シリーズ「鎮魂の戦史」

「機動部隊奮戦す」

淵田美津雄・奥宮正武著

ドットブック版 1518KB/テキスト版 241KB

800円

太平洋戦争の後半、ミッドウェー海戦の惨敗を経てもなお、機動部隊の果敢な戦いは続いていた。敵機動部隊に大打撃を与えた南太平洋海戦(本書第一部)をはじめ、勢力挽回をかけて展開されるアメリカ海軍とのあいつぐ死闘。だが一大決戦を挑んだ「あ」号作戦(本書第二部「マリアナ沖海戦」)に完敗、帝国海軍の機動部隊は、ついに積極的な作戦能力を失ってしまう…。連合艦隊の中核をになした機動部隊の奮戦ぶりをつぶさに詳述しつつ、日本の戦争指導の問題点を鋭くついた古典的名著。旧著「機動部隊」を改題。

淵田美津雄 ふちだみつお(1902〜51)奈良県生まれ。24年海軍兵学校卒業。38年日華事変に参加。41年「赤城」飛行隊長になり、真珠湾攻撃飛行機隊総指揮官。42年ミッドウェー作戦に参加、6月戦傷にて入院。43年第一航空艦隊参謀、45年海軍総隊参謀。終戦後は復員省史実調査部部員、占領軍総司令部歴史課の嘱託として勤務。その後キリスト教徒に回心し欧米諸国を遍歴して福音伝道に従事した。本書以外の主な著書に、奥宮正武氏との共著になる「ミッドウェー」「機動部隊」がある。

奥宮正武 おくみやまさたけ(1909〜2007)高知県生まれ。30年海軍兵学校卒業。37年日華事変に参加。41年第十一連合航空隊参謀。42年以降、航空参謀としてミッドウェー作戦、南太平洋海戦、ソロモンおよびラバウル方面作戦、「あ号」作戦などに参加。44年大本営海軍参謀。終戦後は復員省史実調査部部員をへて防衛庁統合幕僚会議事務局と防衛研修所にて国際問題を担当。57年航空自衛隊の学校長、退職時空将。64年松下電器産業に勤務。74年国際PHP研究所顧問。主な著書に、淵田美津雄氏との共著「ミッドウェー」「機動部隊」のほか、「零戦」「ラバウル海軍航空隊」「海軍特別攻撃隊」「日本防衛論」「山本五十六と松下幸之助」など。

立ち読みフロア
第一章 ミッドウェー敗戦のあと

1 ひとまず広島湾へ帰投

 伝統の作戦方針である『守勢軍備』を固く整えて、日夜猛訓練に励んできた日本海軍も、対米英戦避けがたしと見るや、一切の論議をなげうって、その本来の使命に返って、真剣に必勝の作戦計画を練り、その完遂に没頭した。
 米英の国力とその国民性を深く知る海軍首脳部、特に開戦に対しあくまでも慎重であった連合艦隊司令長官山本五十六大将は、あれを考えこれを思い、こうなった以上、速戦即決のほかには勝算なし、と判断した。「戦うからには勝たねばならない」これは海軍士官が口癖のようにいう言葉であった。全海軍と国民の輿望(よぼう)を担った山本大将の責務はまことに重大だった。
 かくて、周到な計画のもとに決行された真珠湾攻撃、それは一般国民には華やかにも、また悲壮な印象のもとにも歓呼をあびたが、実は作戦当局としては虎の尾を踏む思いで決行したものであった。それが「天佑神助により」といわざるを得ないほどの成功を収め、続く西太平洋の作戦もまた順調だった。その結果、「日本の生存上欠くことのできない東南アジアの資源地帯」は、ともかくもわが手に落ちたのである。
 こうして、作戦は計画通りに進行したものの、実は作戦当局者は幾多の困難を予想していたのだった。それが案ずるより産むがやすしとのたとえにもあるとおり、奇跡的に、その戦果に比べて取るに足らぬほどの少ない損害をもって終了したので、無敵海軍の名に惑わされていた国民はもとより、作戦当局者まで夢中になって狂喜した。明治以来、戦えば必ず勝つと教えられ、また、そう信じていたこの国の不思議な力が、こんどの戦争でもそのまま実現するのだ、という希望的観測が大勢を支配するかに見えた。
 ここに日本の将来の大きな不幸と悲劇とが目に見えぬその根をおろした、とひそかに気づいたものがいたとしても、それを公言するものはひとりもいなかった。
 開戦後の滑り出しがこのように順調だったので、それまで前途を危ぶまれていた第二段作戦の方向が、ここで改めて検討された。第一段作戦の余勢をかって西に進みドイツと手を握ろうとするもの、東に向かって米太平洋艦隊との決戦を挑もうとするもの、南進して連合国の最弱点である豪州(オーストラリア)と米本国との連絡線を遮断しようと主張するもの、この三つがその内容であった。
 西か東か、それとも南か、激しい論議のすえ、決定したのがミッドウェーおよびアリューシャン西部の攻略を含む、いわゆる『太平洋東正面作戦』であった。当時ヨーロッパ戦線においては、ドイツ軍の攻撃はすでに峠を越して、その前途はにわかに予断しがたい情勢となっていた。
 わが海軍はじまって以来最大の――そしてこのような規模をもって行われたものとしては最後となった――海を圧する大海軍部隊をもって戦われたこの作戦は、ミッドウェーにおいて、不覚にも決定的な敗北をもって終わった。
 歴史の教えるところによれば、戦闘は過誤の連続であって、その少ない方が勝利を収めるといわれている。この海戦においては、神が特に意図するところがあって、故意にそうさせたのではないか、と思われるほど日本艦隊の過失は多かった。文句なしの敗北であった。
 他方、この作戦と同時に行われたアリューシャン作戦は、一応その占領目的だけは達したが、将来に予期以上の困難をはらんでいることが、その後間もなくわかってきた。これは作戦計画の過失というよりは、むしろミッドウェーの敗戦を取りつくろおうとした政戦略上の目的から、自ら求めた困難に等しかった。
 こうして、速戦即決を目指して企図された第二段作戦は、早くもその当初において挫折し、ここに計画の根本的な変更を余儀なくされてしまったのである。
 ミッドウェー海戦の直後、米艦隊が勢いに乗じてアリューシャン方面に反撃して来るかもしれないと判断した山本大将は、残存空母の全力(瑞鶴(ずいかく)、龍驤(りゅうじょう)、隼鷹(じゅんよう)、瑞鳳(ずいほう)、翔鶴(しょうかく)、飛鷹(ひよう))と、高速戦艦を含む有力な部隊を、この方面に集中配備して迎撃を企図したが、彼にその気配が見られなかったので、七月上旬、参加部隊の大部に対し、広島湾に帰投を命じた。

……冒頭より


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