「三人吉三」(三人吉三廓初買)
さんにんきちさくるわのはつかい

河竹黙阿弥作/河竹登志夫校訂

エキスパンドブック 146KB/ドットブック 168KB/テキストファイル 51KB

300円

 「月も朧(おぼろ)に白魚(しらうお)の篝(かがり)も霞む春の空、つめてえ風もほろ酔いに心持よくうかうかと、浮かれ烏(がらす)のたゞ一羽塒(ねぐら)へ帰(けえ)る川端で、棹(さお)の雫(しずく)か濡手(ぬれて)で泡、思いがけなく手に入る百両」
 大川端で夜鷹を蹴落として手に入れた百両に満悦のていのお嬢吉三(おじょうきちさ)、だがそれを見ていたお坊吉三(おぼうきちさ)はその金をよこせと横車、二人はたちまち立ち回りを演じる。その間に割って入ったのが和尚吉三(おしょうきちさ)、いずれも腕一本に生きる無頼の徒、たちまち意気投合して血盃(ちさかずき)をかわすが……金と欲にくわえて因果のしがらみに翻弄される人々をリアルに描いた黙阿弥の「白浪物」の代表作。

作者:河竹黙阿弥(かわたけもくあみ 1816-93)
江戸末期から明治にかけて活躍した歌舞伎作者。江戸の商家に生まれ、五世鶴屋南北の弟子となり、江戸中村座の座付き作者としてデビュー。当時の世相、風俗、人情を活写した「世話物(せわもの)」と、義賊にヒントを得た「白浪物(しらなみもの)」で大評判をとった。明治に入ってからは文明開化風俗に取材した「散切物(ざんぎりもの)」などを手掛け、江戸歌舞伎の集大成者といわれる。その作品は現在もくりかえし最も頻繁に演じられている。代表作に「文弥(ぶんや)殺し」「縮屋(ちぢみや)新助」「髪結新三(かみゆいしんざ)」「村井長庵(むらいちょうあん)」「河内山と直侍(こうちやまとなおざむらい))」(以上世話物)、「鼠小僧」「十六夜清心(いざよいせいしん)」「三人吉三(さんにんきちさ」「弁天小僧」(以上白浪物)などがある。

立ち読みフロア
【とせ】 ゆうべ金を落とせしお方は、夜目にも確(しか)と覚えある、装(なり)の様子は奉公人衆、さだめてお主(しゅう)の金と知り少しも早く戻したく、おおかた今宵柳原(やなぎはら)へ私(わたし)を尋ねてござんしょうと拾うた金を持っていたれど、ついに尋ねてござんせぬは、もしやお主(しゅう)へ言いわけ無さにひょんな事でもなされはせぬか。たった一度逢うたれど心に忘れぬいとしいお方、案じるせいか胸さわぎ、あゝ心ならぬことじゃなあ。
(ト思入れあって、揚幕(あげまく)の方を、もしやたずねて来ぬかと見るこなし、花道よりお嬢吉三(じょうきちさ)島田鬘(しまだまげ)、振袖、お七のこしらえにて出て来り)
【お嬢】 アもし、はゞかりながらお女中様、おたずね申したいことがござりますわいな。
【とせ】 はい、何でござります。
【お嬢】 あの亀井戸のほうへはどうまいりますか、お教えなされてくださりませいな。
【とせ】 はい亀井戸へお出(いで)なされますなら、これから右へまっすぐに行きあたったら左へまがり(ト言いながらお嬢吉三のなりを見て)とさあ委(くわ)しゅうお教え申しても、お前様には知れますまい、どうで私の帰り道、割下水(わりげすい)まで共々におつれ申してあげましょう。
【お嬢】 それはありがとうござりますわいな、つれてまいりし供にはぐれ、知らぬ道にたゞ一人怖うてなりませねば、お邪魔ではござりましょうが、どうぞおつれなされてくださりませいな。
【とせ】 いえもう私(わたし)が家(うち)へ帰りますには、一つ道でござりますから、おやすいことでござります。
【お嬢】 さようなればお女中さま。
【とせ】 こうお出(いで)なされませいな。(トおとせ先にお嬢吉三本舞台へ来り)もしお嬢さま、お前さまはどちらでござります。
【お嬢】 あの私(わたし)ゃ本郷二丁目の、八百屋の娘で七(しち)と申しますわいな。
【とせ】 八百屋のお七さまとおっしゃりますか。
【お嬢】 してお前さまのお家(うち)は、
【とせ】 はい私の家は割下水(わりげすい)で、父(とゝ)さんの名は伝吉、わたしゃおとせと申します。
【お嬢】 して、御生業(ごしょうばい)は。
【とせ】 さあ、その生業は。(ト困る思入れ)
【お嬢】 何をお商売(あきない)なされますえ。
【とせ】 はい、お恥ずかしいが蓙(ござ)の上にて。
【お嬢】 あの十九文屋(大道玩具屋(だいどうがんぐや))でござりますか。
【とせ】 いえ、二十四文でござります。
【お嬢】 そんならもしや、
【とせ】 お察しなされませいな。
(トおとせお嬢の背中を叩く、このおり懐の財布を落とす、トお嬢手早く取り上げ、ぎっくり思入れあって)
【お嬢】 もし、なにやら落ちましたぞえ。(ト出す)
【とせ】 おゝ、こりゃだいじのお金、
【お嬢】 えゝお金でござりますか。
【とせ】 あい、しかも大(だい)まい小判で百両。
【お嬢】 大層おあきないがござりましたな。
【とせ】 御冗談(ごじょうだん)ばかり、ほゝゝ。
【お嬢】 あれえ。(ト仰山(ぎょうさん)にお嬢、おとせに抱きつく)
【とせ】 アもし、どうなされました。
【お嬢】 いま向うの家(や)の棟(むね)を、光り物が通りましたわいな。
【とせ】 そりゃおおかた人魂(ひとだま)でござりましょう。
【お嬢】 あれえ。(トまたしがみつく)
【とせ】 なんの怖(こわ)いことがござりましょう、夜生業(よしょうばい)をいたしますれば、人魂(ひとだま)なぞは度々(たびたび)ゆえ怖いことはござりませぬ、たゞ世の中に怖いのは、(トこのとき本釣鐘(ほんつりがね)を打ち込む)人が怖うござります。
【お嬢】 ほんにそうでござりますなあ。(ト言いながらお嬢おとせの懐から財布を引き出す)
【とせ】 (恟(びっく)りして)や、こりゃ、この金を何となされます。
【お嬢】 何(なん)ともせぬ、もらうのさ。
【とせ】 えゝゝ、そんならお前は。
【お嬢】 どろぼうさ。
【とせ】 え。
【お嬢】 ほんに人が怖いの。(ト財布を引ったくる)
【とせ】 そればかりは。
(トおとせ取りに掛かるを振り払う。おとせ、たじたじとして思わず川へ落ちる。水の音、波煙ぱっと立つ)
【お嬢】 あゝ川へ落ちたか。(ト川を見込み)やれ可愛(かわい)そうなことをした。(ト言いながら財布より百両包みを出し)思いがけねえこの百両、
(トにったり思入れ、このとき後ろへ太郎右衛門窺(うかゞ)い出て)
【太郎】 その百両を。
(ト取りに掛かるを突き廻し、金を財布へ入れ、懐へいれる。太郎右衛門また掛かる、このときお嬢吉三、太郎右衛門の差 し て い る庚申丸(こうしんまる)を鞘(さや)ごと引ったくり、太郎右衛門それをと寄るを、すらりと抜き、振り廻す、この途端(とたん)、花道(はなみち)より垂(たれ)を下(お)ろせし四ツ手駕(でかご)を担(かつ)ぎ来り、これを見てびっくりなし、駕(かご)を下手(しもて)へ捨て、下手へ逃げてはいる。太郎右 衛 門 は白刃(しらは)に恐れ上手(かみて)へ逃げてはいる。時の鐘、お嬢吉三あとを見送りて)
【お嬢】 はて臆病な奴等だな、(ト駕(かご)の提灯で白刃を見て)むゝ、道の用心ちょうど幸い。(ト庚申丸をさし、空の朧月を見て)
 月も朧(おぼろ)に白魚(しらうお)の篝(かがり)も霞む春の空、つめてえ風もほろ酔いに心持よくうかうかと、浮かれ烏(がらす)のたゞ一羽塒(ねぐら)へ帰(けえ)る川端で、棹(さお)の雫(しずく)か濡手(ぬれて)で泡、思いがけなく手に入る百両、
(ト懐の財布を出し、にったり思入れ、このとき上手にて、厄払(やくばら)いの声してお厄払(はら)いましょう、厄落とし厄落としと呼ばわる)
ほんに今夜は節分か、西の海より川のなか落ちた夜鷹(よたか)は厄落とし、豆沢山(まめだくさん)に一文の銭(ぜに)と違って金包み、こいつあ春から延喜(えんぎ)がいゝわえ。

(序幕 大川端庚申塚の場より)


購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***