「郷愁」

ヘッセ/佐藤晃一訳

ドットブック版 231KB/テキストファイル 157KB

500円

アルプス山中の小さな村に育ったペーターは故郷を離れてチューリヒへ出、文筆での暮らしを夢みる……音楽家リヒアルトとの出会いと不幸な永遠の別れ、バーゼルでの孤独な生活とエリーザベトへの実らぬ恋、傷ついた魂の遍歴はふたたび故郷の村へ戻ることで自分の居場所を自覚するようになる。みずみずしい感性をもった魂の作家ヘッセの出世作。原題「ペーター・カーメンツィント」

ヘルマン・ヘッセ(1877〜1962) 南ドイツの小さな町カルヴの宣教師の息子。時計の歯車磨き助手、書店員などをへて、「郷愁」で広く認められて作家に。作品はすべて自伝的で、苦悩をへてある種の解脱へと到達する内容が特色となっている。代表作「郷愁」「車輪の下」「デーミアン」「荒野の狼」「知と愛」「シッダールタ」「ガラス玉演戯」。

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 はじめに神話があった。偉大な神は、かつてはインド人やギリシア人やゲルマン人の魂に宿って、詩を作りながら表現を求めたが、いまでもすべての子どもたちの魂に宿って、日ごとに詩を作っている。
 故郷の湖や山や小川の名は、わたしはまだ知らなかった。しかしわたしは、青みどりの色のなめらかな水面に無数の小さな光を浮かべている湖や、それをきっちりと取りまいている切り立った山々を見た。山々の最も高い割れ目が、きらきらと輝く雪渓になったり、小さな、ちっぽけな滝になったりしているのを見た。山々のふもとの、傾斜した明るい草地に点在する果樹や、小屋や、灰色のアルプス牛などを見た。そして、わたしのあわれな小さな魂はいかにも空《から》っぽで、ひっそりとして、何かを待っているばかりだったから、湖の精や山々の精が、その美しい大胆な行為のかずかずをわたしの魂に書きつけたのだった。
 不動の岩壁や絶壁は、古い時代の息子《むすこ》で、それらの時代の傷跡をとどめているのだが、反抗的に、同時に畏敬《いけい》の念をこめて、それらの時代のことを語った。大地がひび割れ、反《そ》り曲がって、生成の苦悩にうめきながら、いためつけられた胎内から絶頂や山の背を生み出した当時のことを語った。岩山が吠《ほ》えはためきながら盛りあがっていってついには目標を失い、折れて、絶頂をかたちづくった。ふたごの山と山とが絶望的に苦しみながら居場所を争い合い、ついには一方が勝って、高まって、他方をわきへ投げとばし、へし折ってしまった。いまでもまだ、あちこちの高い山峡に、むかしの時代の折れた山頂や、押しのけられて割られた岩がひっかかっていた、そして、雪どけのたびに急流が、家ほども大きな岩のかたまりを下へ押し流しながら、ガラスのように紛みじんにしたり、力強い打撃を加えて、やわらかな草地に深くめりこませたりするのだった。
 これらの岩山はいつも同じことを言っていた。かれらの言うことは、切り立った岩壁を見ると、造作もなくわかった。どの岩壁の層もすべて折れたり、ねじ曲がったり、割れたりして、ぽっかりとあいた傷だらけになっていたのである。「おれたちは恐ろしい苦しみをなめてきた」と、かれらは言った、「そして今でも苦しんでいる」しかし、かれらは頑健《がんけん》な老戦士のように、誇らかな、きびしい、頑固《がんこ》な口調でそう言うのだった。
 いかにも、これらの岩山は戦士だった。わたしは、アルプスおろしのはげしい南風《フエーン》がかれらの年老いた頭のまわりで咆《ほ》えたて、急流がかれらの横腹から新しい、生《なま》の岩塊をひきちぎる、早春の恐ろしい夜に、かれらが水やあらしと戦うのを見た。かれらは、こういう夜には反抗的に岩根を張り、暗い顔をして、息を切らしながら、頑強に立ちはだかり、あらしに対抗して割れた岩壁や岩角を突き出し、反抗的に頭をかがめながら、あるかぎりの力を集中し、緊張させるのだった。そして傷を負うたびに、ごろごろという、憤怒や不安のぞっとするような音を鳴りひびかせ、どれほど遠方にある激流にもすべて、かれらの恐ろしいうめき声が、とだえとだえに、腹立たしげに反響するのだった。
 また、わたしは、草地や、山腹や、土のつもった岩の裂け目が、さまざまな草や花や羊歯《しだ》や苔《こけ》におおわれているのを見たが、それらの植物は、古くからの俗語によって、何かと予感をそそるような奇妙な名をつけられていた。かれらは山の子どもたち、孫たちで、それぞれの場所で色美しく無邪気に生きていた。わたしはかれらを手でさわったり、ながめたり、匂《にお》いをかいだり、名をおぼえたりした。
 もっと真剣に、もっと深くわたしの心を動かしたのは、木々の姿だった。わたしは、どの木もそれぞれ孤独な生活を送り、特別な形や樹冠をかたちづくり、独特な影を投げるのを見た。木々は、隠遁者《いんとんしゃ》であり戦士であって、山々と近い血縁関係があるように思われた、というのも、どの木もすべて、とくに山の高いところに立っている木々は、存続して成長するために、風や雷雨や岩石を相手にして、黙々とねばり強く戦っていたからである。どの木も重荷を背負いながら、しっかりとしがみついていなければならなかった、そして、そのためにどの木も独自な姿になり、特別な傷を負っていた。あらしに妨げられてたった一つの方向にしか枝をのばせないでいる赤松があったし、赤い幹を蛇《へび》のように曲げて突き出した岩にからみつきながら、木と岩とがたがいに身を押しつけて支えあっているというような赤松があった。そういう赤松はまるで戦士のようにわたしを見すえて、わたしの心に畏怖《いふ》や畏敬《いけい》の気持ちを呼びおこすのだった。
 ところで、わたしたちの村の男や女はそういう赤松に似ていて、ぶあいそうで、きびしいしわをきざみ、あまりものを言わなかったが、いちばんいい人間がいちばん無口だった。そこでわたしは人間を木や岩と同じ扱いでながめながら、人間についてさまざまなことを考え、人間を尊敬するにも、愛するにも、黙々としている赤松を尊敬したり、愛したりするのと同じあしらいにするようになった。
 わたしたちの小さなニミコン村は、山の二つの突出部にはさまれた、湖ぞいの、三角形の斜面にある。一本の道が近くの修道院へ通じていて、もう一本の道が四時間半の道のりにへだてられた隣村へ通じているが、湖に面したその他の村々へ行くには水路を使う。村の家々は、古い木造形式の建物で、どのくらい古いのか、はっきりしない。新しい家が建てられることはほとんどなくて、古い小さな家々が、今年は床、別の年には屋根の一部というふうに、必要に応じて部分的に修繕されるのである、そして、前にはたとえば部屋の坂壁の一部だったというような、半分に切られた多くの角材やこわり板が、こんどは屋根の垂木《たるき》になる。そして、垂木の役にはもう立たないが、燃やすにはまだもったいないというような角材やこわり板は、つぎのときには家畜小屋か干し草棚《だな》の修繕に、あるいは玄関の戸の横張り坂に使われるのである。
 そういう家に住んでいる人びとも家と似たようなもので、めいめいが、できるかぎりはみんなといっしょに自分の役割を演じていて、やがてはためらいがちに役に立たない連中の仲間にはいり、ついには、別に大騒ぎもされずに闇《やみ》のなかへ姿を消す。何年も外国で暮らしてから村へ帰ってきても、古かった屋根がいくつか新しくなり、新しかった屋根がいくつか古くなっているほかには、なんの変化も見られない。かつての老人たちはいなくなっているが、しかし、別の連中が老人になっていて、同じあばら家に住み、同じ名を名乗り、同じ黒い髪の子どもたちの守りをし、顔だちも身ぶりも、先に死んでいった老人たちとほとんど違いがない。
 わたしたちの村には、外部からしげしげと新鮮な血や生命を輸入するということがなかった。住民はまあまあ強健な種族だが、ほとんどみんなが、たがいにきわめて密接な親戚《しんせき》関係になっていて、住民のたっぷり四分の三はカーメンツィント姓を名乗っている。この姓は教会記録簿を何ページにもわたって満たしているし、教会墓地の十字架に書きしるされているし、家々の戸口に、人目に立つようなふうにペンキで書かれたり、無骨に彫り刻まれたりしているし、馬車屋の車にも、家畜小屋のおけにも、ボートにも書きつけてある。わたしの家の戸口にも、上のほうに、「この家を建てしはヨースト・カーメンツィントとその妻フランツィスカなり」とべンキで書いてあった。しかし、これはわたしの父のことではなくて、父の祖父、わたしの曾祖父のことだった。わたしはいずれは子どもを残さずに死ぬということになるかもしれないが、それでも、もしこの家がそのときまで屋根をいただいて立っているものとすれば、まただれかカーメンツィント姓を名乗る者がやってきて、この古巣に住むようになるのは確実なことである。

……第一章冒頭より


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