「海底二万リーグ(上)

ジュール・ヴェルヌ/村上啓夫訳

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400円

次々と報告される海の「怪獣」の正体を明らかにすべく、アメリカは巡洋艦エブラハム・リンカーン号を派遣することに決めた。フランスの海洋生物学者アロンナクス教授は正式な招待をうけて、それに乗り込む。同行するのは忠実な召使いの若者コンセイユだ。艦にはカナダ人のモリ撃ちの名手ネッド・ランドがいた。「怪獣」の正体はほどなく明らかになったが、それに気づいたとき、3人は鋼鉄製の「怪獣」の背中にしがみついていて、やがて「怪獣」の腹のなかへと引きずり込まれた。「怪獣」は見たこともない潜水艦で、ネモ(誰でもない)という名の艦長がその指揮官であった。艦長はいぶかる3人を深海の散歩につれだす。ヴェルヌの「驚異の旅」の代表作。

ジュール・ヴェルヌ(1818-1905)フランス西部、ロワール河畔のナントの生まれ。幼ないときから科学への好奇心と冒険心を持ち、11歳のとき従妹にサンゴの首飾りをプレゼントしようと、見習い水夫として船に乗りこもうとして、家に連れ戻されたという。1863年に発表した『気球旅行の五週間』で一躍、世界の人気作家となり、「驚異の旅」シリーズを次々と完成した。おもな作品『地底旅行』『八十日間世界一周』『二年間の休暇』など。

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 一八六六年という年は、いまだに誰一人として忘れられない、奇怪至極な事件が起った年で、いろいろな噂(うわさ)が海岸地方の住民を騒がせ、大陸奥地の人々まで興奮の渦にまきこんだ。そのうちでも、とりわけ神経をとがらせたのは諸国の航海業者で、欧米両大陸の商人、水夫、船長たちはむろんのこと、各国の海軍軍人や政府当局者まで、この事件には深い関心を払った。
 ことの起りは、少し前から、幾隻もの船舶が洋上でえたいの知れない「巨大な怪物」に出会い、その怪物というのが長い紡錘(ぼうすい)状をしていて、時々からだから燐光を放ち、クジラよりもはるかに大きく、行動も敏捷だといううわさがつたわったのである。
 この事件について各船舶の航海日誌が伝えたところによると、問題の怪物は生物か無生物か判らぬような奇妙な恰好をしているということ、その行動が非常に敏捷で物すごい速力をそなえており、特殊な生活を営んでいるらしいということなどが、だいたい判明した。クジラの一種だとすると、それは従来学問的に分類されているどんなクジラよりも大きなものらしかった。多くの観察者の意見を総合すると(ただし、この怪物の長さを六十メートルと見積ったような遠慮深い観測や、また幅一マイル、長さ三マイルといったような大げさな意見は別として)、この怪物が実際に生存するものとすれば、それは今日の魚類学者が知っているどんな生物よりも大きいことだけは、確かだった。しかも、それが実在することは、もはや動かしがたい事実だったうえに、もともと人間には奇を好む癖(くせ)があったから、この超自然的な怪物の出現が世界中を沸き立たせたのも、決して不思議ではなかった。これを作り話などと考える人間は、もちろん一人もいなかった。
 一八六六年七月二十日、カルカッタ・バーナック汽船会社のガヴァナー・ビギンスン号という船が、まずオーストラリアの東海岸をさる五マイルの地点で、この動く怪物に遭遇した。ベイカー船長ははじめ、それを今まで知られていなかった砂洲が現れたものと考えて、その正確な位置を測定しようと準備にとりかかっていると、そのとき突然その怪しげなものから二条の水柱が噴出し、シューッ、シューッとすさまじい音を立てて、五十メートルも空高くあがった。しかし、この砂洲が間歇泉(かんけつせん)の噴出でできたものでないとすれば、ガヴァナー・ビギンスン号が見たのは、今まで知られていなかった水棲哺乳動物の一種が、その噴気孔から空気と水蒸気のまじった水柱を噴き上げたものと考えるほかなかった。
 ところが同じような事実が、同じ月の二十三日、太平洋上で、西インド太平洋汽船会社のコロンブス号によっても認められたのである。そこで、この途方もない大きなクジラに似た生物は、驚くべき速力を以て移動することがわかった。というのは、ガヴァナー・ビギンスン号とコロンブス号とは、中二日をおいて、地図の上では七百リーグ以上もへだたっている地点で、この怪物を目撃したからだった。
 それから十五日後、こんどはさらに二千マイル以上もへだたった大西洋上を風上に向かって航行中のナショナール会社のヘルヴェシャ号とロイヤル・メール汽船会社のシャノン号が、北緯四二度一五分、西経六〇度三五分の地点で、互いに怪物の出現を信号し合った。シャノン号もヘルヴェシャ号も長さ百メートル以上ある船だが、この両船が同時に観察したところによると、怪物はそのどっちの船よりも大きかったということであるから、問題の哺乳動物の全長は、少なくとも百メートル以上あるにちがいないと考えられた。
 だが、アリューシャン列島や、クラマク諸島や、ウングリヒ諸島の近海に出没する、最も大きなクジラでも、せいぜい五十五メートルを越えることはない、とされているのである。
 次々に到着するこれらの報告は、その後大西洋通いの汽船ペレイラ号の甲板上からなされた新しい観察や、インマン航路のエトナ号と怪物との間に起った衝突事件や、フランスのフリゲート艦ノルマンディ号の士官が提出した調書や、ロード・クライド号に乗っていたフィッツ・ジェームズ提督の幕僚が作った非常に正確な調査報告などと相まって、大いに世論を喚起した。思慮の浅い国民は、これらの出来ごとを一笑に付したが、イギリスやアメリカやドイツのような、真面目な実際的な国々では、この問題はきわめて真剣に取り扱われた。
 
……《一 移動する暗礁》より


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