「険しい道」…モンゴメリ自伝

L・M・モンゴメリ/山口昌子訳

ドットブック版 124KB/テキストファイル 79KB

500円

『赤毛のアン』が好評をもって迎えられてから10年、その作者が幼いときと若い時代を振り返り、「わたしと同じように、うんざりするような人生という道程(みちのり)を苦しみながら、いまもなお歩きつづけている人びとを励ますために」とはっきり言い切って書いた自伝。これは単なる作家修業の回顧録にとどまらず、小説に登場する人物や背景となったプリンス・エドワード島の山河が豊かによみがえる読み物となった。「険しい道」というタイトルは、「壮麗なる高みに至る道、それはあくまでもきびしく、あくまでも険しい道」という自作の詩から採られている。

L・M・モンゴメリ(1874〜1942)はカナダのプリンス・エドワード島生まれ。祖父母に育てられ、大学を出たあと故郷の島で教職についたが、祖母を助けて郵便局の仕事にたずさわる。31歳のときに書いた「赤毛のアン」が3年後に日の目をみると、たちまちベストセラーとなった。以後、「アン物語」は8編のシリーズとなった。

立ち読みフロア
『婦女界』という雑誌の編集長に「自叙伝」を書いてみませんかと言われたとき、とても信じられないという気持ちと、同時に少しばかり胸がわくわくする感じで、わたしの顔はほころびました。自伝? いったいわたしに人生なんてあったのかしら? 私の人生はすばらしいものだったのだろうか――光り輝く過去がわたしにはあったのだろうか? どう考えてみても胸が躍(おど)るようなことはなにもなかったのではないだろうか? 今日までのわたしの「人生」はとても長く、黙々と山をよじ登るような波瀾万丈(はらんばんじょう)の年月でした。このような「経歴」を成功者の人生と呼ぶことができるのでしょうか。わたしにはとても考えられないことです。毎日毎日変わることのない単調な戦い――そのような人生について、なにを語ったらいいのか。「ほとんど語ることがなにもない」ということを書け? どうも雑誌の編集長の気まぐれらしい。長い年月の内に編集者の気まぐれに自分自身を適応させてしまう癖がわたしにはついていたのでした。いつものように、断わり切れない。そう、元気を出して、あまりぱっとしないわたしの人生物語を書くことにしよう。たとえこの本がなんの役にたたなくっても、わたしと同じように、うんざりするような人生という道程(みちのり)を、苦しみながらいまもなお歩きつづけている人びとを励ますことができるかもしれない。わたしもその苦しい道程を歩きぬいて、今日のわたしがあるのだから。

 もうずいぶん昔のことです。わたしは小さな子供でした。ある日、雑誌の一頁から「リンドウによせる」という題の詩を切りぬいてノートの片隅にはりました。ノートを開くたびにその詩をくりかえし読みました。そしてその詩が、私の人生の指針となったのです。

 人びとの眠れる内に、
 樹々はそよぎ花は咲き乱れる。
 険しき山を登り、山頂に立つ、
 ああ、はるかなる山頂。しかれども
 達するとき、真正(まこと)の声とどろきわたる。
 いざ、記すべし、黄金の紙表に、
 ささやかなる女の名を。

 ほんとうに「険しい道」でした。わたしが歩みつづけてきたその同じ道をいまも歩みつづけている人びとを、許されるならば、わたしは「聖なる巡礼者」と呼びたいのです。

 カナダにあるプリンス・エドワード島の小さな村クリフトンがわたしの生まれたところです。「プリンス・エドワード島」――すばらしい島。この島に生まれ、幼年期を過ごすことができて、わたしはほんとうに幸せです。これ以上すばらしいところがあるとは、いまも思いません。島で生をうけたものは、みな島に忠実な人間です。島で生まれた人間はいまも心の奥底で、こんなにすばらしいところはないと、ひそかに信じています。この地球上にそんなに完全なところがあるものか、と疑う人がいるかもしれません。でも、わたしの信念は変わりません。もしそのような疑念をさしはさむ人がいれば、島で生まれたわたしたちは、怒り心頭(しんとう)! プリンス・エドワード島生まれの人をだまして、たとえば島の悪口を言わせようとしてごらんなさい。きっとその人は、島のことをひとりぶつぶつ自慢することでしょう。それからやがて八百万(やおよろず)の神々の怒りを静め、押えがたい愛郷の心をじっと隠すために「太陽の黒点のように、一つや二つは欠点もありますがね……」と言葉をにごすことでしょう。「きっとすばらしい島でしょうね」とみなさんが同意してくださったとしても、けっして地獄に落ちることはないと思います!

……冒頭より


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