「岡本かの子名作集」

岡本かの子著

ドットブック版 211KB/テキストファイル 194KB

500円

「絢爛」の文字がぴったりの作品を残し、一陣の風のように逝った女人作家、岡本かの子。「このように大きく豊かで深い女人は、今後いつまた文学の世界に生まれてくれるであろうか」…これは川端康成の言葉である。本巻には、「渾沌未分」「過去世(かこぜ)」「夏の夜の夢」「金魚撩乱」「東海道五十三次」「老妓抄」「家霊(かれい)」「河明り」の代表作8編を収録した。新字現代仮名遣い。

岡本かの子(1889〜1939)作家、歌人。東京の青山南町生まれ。跡見女学校卒業。漫画家岡本一平と結婚、画家岡本太郎はその息子である。小説家としてのデビューは1936年(45歳)で晩年だったが、火山の爆発にもたとえられる旺盛な執筆活動によって短期間に多くの作品を残した。仏教を深く研究したこともよく知られる。1939年、49歳で死去した。

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 今日も復一はようやく変色し始めた仔魚(しぎょ)を一匹二匹と皿に掬(すく)い上げ、熱心に拡大鏡で眺(なが)めていたが、今年もまた失敗か――今年もまた望み通りの金魚はついに出来そうもない。そう呟(つぶや)いて復一は皿と拡大鏡とを縁側に抛(ほう)り出し、無表情のまま仰向(あおむ)けにどたりとねた。
 縁から見るこの谷窪(たにくぼ)の新緑は今が盛りだった。木の葉ともいえない華やかさで、梢(こずえ)は新緑を基調とした紅茶系統からやや紫がかった若葉の五色の染め分けを振り捌(さば)いている。それが風に揺らぐと、反射で滑(なめ)らかな崖の赤土の表面が金屏風(きんびょうぶ)のように閃(ひらめ)く。五六丈(じょう)も高い崖の傾斜のところどころに霧島(きりしま)つつじが咲いている。
 崖の根を固めている一帯の竹藪(たけやぶ)の蔭(かげ)から、じめじめした草叢(くさむら)があって、晩咲(おそざ)きの桜草や、早咲きの金蓮花(きんれんか)が、小さい流れの岸まで、まだらに咲き続いている。小流れは谷窪から湧(わ)く自然の水で、復一のような金魚飼育商にとっては、第一に稼業の拠(よ)りどころにもなるものだった。その水を岐(えだ)にひいて、七つ八つの金魚池があった。池は葭簾(よしず)で覆(おお)ったのもあり、露出したのもあった。逞(たく)ましい水音を立てて、崖とは反対の道路の石垣の下を大溝(おおどぶ)が流れている。これは市中の汚水(おすい)を集めて濁(にご)っている。
 復一が六年前地方の水産試験所を去って、この金魚屋の跡取(あとと)りとして再び育ての親達に迎えられて来たときも、まだこの谷窪に晩春の花々が咲き残っていた頃だった。
 復一は生れて地方の水産学校へ出る青年期までここに育ちながら、今更のように、「東京は山の手にこんな桃仙境(とうせんきょう)があるのだった」と気がついた。そしてこの谷窪を占める金魚屋の主人になるのを悦(よろこ)んだ。だが、それから六年後の今、この柔かい景色や水音を聞いても、彼はかえって彼の頑(かたくな)になったこころを一層枯燥(こそう)させる反対の働きを受けるようになった。彼は無表情の眼を挙げて、崖の上を見た。
 芝生の端(はし)が垂れ下っている崖の上の広壮な邸園(ていえん)の一端にロマネスクの半円祠堂(しどう)があって、一本一本の円柱は六月の陽を受けて鮮かに紫薔薇色の陰(かげ)をくっきりつけ、その一本一本の間から高い蒼空(あおぞら)を透(す)かしていた。白雲が遥(はる)か下界のこの円柱を桁(けた)にして、ゆったり空を渡るのが見えた。
 今日も半円祠堂のまんなかの腰掛には崖邸の夫人真佐子(まさこ)が豊かな身体(からだ)つきを聳(そびや)かして、日光を胸で受止めていた。膝(ひざ)の上には遠目にも何か編みかけらしい糸の乱れが乗っていて、それへ斜(ななめ)にうっとりとした女の子が凭(もた)れかかっていた。それはおよそ復一の気持とは縁のない幸福そのものの図だった。真佐子はかなりの近視で、こちらの姿は眼に入らなかろうが、こちらからはあまりに毎日見馴(みな)れて、復一にはことさら心を刺戟(しげき)される図でもなかったが、嫉妬(しっと)か羨望(せんぼう)か未練か、とにかくこの図に何かの感情を寄せて、こころを掻き(か)き立たさなければ、心が動きも止りもしないような男に復一はなっていた。
「ああ今日もまたあの図を見なくってはならないのか。自分とは全く無関係に生き誇って行く女。自分には運命的に思い切れない女――。」
 復一はむっくり起き上って、煙草(たばこ)に火をつけた。

……「
金魚撩乱」 冒頭

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