「告白(上下)」

ジャン・ジャック・ルソー/桑原武夫訳

(上)ドットブック 390KB/テキストファイル 354KB

(下)ドットブック 366KB/テキストファイル 329KB

各巻 1300円

  「わたしはかつて例のなかった、そして今後も模倣する者はないと思う、仕事をくわだてる。自分と同じ人間仲間に、ひとりの人間をその自然のままの真実において見せてやりたい。そして、その人間というのは、わたしである」…こんな書き出しで始まる「告白」は、無数の「自叙伝」のうちで最も傑出した作品といわれる。主権在民や平等思想など近代社会思想の先駆者であり、フランス革命の父であるルソーのこの作品は、近代小説の先駆ともなった。偉大であると同時に奇矯、弱々しいと同時に尊大、矛盾に満ちながら、しかも誠実に生き抜いた人物を生き生きと描いた傑作である。

ジャン・ジャック・ルソー(1712〜78) ジュネーブ生まれのフランスの思想家。生後すぐに母と死別、時計師の父に育てられた。彫刻師の徒弟、家庭教師などをへたあと、ヴォルテール、ディドロ、ダランベールらの「百科全書派」と交わる。1755年に「人間不平等起原論」を著して思想家としての地位を確立。以後「新エロイーズ」「社会契約論」「エミール」を書き、18世紀最大の思想家の一人となった。しかし「エミール」は禁書となり、フランスを追放され、諸国を放浪、晩年はパリに死んだ。告白文学の傑作「告白」はこの放浪中に書かれ、死後に刊行された。

立ち読みフロア

第一巻

 内部において、また皮膚において

 一、わたしはかつて例のなかった、そして今後も模倣するものはないと思う、仕事をくわだてる。自分とおなじ人間仲間に、ひとりの人間をその自然のままの真実において見せてやりたい。そして、その人間というのは、わたしである。
 二、わたしひとり。わたしは自分の心を感じている。そして人々を知っている。わたしは自分の見た人々の誰ともおなじようには作られていない。現在のいかなる人ともおなじように作られていないとあえて信じている。わたしのほうがすぐれてはいないにしても、少なくとも別の人間である。自然がわたしをそのなかへ投げこんで作った鋳型をこわしてしまったのが、よかったかわるかったか、それはこれを読んだ後でなければ判断できぬことだ。
 三、最後の審判のラッパはいつでも鳴るがいい。わたしはこの書物を手にして最高の審判者の前に出て行こう。高らかにこう言うつもりだ──これがわたしのしたこと、わたしの考えたこと、わたしのありのままの姿です。よいこともわるいことも、おなじように率直にいいました。何一つわるいことをかくさず、よいことを加えもしなかった。多少どうでもいい装飾を用いたところがあれば、それはわたしの記憶の喪失でできた空白をうめるためにしただけです。真実でありうると考えた場合のみ真実として仮定したけれど、偽りと知ってそうしたことは決してない。自分のありのままの姿を示しました。わたしが事実そうであった場合には軽蔑すべきもの、卑しいものとして、また事実そうであった場合には善良な、高貴なものとして書きました。あなた御自身見られたとおりに、わたしの内部を開いて見せたのです。永遠の存在よ、わたしのまわりに、数かぎりないわたしと同じ人間を集めてください。わたしの告白を彼らが聞くがいいのです。わたしの下劣さに腹をたて、わたしのみじめさに顔を赤くするなら、それもいい。彼らのひとりひとりが、またあなたの足下にきて、おのれの心を、わたしとおなじ率直さをもって開いてみせるがよろしい。そして、「わたしはこの男よりもいい人間だった」といえるものなら、一人でもいってもらいたいのです。

 一、わたしは一七一二年にジュネーヴで、市民イザック・ルソーと、同じく市民シュザンヌ・ベルナールとのあいだに生まれた。ごくとぼしい財産を十五人の子供たちのあいだで分けねばならぬため、わたしの父のもらう分け前はほとんど無にひとしくなったので、父は時計師の職を唯一の生計の道としなければならなかった。父はこの職ではじっさい腕達者であった。わたしの母はベルナールという牧師の娘で、父より金持だった。聡明で美しいひとだった。父がこの母を妻としたのはなみなみの苦労ではなかったのだ。二人の恋はほとんど生まれると同時にはじまっていた。八つか九つのときから、二人はラ・トレイユの大通りを毎晩いっしょに散歩した。十のとき、もう互いにはなれられない仲だった。共感、心の一致が、習慣によって生まれた気持をいよいよ固くした。二人とも生まれつきやさしく感じやすい性質だったから、誰かの心の中に自分と同じ気持を見出すことのできる時を、ひたすら待っていた。というよりむしろ、この時機のほうが彼らを待っていた。そこで双方が、受けいれるべく開いてくれた最初の心の中に、自分の心を投げこんだのだ。二人の恋を邪魔するような事情がかえってこれをはげしくさせた。恋人をえられない青年は悲しみにやつれていった。女のほうでは忘れるために旅に出ることをすすめた。旅行したが、ききめはない。前より恋をつのらせて帰ってきた。女は優しく、心変りしていなかった。こうした試錬があって後、もう二人には生涯愛しあうしか道はなく、それを誓った。そして天意は二人の誓いをまっとうさせた。
 二、母の弟のガブリエル・ベルナールが父の妹の一人を恋するようになった。が、彼女は自分の兄が先方の姉と結婚するという条件でなければ、自分も結婚しないといった。恋が万事を解決した。そして、同じ日に二組の結婚式が行なわれた。こうして、わたしの叔父はわたしの叔母の夫となり、子供たちは二重の従兄弟(いとこ)ということになった。子供は一年たつと両方の家に一人ずつ生まれた。まもなく、わたしたちは遠く別れねばならなくなった。
 三、叔父のベルナールは技師だった。叔父はユジェーヌ公につかえて神聖ローマ帝国やハンガリーに行った。彼はベルグラードの攻囲戦や野戦で武勲を立てている。わたしの父は、わたしのただ一人の兄が生まれて後、招かれてコンスタンチノープルヘ行き、トルコ宮廷付の時計師となった。父の留守中、母の美貌、その聡明で諸芸*のできることは人々にもてはやされた。フランス公使のラ・クロジュール氏はなかでももっとも熱心な一人だった。それから三十年後に、わたしに母のことを話しながら、ほろっとしたくらいだから、その情熱ははげしかったにちがいない。わたしの母は身をまもるのに貞操以上のものをもっていた。夫を心から愛していたのだ。早く帰国するようにといってやる。夫は何もかも捨てて帰った。わたしはこの帰宅がみのらせた悲しい結実である。十月たって、わたしは病弱な子として生まれた。わたしが生まれたために母は死んだ。こうしてわたしの誕生はわたしの不幸の最初のものとなった。


……冒頭より


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