス、イギリスで教育を受け、その後アメリカに渡ってジャーナリストに。数々の雑誌や自費出版の本などを手がけた後、紀行文を書くために来日。松江中学校の英語教師として教壇に。日本人女性、小泉節子と結婚し、46歳のときに帰化願いが受理されて「小泉八雲(こいずみやくも)」と改名した。日本的なるものの探求につとめ、英文による創作・エッセイによって、当時の日本を広く世界に紹介した。代表的なエッセイに「日本瞥見記」「東の国から」「日本…一つの試論」、創作に「怪談」「骨董」がある。

立ち読みフロア
 今から七百年以上も昔のこと、下の関海峡の壇《だん》の浦《うら》において、平家《へいけ》すなわち平《たいら》一門と、源氏《げんじ》すなわち源《みなもと》一門とのあいだの、長年にわたる闘争に決着をつけるべき、最終の合戦がたたかわされた。この壇の浦で、平家は、一門の女子供《おんなこども》にいたるまで、かれらの擁立する幼帝――すなわち、こんにち安徳天皇として記憶されている幼帝もろともに、まったく滅び絶えてしまったのである。そして、壇の浦へんの海や海岸は、七百年ものあいだ、平家の怨霊《おんりょう》にずっとつきまとわれてきたのであった。……ほかのところで(2)、わたくしは、その壇の浦で見つけられる、平家蟹《へいけがに》(3)という名の奇妙な蟹について述べておいたが、この蟹の甲羅《こうら》には人間の顔かたちがついており、それこそは平家の武士たちの霊魂にほかならぬ、というふうに言われている。しかし、このへん一帯の海べでは、いまでも、いろいろ不思議なことが見たり聞いたりされるのである。闇の夜には、幾千とも知れぬ亡霊の火が、水ぎわをふらふらさまよったり、波の上をふわふわ飛びまわったりする。――それは青白い光で、漁師たちは「鬼火」、つまり、妖魔の火(4)と呼んでいる。そして、風の吹きすさぶときには、いつもきまって、その海のほうから、あたかも合戦の鬨《とき》の声のような、すさまじい叫び声が聞こえてくるのである。
 以前には、平家の人たちは、現在よりはもっとずっと、霊のやすらぎが得られずにいるという状態にあった。かれらは、夜なかに通りかかる船のまわりにあらわれて、船を沈めにかかったりしたものである。また、水泳する者たちを、しょっちゅう待ちかまえていて、海底に引っぱりこもうとしたりしたものである。阿弥陀《あみだ》寺という寺が、赤間《あかま》ガ関《せき》に建立(5)されたのは、そのような亡者たちの霊を慰める目的からであった。合同墓地もまた、寺域にすぐ接して、海べり近くに設営された。墓地のなかには、入水《にゅうすい》したもうた天皇ならびに宮廷顕臣たちの名前を刻みつけた墓碑が幾基か建てられた。そして、仏教法会《ほうえ》が、これらのひとびとの霊を慰めるために、年忌《ねんき》ごとに、この場所でいとなまれた。寺が建てられ、また墓地が設けられてからあと、平家の人たちは、以前ほどには祟《たた》りをしなくなった。しかし、それでもなお、ときとして奇怪《きっかい》なことをするのをやめなかった。――これは、つまり、かれらが完全な安息を得ていなかった証拠になる。

 なん百年かまえに、赤間ガ関に、芳一《ほういち》というひとりの盲人が住んでいた。この盲人は、琵琶(6)を吟唱したり弾奏したりするのがうまいというので、世間に知られていた。かれは、子供の時分から、琵琶を弾唱するわざを仕込まれたのだったが、まだほんの少年のころに、はやくもお師匠さんたちをしのいでしまっていた。本職の琵琶法師としては、おもに源平の物語をかたるということで有名になった。そして、かれが壇の浦のいくさの段をうたうさいには、「鬼神(7)すら涙せきあえざりき」というほどだったといわれている。
 はじめて世にでたころには、芳一はたいへん貧乏であった。だが、自分を引き立ててくれるよい知己《ちき》にめぐり合った。阿弥陀寺の和尚というのが、詩歌管絃《しいかかんげん》を愛好していたところから、しばしば芳一を寺にまねいては、琵琶を弾唱させていたのである。のちになって、和尚は、なにしろこの少年のすばらしい妙技にひどく感心してしまったものだから、どうじゃ、寺へきて住むようにいたさんか、と言いだした。そして、芳一は、この申し出をありがたく受けた。芳一には、寺のひと間が与えられることになった。そして、飲み食いと宿とを給せられたことに対する返礼といっては、ほかにこれといって用事のない晩などに、琵琶の弾きがたりをして和尚を喜ばせてやりさえすればよいのだった。

 ある夏の夜、和尚は、死人の出た檀家《だんか》へ法事をするために呼ばれて行った。そして、和尚は、芳一ひとりを寺に残したまま、小僧をつれてその家へ出かけて行ったのだった。暑い晩であった。そして、盲人は、すこし涼もうと思って、寝間のまえの縁側にでた。その縁側は、阿弥陀寺の裏手の小庭を見おろすような位置にあった。この縁側で、芳一は、和尚の帰りを待ち、琵琶のおさらいをしながら寂しさをまぎらそうと努《つと》めていた。夜半を過ぎたが、和尚は帰ってこなかった。しかし、あたりの空気はまだむしむしして暑く、とても室内にはいって手足をのばしたりできないので、芳一は、そのまま部屋のそとにいた。やっとのこと、裏門のほうから、人の足音がこちらに近づいてくるのを聞きとめた。だれかが庭をよこぎって縁側に進みより、かれのまんまえに立ちどまった。――だが、それは和尚ではなかった。おもおもしい低音の声が、盲人の名をよんだ。――だしぬけでもあり、ぶしつけでもあり、ちょうど侍《さむらい》が下郎《げろう》をきびしく呼びつけるような調子である。――
「芳一!」
 芳一は、ぎょっとしたあまり、しばらくのあいだ、返事をすることさえできなかった。すると、その声は、ふたたび、荒々しく、命令をくだすような調子で呼びかけた。――
「芳一!」

……「耳なし芳一のはなし」より

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